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源氏物語

源氏物語たより341

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   夕霧・雲居雁の夫婦喧嘩と光源氏  源氏物語たより341

 筒井筒の行きつくところは決まっている。どんなに深く愛し合って結婚しても、年月というものは、おとこ・女の愛情を変えていく。夕霧は、特に「まめ人」と評された男であり、雲居雁と結婚して十年、あまたの子供もなして平穏な家庭を築き上げていたのに、その「まめ人」が激しい恋に陥るようになるのだから、おとこ・女の中はなんとも不思議なものである。「愛情は変わる」の典型を見る思いがする。
 雲居雁は、最初こそ夕霧の恋に嫉妬し、落葉宮の母・御息所からの手紙を奪い取ったりしたのだが、御息所の死後の今でも、相変わらず宮のところに通って、結婚を迫っているようである夕霧を、真実情けなく辛い気持ちで見ているしかない。彼女はしみじみ思いにふける。
 「夕霧は、ともすれば六条院の大勢のご立派な女性方をめでたいものの例にする。それに対して私のことを気に食わず無風流な女と思っているらしいけれど、それは随分理屈に合わないこと。私だって昔から六条院の女性方のように風雅な生活をしていれば、それなりの暮らし方をしていたはず(雲居雁は、子供たちも多く、とても風雅どころではなかった)。以前は、誰もが夕霧を立派なお方と見て、私との仲がいかに似合いの夫婦であるかと見ていてくれたのに、最後になってこんなに恥ずかしい思いをするようになるなんて・・」

 一方、宮のところから帰ってきた夕霧は、自分の思うようには展開しない宮とのことを思うと茫然自失、ふらふらと宙を彷徨っているような始末。家にいても雲居雁とは
 『かたみにうち出で給ふことなくて、そむきそむきに嘆き明か』
すばかりである。互いにものも言わずにあらぬ方を向いているのである。「そむきそむき」には、夫婦の絶望的な姿が見事に言い表わされていて、可笑しくもあり、身につまされる思いもする。
 雲居雁の嘆きも知らぬげに、夕霧は
  『朝霧の晴れ間も待たず、例の文をぞ急ぎ書き給ふ』
のである。そんな姿を見て、彼女は気に食わないと思いはするのだが、あの時のように文を奪い取る気もしない。それをいいことに夕霧は大層細やかに文を書き続けている。そして時折、筆をおいては歌を微吟しているのだ。微吟する歌の文句が雲居雁のところにまで聞こえて来るというのだから、「まめ人」は完全に狂ってしまった。

 恋に狂った夕霧の噂は源氏のところにも届いている。源氏は、
  「夕霧は、たいそう老成しているし落ち着いていて思慮も深い。人から謗(そし)られたこともない立派な人物だ。それに比べて自分は、かつて好色な浮名を立ててしまったのだが、夕霧は、私のその不面目を挽回してくれた、と喜んでいたのに、これではあちらこちらに迷惑をかけてしまうことになる」
と思う。ところが、その後、源氏の本領が発揮される。
  「いやいや、これほど真面目な男が、女を思い染めてしまったのだ、これも宿世のなせるわざであろう。私がとやかく言うべきことでもあるまいし、また今さら諌めたり、さかしらを言ったりしてもどうせ受け付けはすまい」
と割り切るのだ。この肝の太さは、世の親には真似のできないもので、実に腰の据わった芸当である。
 
 夕霧が宮の邸に住み込んでしまった後、源氏の所にやって来た。源氏は、その姿・容貌をしげしげと見て、こう思うのだ。
 『いとめでたく清らに、この頃こそねびまさり給へる御盛りなめれ。さるさまの好きごとをし給ふとも、人のもどくべきさまもし給はず。鬼神も罪許しつべく鮮やかにもの清げに、若う盛りに匂ひ散らし給へり。・・(浮気も)ことわりぞかし。女にてなどか(夕霧を)愛でざらん』
  「ねびまさる」とは「立派になる」、「もどく」とは「非難する」という意味。
 「これだけ素晴らしい男だ、浮気の一つや二つしたとしても、人がとやかく言うべきことでもない。見なさい、この若々しさ、美麗さ、鬼神だって許してしまう程ではないか。そもそも夕霧を見れば女が放っておきはすまい」というのだ。「さすが源氏!」と言える見事な論理で、ここには源氏の面目が躍如としている。百戦錬磨の源氏にして始めて言える言葉である。
恐らく、自分の若く華やかな頃を思い出して言っているのであろう。光源氏を見て靡かぬ女などはいなかった。源氏の姿を見た女どもは、卒倒しかねないほどに舞い上がったものである。その頃の姿と夕霧の姿をだぶらせているのだ。彼のつぶやきの最後は
 『鏡を見ても、などか驕(おご)らざらむ』
である。「これだけの容姿だったら、鏡を見て驕るのも当然」と言うのだ。実は彼は四十の賀の時には
 『いと若く清らにて、かく(四十の)御賀などいふことは、ひが数へ(間違った歳)にやとおぼゆるさまの、なまめかしく、人の親げなくおはします』
ほどであった。「四十の賀なんて数え間違いじゃないの、それにとても子どもなどいるとは思えない若さではないの」ということで、自らも鏡を見て
 『われながら、いとあてに清らなれば』
と言っているのである。
 夕霧はこの時二十九歳、源氏の歳(五十歳)にははるかに遠い。若くて立派な男が恋をするのに何の咎があろうか、という源氏の気概がほとばしり出た。しかも夕霧は、いずれは太政大臣になる人物である。そういう意味でも、もう一人や二人の妻がいて当然であるというのだから、源氏のものの見方はなんとも柔軟で果てがない。

 しかし、雲居雁は、源氏のスケールの大きさとは無関係。ごく普通の妻がごく普通の嫉妬をするように、やがて家を出て行く。


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