源氏物語

源氏物語たより334

 ←白神山地のブナ →源氏物語たより335
   女房の細心・僧侶の不用意  源氏物語たより334

 契りこそしなかったが、夕霧が落葉宮の部屋に強引に押し入り、一夜を明かしてしまったことは、母・御息所の知るところではなかったが、その情報は意外なところから御息所に漏れてしまった。なんと、彼女の病の加持・祈祷に通っていた律師が発信元になったのである。
 御息所は物の怪に患い、比叡の麓・小野に居を移した。山に籠っていた律師が通いやすいようにという配慮からである。この小野に、夕霧は、御息所の見舞を名目に、実は落葉宮への愛の告白のために何度か通っていて、例の事件が起きたのである。 
 事件の翌朝、夕霧が、この邸から帰る姿を、律師の弟子たちが見ていたのだ。律師は早速、御息所にことの真相を告げてしまった。そして、
 「夕霧と落葉の宮が結婚するなど、決してあってはならぬこと」
と御息所に訴える。その理由は、夕霧には確固とした北の方(雲居雁)がいて、彼女との間には子供が七、八人もいる、落葉宮が結婚したとしても勝負にならないからだというのだ。そして最後には、語気を荒くしてこう言い切る。
  『女人の悪しき身を受け、長夜の闇に惑ふは、ただかやうの罪によりなん、さるいみじき報いをも受くるものなる』
  「かやうの罪」とは、「愛欲による罪」のことで、「女人というものは、元々三悪道(地獄・餓鬼・畜生)に堕ちて成仏できない存在で、そのために永遠の闇の世界を彷徨のだが、特に愛欲のための罪は、大層ひどい報いとなる」ということである。
 
 律師から夕霧と宮との事実を聞いた御息所は、あまりのことに、一瞬はその事実を疑う。夕霧は「まめ人間」として自他ともに許しているような貴公子である。自分に秘密にして、まさかそんな破廉恥行為をするはずはない、と思う一方、心配は募る。
 彼女は、早速女房の小少将を呼びつけて事の真相を問い詰める。
 小少将は、まさか律師が漏らしていようとは思いもよらず、誰かがこっそり御息所に告げてしまったのだろうと観念して、正直に事実を白状してしまう。しかし、隠すべきところは隠し、慎重に言葉を選びながら、こう言う。
 『(夕霧さまは珍しいほど思いやりの深い方で)明かしも果てで出で給ひぬる』
 「夜も明けぬうちにお帰りになった」というのだ。そしてさらに
 『障子は(鍵を)さしてなん』
と付け加える。「障子」とは今の襖のことで、「襖にはきちっと鍵がかかっていたから、安心である」というのである。しかしこれは事実に反する。つまり彼女は嘘をついたのである。
 実は、あの夜、落葉宮は、夕霧の突然の闖入から逃げようと、北の廂に逃げ込む。ところが、夕霧は一瞬早く宮の衣の裾を掴んで離さない。障子を閉めて外から鍵を懸けようとしたが、あら無残。
  『障子は、あなたよりさすべき方なかりければ』
であったのだ。宮が逃げ出した外側からは、鍵はかけられなかったのだ。にもかかわらず、小少将は、咄嗟に嘘をついた。鍵がかかっていたのでは、男女の行為はできない。それは、宮と御息所の立場を慮った細心の思いやりからである。
 しかし、これだけで御息所の心配がとけるわけはない。
  『いと憂く、口惜しと思すに、涙ほろほろとこぼれ給ひぬ』
ほどに動揺する。そこで、「落葉宮に私のところに来るように」と命じる。宮から直接事実を正そうというのだ。
小少将は、宮のところに行き、御息所の意を伝えるのだが、その際、
 『障子のかため(防御)ばかりをなん、すこし(御息所に)言添へて』
おいたから、口裏を合わせてくださいというわけである。
 このあたりの紫式部の描写は、さすがに細かい。世によくありそうな口裏合わせを駆使し、それによって緊張感を増し、現実感を漂わせているのだ。
 
 事件のあった朝、夕霧から、小少将の元に文が来る。ところが、折悪しく、その文を御息所に見られてしまい、御息所は、二人の間に「実事」があったと確信してしまう。 
 それにもかかわらず、その夜、夕霧は小野に通って来なかった。結婚三日夜のルールを夕霧は破ったと御息所は誤解したのだ。(この間のことは『たより333』に詳しい)
  結局、御息所は、夕霧の薄情を恨みながら、
  『やがて絶え入り給』
うのである。「やがて」とは「そのまま」ということで、人の世のつれなさ、憂さ、醜さを恨んだまま死んで行くのである。もちろん夕霧が薄情な男であるはずはない。御息所が早とちりしてしまったのが原因なのだが。
 
 御息所を悶死させてしまった責任は誰にあるのだろうか。
 夕霧には直接的な責任はない。互いに誤解、曲解したことが事態をこじらせてしまったのだから。
 やはり元凶は、律師である。律師が、御息所に漏らしさえしなければ、ことは隠密裏にうまく進んでいったかもしれないのだ。
 そもそも律師は、御息所の病を癒すべく日夜加持・祈祷していたのである。その重く患う者に、重大事を伝えてしまう浅はかさ・愚かさは、僧侶が取るべき行動ではない。しかも、彼は口角泡を飛ばすが如く、二人が結ばれることに反対して、御息所の心配を煽り、神経を乱させた。
 重篤な御息所は、いずれにしても死んで行ったであろう。しかし、この重大事を知らないでいれば、安んじて死に就くことができたはずだ。あるいは、命をもう少し長らえることができたかもしれない。
 これでは、御息所自身が、「長夜の闇に惑う」ことになってしまう。「女人の悪しき身」などではない、僧侶自身が「長夜の闇」に導いたのである。
 源氏物語に登場する僧侶にはろくな人物はいない。冷泉帝に源氏と藤壺宮の秘事を告げてしまった僧都を思い出す。
これは、紫式部自身が、僧侶というもの、宗教というものを信じていなかった証である。
 この律師は、夕霧と宮の秘事を御息所に告げる前に、こうも言っているのだ。
  『大日如来、空ごと(嘘)し給はずば、などてか、かく、なにがし(自分)が心をいたして仕うまつる御修法にしるしなきやうはあらむ』
 なんという大言壮語であろうか。にもかかわらず、御息所には何のしるしもなかったばかりか、「悶死」という悲惨を味わわせてしまった。それは大日如来が「空ごと」をしたことに他ならない。
 どうやら紫式部は、大日如来の御利益も当てにならないものと考え、ましてやこの律師ごときは人の数にも入れていなかったのだろう。あるいはこの律師が、閻魔さまの前でも「空ごと」を言っているのを想像していたかも知れない。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【白神山地のブナ】へ
  • 【源氏物語たより335】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【白神山地のブナ】へ
  • 【源氏物語たより335】へ