源氏物語

源氏物語たより336

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   許せる源氏・許せない源氏  源氏物語たより336

 薫の五十日の祝いが近くなったころ、光源氏は、日々女三宮のところに渡ってくるようになった。この日も、やって来て「自分を捨てて出家してしまった」宮に、くどくどと愚痴めいた恨み言を並べたてる。やがて宮のいる几帳を引きのけて中に入り込み、宮のそばにむずっと座る。それでなくとも源氏と目も合わせたくない宮は、
 『いと恥づかしうて、背(そむ)かせ給へる』
しかない。目を合わせようともしないのだ。いや合わせることができないのだ。
 まだ尼姿も身につかない「うつくしき子供」のような宮を見ながら、源氏の恨み節が続く。
  「あなたが、今はこれまでと私を見捨てようとするのは、あなたが本心から私を嫌っている証だと思われて仕方がありません。何とも恥ずかしいことだし、やりきれない気持ちです。それでもやはり可哀そうな男と思って、私に『あはれ』の一言でも掛けてください」
 これに対して宮は、次のように応える。
  『かかる様の人は、もののあはれも知らぬものと聞きしを。ましてもとより(私はあはれなど)知らぬことにて、いかがは聞こゆべからむ』
 「かかる様」とは「出家の身」ということで、「出家の身の者は“もののあはれ”などは知る立場にはない、と聞いております。まして私はもともと“あはれ”などには疎い人間でございまして、何ともお答えのしようもありません」という意味である。出家するということは、この世の憂さ・辛さ、喜・怒・哀・楽、そして情愛などという感情を断ち切ることだ。こう言う一般論を踏まえて、宮は「まして私は、本来“あはれ”には縁遠い人間だから」と、源氏の言葉に対して反発して見せたのだ。
 あの幼く可愛らしいだけの女三宮にしては、随分芯のある手強い言葉を返したものだ。それを聞いた源氏はこう呟く。
 『かひなのことや。思し知る方もあらんものを』
 彼は、まだなにか言いたそうな様子であったが、それだけ言うと言葉を止めて、薫の方を向いてしまう。
 「かひなのことや」とは、「お話申しあげてもなんとも申し上げ甲斐のない応答だ」という意味だが、後半の「思し知る方もあらんものを」が分かりにくい。表面的には、
 「あなたは、“あはれ”など知らないと言うけれど、実際にはよく御存じの面もあるはずなのに」
ということであるが、それでは「よく御存じの面」とは、なんだろうか。実は、これが宮に対する辛辣な皮肉であったのだ。
女三宮が、“あはれ”について「思し知る方」と言えば、柏木との情交のことにほかならない。「あはれ」は、「しみじみとした情趣」を感じた時の情を表わすが、この場合は、「情愛」を意味する。したがって、
 「あなたは、柏木とはあれほど情を交わしていたではないか。その当人が“あはれ”を知らぬわけはなかろう」
というのである。何と言う嫌味であろう、なんという露骨で賤しい言葉であろう。気品と風雅に生きているはずの最高貴族の口から出る言葉ではない。とても許さるべきことではない。
 確かに、源氏は今までも許されるべきではない言動を取ってきた。「中将」の名を騙(かた)って空蝉を犯してしまったこともあるし、「まろはみな人に許されたれば・・」と自惚れながら、朧月夜をものにしてしまったこともあった。しかし、あの頃の許されざる言動には、それなりに余裕があった、また笑いがあった。だから「光源氏とはとんでもない男だ」と眉を顰(ひそ)めながらも、にやにや笑って見過ごすことができた。
 しかし、女三宮に対する言葉は許せない。辛辣な皮肉というより、相手の心を突き刺す毒矢であるからだ。柏木とのことは、宮が一番触れられたくない弱みだというのに。
 特に許せないのは、相手が「うつくしき子供の心地」するような弱き立場の女性だからである。この言葉を聞いた時の宮の反応は書かれていないが、常人であったら、いたたまれなくなるはずである。柏木を死に追いやったのも、源氏の辛辣な皮肉であった。ここでまた宮をさえ死の淵に追いやろうとするのだろうか。

 栄光の道を歩んできた光源氏も、ここでは誠に貧相な姿をさらしているだけで、むしろ敗残の将のやり場のない捨て台詞の「あはれ」を感じるだけだ。彼はすっかり余裕をなくしている。
 源氏は、この言葉の後「の給ひさして」口を閉じるのであるが、もし「の給ひささなかった」らどうだろうか。心の中に蟠(わだかま)っていた宮への恨みつらみを一気に吐き出しのだろうか。まさかそんなことはあるまい。「の給ひさす」ことによって、辛くも栄光の残影を守った。
 それにしても、柏木が亡くなり女三宮が出家した段階で、二人をすべて許す度量がどうして源氏になかったのか残念である。


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