源氏物語

源氏物語たより332

 ←源氏物語たより341 →カイツブリの子育て
   同じ「まめ」なれど  源氏物語たより342

 ラジオでこんなことを言っていた。
 「女性にもてる男の条件としては、“まめ”であることが上げられる」
 確かに女性と付き合うにはまめでなければならない。ラジオではその例として
 「メールが入ったらすぐ返事を送るようでなければならない。ただししつこくならない程度に」
 古語での「まめ」は、漢字では「忠実」と書き、意味には
 ①「まじめなこと、忠実・実直」、②「嫌がらずによく働く、勤勉」、③「実用的だ」
などがある(角川古語辞典)。ラジオの例は、②の「苦労を厭わずよく働く、勤勉」の意味に当たり、現代ではほとんどこの②の意味で使われている。

 光源氏は、大変にもてる男で、数えきれないほどの女性と付き合いがある。藤壺宮や六条御息所や朧月夜など物語上際立った女性は当然のこととして、「召女(めしうど)」などという奇妙な身分の女性たちも数多くいるし、それ以外にも怪しい存在の女が彼の周りには付きまとっている。何しろ源氏が前を通っただけで、女性たちは恋心を抱いてしまうのだから、驚異である。
 その原因は、彼の美貌にあることはもちろんである。現代で言えば、誰と比べられるだろうかとよく考えてみるが、結局思考を断念してしまう。該当する男性などいないからである。
 美貌以外にも、皇子という毛並みのよさとか諸芸に秀でているとか財力に富むとか、女性にもてる要素を併せ持っているのだから、誰も勝負にならない。頭中将が盛んに挑み心を見せるのだが、所詮「花の傍らの深山木」にすぎない。
 さらにここで忘れてならないのが、彼の「まめ」さである。彼の「まめ」は女性に対するのみならず、全てのことに対して実によく気を回し、手足を動かし、何か「こと」あれば滞るところなく即座に対応する。
 もちろん彼の「まめ」は、②である。これがあってこそ、彼の類まれな女性遍歴は可能となるのだ。当時の貴族の男性は、平均的に恋に関しては「まめ」であったようだが、源氏の場合は突出していた。
 朝顔の君に対するまめぶりなどは称賛に値する。朝顔の君の父親が亡くなった時などはその見舞にことよせて、彼女に消息を
 『いと繁う聞こえ給ふ』
のである。朝顔の君の方は、以前からの源氏の執拗な求愛が煩わしく、返事も出さないのだが、それでも諦めない。消息ばかりではない、朝顔の君と同居している彼女の年老いた叔母(源氏の叔母でもある)を慰めるのを口実にしては、何度も邸を訪ねる。しかし、彼女は源氏に会おうともしない。これほどつれない扱いをされれば、さぞかし傷心の態かと思いきや、翌朝、飽きもせずに朝顔の花を付けて彼女に消息するのである。「まめ」の権化である。

 さて、夕霧も、自他共に許すほどの「まめ人」である。しかし彼の場合は、①の「まめ」、つまり、「真面目、誠実・実直」ということである。十三歳の時の雲居雁との相思相愛の恋愛の末、十七歳で結婚。その後十年、八人の子をなし、この間、雲居雁を守って一筋、横目も振らない。(実は、彼にはもう一人の妻がいる。この女性との間にも四人の子供がいるのだから、この面では夕霧も②の範疇に入ると言わざるを得ないのだが)
 そんな「まめ」さを、彼自身卑下して雲居雁にこう言っている。
 『またあらじな。(身分が)よろしうなりぬる男の、かく紛う方なく、(雲居雁)一つ所を守らへて、物怖じしたる鳥のせう(雄)やうのものなるは、いかに人笑ふらん』
 鷹の雄は、雌をひたすら守っておどおどしているのだそうだ。夕霧もその鷹の雄のようにおどおどと、ひたすら雲居雁一所を守っている。「こんな男は、世の中に例はあるまい。いかに物笑いか」と、自分の貞操の固さを自慢(?)しているのである。

 ところが「まめ人」が恋をすると盲目になる。落葉宮と結婚してしまった夕霧を見て、雲居雁は天を仰いで嘆く。
 『「まめ人の心変るは名残りなくこそ」と聞きしは誠なりけり』
 まめ人が一端心を狂わせると、以前のまめさは微塵もなくなってしまうという世間の話は本当であったと、身をもって実感したのだ。
 結局雲居雁は、方違えを口実にして家を出てしまう。悲劇的な結果になってしまった。夕霧の頭に理想としてあったのは、源氏のハーレム・六条院の華やかさだ。紫上のような理想の女性がいるというのに、さらに内親王(女三宮)まで迎えた。夕霧にとっては目の眩(くら)むばかりの極楽世界である。
 しかし結果は、理想にははるかに遠く、北の方さえ失ってしまうという悲惨的な結果をきたしてしまった。

 とにかく、源氏と夕霧では人間としての器が違う。源氏の真似をしようとしても、所詮無理である。二人は元々基盤が違う。二人がわずかに通うのは容貌くらいのものであろう。なにしろ源氏は天皇の子として桐壺帝に諸芸をとことん仕込まれた。それに彼の天賦の才能が加わるのだ。その上に、彼には洞察力の鋭さ、判断力の適切さ、決断力と実行力の迅速さがある。たとえば、初見の空蝉や朧月夜に対する迫り方や紫上拉致の際の鮮やかな振る舞いは、類(たぐい)ないものであった。これに巧みな弁舌も絡むのだから、女ならずともひとたまりもない。
 それに比べて、夕霧の何と不器用なことか。落葉宮と一晩を過ごしながら手を拱(こまぬ)いているだけで何もできない。宮の衣を掴んで引きとどめるという修羅場を演じながら、それ以上進めず、ただ醜態をさらすだけである。
 彼に、源氏の爪の垢ほどの能力があれば、雲居雁との関係も、もう少しスマートに行ったことであろう。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより341】へ
  • 【カイツブリの子育て】へ
 

~ Comment ~

また長々と失礼いたします 

源氏の女性に対する振る舞いは、強引であったり、ただ好奇心だけで迫ったりと、なかなかに酷いです。
が、ロマンチックです。
これは断れる余地を残していたり、相手をきちんと誉め、気を使い、時には弱さを見せたりして、相手に向き合っているからだと思います。
更に浮気していてもキープしている女性は誉めるし世話もする。
だからこそ六条院という巨大なハーレムを築けたのにも納得が出来ます。
ところが夕霧はというと、落葉宮が頼んでもいないのに恩(物理、財産)を売りまくり、宮に仕えている者達の思考を『宮様は夕霧様と結婚するべきだ。そうすれば楽に暮らせるようになる。もちろん仕えている私達も恩恵に預かれる。』と誘導。
世間の評判も『夕霧は素晴らしい男。なのにアプローチに応じない宮様は恩知らずのわがまま。』となるように誘導。
逃げ道を全て塞ぎ、絶対に断れないように、加えて自分が宮と結婚しても世間が認めてくれるよう厳重な根回しをしておいてからアプローチ…という、恋愛というよりも政治のようなもの。
雲井の雁と落葉宮が可哀想でなりませんでした。
若菜以降、夕霧は政治家としては源氏よりも手堅いイメージが出来上がりました。
ところが男としての魅力は半減してしむいました。
ずっと雲井の雁だけを愛するおしどり夫であってくれたのなら、源氏とは異なる『理想の男』として、魅力があったのですが…。

夕霧の浮気 

> 源氏の女性に対する振る舞いは、強引であったり、ただ好奇心だけで迫ったりと、なかなかに酷いです。
> が、ロマンチックです。
> これは断れる余地を残していたり、相手をきちんと誉め、気を使い、時には弱さを見せたりして、相手に向き合っているからだと思います。
> 更に浮気していてもキープしている女性は誉めるし世話もする。
> だからこそ六条院という巨大なハーレムを築けたのにも納得が出来ます。
> ところが夕霧はというと、落葉宮が頼んでもいないのに恩(物理、財産)を売りまくり、宮に仕えている者達の思考を『宮様は夕霧様と結婚するべきだ。そうすれば楽に暮らせるようになる。もちろん仕えている私達も恩恵に預かれる。』と誘導。
> 世間の評判も『夕霧は素晴らしい男。なのにアプローチに応じない宮様は恩知らずのわがまま。』となるように誘導。
> 逃げ道を全て塞ぎ、絶対に断れないように、加えて自分が宮と結婚しても世間が認めてくれるよう厳重な根回しをしておいてからアプローチ…という、恋愛というよりも政治のようなもの。
> 雲井の雁と落葉宮が可哀想でなりませんでした。
> 若菜以降、夕霧は政治家としては源氏よりも手堅いイメージが出来上がりました。
> ところが男としての魅力は半減してしむいました。
> ずっと雲井の雁だけを愛するおしどり夫であってくれたのなら、源氏とは異なる『理想の男』として、魅力があったのですが…。


 あれほどの「まめ人間」が、どうして突然落葉宮に恋をするようになってしまったのかは、理解できないところがあるのですが、私は次の二つの面からこのことを考えています。
 一つは、平凡な家庭生活に満足できなくなっていたということです。雲居雁は、大勢の子供を育てて立派に家庭を守ってきました。しかし、そういう女性も年月とともに埃が付いてきて新鮮さが失われていくのは仕方のないことであります。で、このことは『帚木』の「雨夜の品定め」が遠因しているのではないかと思うのです。左馬頭が言っていたことにつながるということです。家庭をしっかり守る「まめ主婦」も、やがては身の回りも気にせず「髪の毛を耳はさみ」して平気になるようになります。
 源氏物語は「変化 あはれ」を求める物語であります。平気で「髪の毛を耳はさみする」ような女性に変化を求めるのは無理というものです。そこで夕霧に浮気をさせて変化を求めたということです。もしこの考えが当たっているとすれば、夕霧は損な宿命を背負わされてしまったということになります。
 もう一つが、夕霧の「上昇志向」です。彼も将来は間違いのない太政大臣です。その妻が、大臣風情の妻(雲居雁)では満足できないということです。現に彼の祖父(左大臣 太政大臣)の妻は「大宮(桐壺帝の妹)」でありますし、父の源氏も女三宮を妻としました。また、友人の柏木も「落葉宮」を妻にしているわけですから、夕霧がそうしない方はありません。
 ただ、夕霧は恋愛に対して誠に不器用でありました。小野で、落葉宮の部屋に押し入った時の無様、また宮の母・御息所からの文を雲居雁に奪われてしまった不用意。
 要は、光源氏と夕霧は人間としての器が違うということです。器のないものが器を超えてあるまじきことをすればと、悲喜劇が待っているということになります。源氏はその点、誠に手際よく鮮やかでありました。夕霧は、このような点から道化役を演じることで、彼には同情に堪えないものがるのですが、考えてみれば、我々にもそんなところがないだろうか、身につまされるものがないとは言えません。
 その点でも、紫式部の人物造形には舌を巻かされる思いがします。

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより341】へ
  • 【カイツブリの子育て】へ