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源氏物語

源氏物語たより349

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   明石入道の必死   源氏物語たより349

 明石入道には計り知れないほど壮大な願望があった。それは娘(明石君)が生まれた時以来のもので、この願望が成就するよう十八年間、毎年住吉大社に春・秋二度にわたって詣で続けてきた。
 しかし須磨・明石の巻ではこの願望がなんであるのかは明かされていない。ヒントは、彼の父親が大臣であり、彼自身も近衛中将であったということだ。近衛中将と言えば、光源氏もそうだったように、将来一番の出世コース、まして父が大臣であったのだから、彼の「大臣」は保証されていたようなものである。ところが、偏屈な性格が災いしたのだろう、近衛中将の地位を捨てて、一受領に身を落としてしまった。播磨守になったのである。
 
 このような履歴を考慮すれば、彼の願望は家門の復興ということに違いないと予測される。彼は、源氏が須磨に流謫しているのを千載一遇のチャンスと見ていたのだ。
 『(源氏の光君こそ)須磨の浦にものし給ふなれ。吾子(明石君)の御宿世にて、おぼえぬことのあるなり。いかでかかるついでに、(吾子を)この君にたてまつらん』
と妻の反対も押し切って、源氏を明石に迎えようと思い立ったのである。
 時も時、源氏が長い須磨のわび住まいに辟易していた上に、大暴風雷にも襲われ、源氏は心神消耗の極にあった。そこに渡りに舟の如く明石入道が、源氏を迎えに来たというわけである。
 
 さて、源氏が明石に来てはくれたが、入道にとってはこれからが大変である。今でこそ罪を得て流謫の悲惨な身にあるとはいえ、源氏は、故桐壺院の第二皇子である。やすやすと
 「どうか吾子をもらっていただきたい」
などとは言いかねる身分のお方である。そこで、彼の苦心惨憺が始まった。その狼狽(うろた)えぶりが、紫式部の筆によって活写される。

 彼は、源氏との談話の中で、娘の将来について、いかに扱いに困じ果てているかをそれとなく語る。なんとなく入道の意図が分かるから、源氏はそれを可笑しいとながめながらも、「自分は慎みの身であるから、仏道のこと以外には気を紛らわすまい」と相手にしない。
 これでは、入道もそうしばしば訪れることもできずに、歯がゆい思いで源氏の住屋の近くに控えているしかなかった。そんな彼ができることと言えば、
 『いかで思ふ心をかなえんと、仏・神をいよいよ念じたてまつる』
ことくらいであった。

 四月になった。源氏は、寂しい思いで淡路島を眺めていると、久しぶりに琴(きむ)を弾きたくなった。すると、その演奏に感じ入った入道が、娘のところに琵琶と筝の琴を取りに行かせ、二人の演奏が始まった。源氏が
 「筝の琴というものは、女が打ち解けてゆったりしんみり弾くのが一番だ」
と何気なく話すと、入道は
 『あいなくうち笑(え)み』
て、娘の自慢話を始めるのである。「あいなく」とはどういう状態を言うのか難しい。辞書的には「無分別に」とか「何の甲斐もなく」という意味なのだが、私は、娘のことを切り出したいとうずうずしていたところ、たまたま源氏が「筝の琴は女が・・」と言い出したので、心の中で「しめた!」と思ったその無意識な気持ちの表れを言っているのではなかろうかと捉えている。そこで「チャンス到来!」とばかり「ほくそ笑んだ」ということである。それが「うち笑み」ではなかろうか。
 ここから堰を切ったように彼の娘自慢が始まる。
 「自分(入道)は、琴の名人・醍醐帝相伝の三代の弟子であるが、娘はどうしたことか、いつか私の奏法を学んで、今では醍醐帝の奏法に通じるほどの実力になっている」
 しかもこう言うのも忘れない。
 『いかで忍びて、これを(娘の筝の琴を源氏さまに)きこしめさせてしがな』
 これに対して、さすがの源氏も興を示して、「どうしたら聞くことができるのか」と問う。入道は、またまた「しめた!」と、
「お聞かせ申すのに、何のはばかりがありましょうか」
と、鼻をうどめかしながら源氏が聞くことを請け負い、さらに娘の自慢話を止めず、
 『この娘の有様、問はず語りに』
源氏に喋り続けるのである。「問はず語り」とは、「聞きもしないのに」という意味で、源氏が聞きもしないのに、あれこれと喋り捲(まく)るのだ。そして、ついにこんなことまで言い出す。
 「源氏さまが、こうして須磨・明石などに流謫の身で陥っていらっしゃるのも、我が娘との因縁によるものなのではないでしょうか。それは、私が長年信心を続けてきたことに対して、住吉の神・仏が憐れみをお垂れになったおかげだと思うのです。このことはいわば神・仏のお導きによるものと考えるべきなのです」
 彼は、それを『うち泣き泣き』語るのである。
 その話に対する源氏の反応は、入道が十分満足するに足るものであった。彼は『限りなく嬉し』と思って、
 『独り寝は君も知りぬや つれづれと思ひ明かしの浦さびしさを』
という歌を詠む。この歌は考えてみれば随分おかしなもので、
 「独り寝の寂しさは源氏さまもよく御存じのことと拝察いたします。でも、明石の浦で何をするでもなく毎日毎日明かし暮らしている娘の独り寝の寂しさは、御存じではいらしゃらないでしょう」
という意味なのである。これは、源氏に「早く娘と寝てそのつれづれを慰めてやってくれ」とそそのかしている歌なのである。いくら娘と源氏を結婚させたいとはいえ、あまりにあからさま過ぎはしまいか。何かもう少し品のある歌を詠えなかったのと思う。まあそれほどに入道の心は逸(はや)っていたということなのだろうが。
 それに対する源氏の返歌は、言わずとも概ね予想がつく。入道は、
 『思ふこと、かつがつ叶ひぬる心地して、涼しう思ひゐたる』
のである。「かつがつ」とは、「まあまあとりあえず」ということで、源氏の返歌に満足したのだ。これで事態は一歩も二歩も進んだわけなのだから。それにしても「涼しう思ひゐたる」という表現が可笑しい。それほどに彼の心は焦燥と煩悶と不安に満たされていたのだ。それが解決して「涼しう」なったのだ。紫式部の筆の冴えを感じる。
 翌日の彼の行動にはさらに笑わせられる。彼は、源氏から娘に手紙が来ることを確信していた。それで
 『人知れず(源氏からの文を)待ち聞こ』
えて、娘の住む岡辺の邸に入り浸っていたのだ。その勘がズバリ当たったので、彼は、文を持ってきた使いを
 『いとまばゆきまで酔はす』
のである。
 ところが肝心の娘は、源氏とのあまりの身分差を恐れて、返事を書こうともしない。入道は盛んに急かすが、娘は「どうも」動かない。それどころか「気分がよくない」と言って横になってしまった。いくら急かしても応じないで、仕方なく入道が、娘の代筆をするのである。娘の懸想文を父親が書くというのだから、前代未聞のことである。ところが残念ながらその歌は誠にへたくそなものであった。
 『ながむらむ同じ雲井をながむるは 思ひも同じ思ひなるらん』
 「源氏さまはもの思いに浸たりながら雲を眺めていられるとのことですが、その同じ雲を娘も同じ思いに浸って眺めているようでございます」という意味になろう。何と一首の中に「ながむる」「同じ」「思ひ」と、三語にわたって同じ言葉を重複させているのである。和歌には疎い私でも、この歌の未熟さが分かる。なぜなら和歌は「三十一文字」しかないのである。通常は同じ言葉の繰り返しは、はばかるのではなかろうか。先の歌のあまりのあからさまといい、この歌といい、明石入道には歌の才能がないようである。ひょっとするとこのような風雅に疎かったことが、中央政界を逃げ出さざるを得なかった原因になったのかもしれない。あるいは明石という鄙に二十年以上住み慣れてしまったために、和歌の心も分からなくなってしまったのかもしれない。

 その後、源氏と明石君とのやり取りは、二転三転の我慢比べ意地くらべになるが、もちろん結ばれる。それが明石一族の繁栄につながるとは、この時点ではさすがの明石入道も考えてはいなかっただろう。彼の壮大な「願望」が成就するのは、これから十九年後、明石姫君(源氏と明石君の子)の第一皇子が、春宮になった時のことである。明石入道の「願望」についてはここでは言うまい。


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