源氏物語

源氏物語たより351

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   子ゆえに泣く   源氏物語たより351

紫式部に子供を描かせると見事である。特に親子の別れの描写は、読者の涙を誘わないではおかない。

 たとえば明石君が、姫君と別れる大井の場面がその一つで、秀逸である。決して親子の別れの悲しみが大仰に描かれているわけではないのだが、じんと心に響いてくるものがある。
 明石君にとって姫君を手放すことは、腸を断たれるほどに辛い。しかし娘の将来を考えれば、光源氏に任せて、紫上に育ててもらうしかない。そう覚悟を決めてはいたものの、実際に源氏が迎えにやってくると、我慢できずに泣き伏すのである。
 しかし、姫君は
 『何心もなく御車に乗らんことを急ぎ給ふ』
ばかりなのである。三歳の姫君にとっては、今自分がどういう状況におかれているのか分からない。だから母親の嘆きを理解できるはずもなく、ただ、車に乗ることだけが、彼女には珍しいことであり、嬉しいのである。明石君が、車のところまで姫君を抱いて行くその間に、彼女の話す
 『片言の声はいと美し』
く聞こえる。そして車に乗ると、母の衣の袖を捉えて、こう言うのだ。
 『のり給へ』
 母も一緒に二条院(源氏の邸)に行くものと思っているのだ。
 姫君は二条院への道すがら寝てしまった。邸に着き抱き下ろされても泣きもしない。しかし周囲を見廻らすと、
 『母の見えぬを求めて、らうたげにうちひそめ給ふ』
のである「うちひそむ」とは、べそをかくことである。大泣きはしないで、子供心に母親のいないことを必死に我慢しているのだろう。
 ここでは「のり給へ」が誠に効果的である。このように紫式部の筆によって、幼子の愛らしさが簡潔な描写の中に活写されるのだ。

 藤壺中宮が出家に際して、春宮(後の冷泉帝)と交わす会話もまた涙を絞る。源氏の執拗な求愛に困じ果てた中宮は、自分が出家する以外に春宮の安泰は計れないと出家を決意する。中宮は、このことを事前に春宮に次のようにほのめかす。
 「自分の姿が変わってしまったとしたら、あなたはどう思いますか」
 ところが、六歳の春宮には、母が何を言わんとしているのか事情が呑み込めない。そこで的外れな感想をにっこり笑いながらこう言うのだ。
 「あの年老いた女房の式部のようにですか。お母様があんなふうになられるはずはないでしょう」
 中宮は、あまりにもあどけない春宮の反応に、言っても甲斐もないと思いもし、また一方いじらしく我が子を眺めるのである。そしてさらにこう言い足す。
 「それは歳をとれば誰でも式部のように醜くなります。そうではなくてね、黒い着物を着て夜居の僧みたいになるってことなのですよ。そうなればあなたとも久しく逢えなくなってしまうのですけれどもね」
 それでもまだ母の出家という重大な事情を掴めなかったのだろう、春宮はこう言うのである。
 『久しうおはせぬは、恋しきものを』
 (お母様が久しく内裏に来られないのでは、恋しくてならなくなります)
 僧というものがどういうものなのかを理解していないのだ。それよりも春宮にとって一番気になることは母に逢えないことの一点だけなのである。

 最後に匂宮についてみてみよう。匂宮は、帝と明石中宮の間の子で、第三皇子であるが、幼い時から義理の祖母である紫上に愛されて育った。
 自分の命もそう長くはないと思ったのだろう、紫上は、匂宮をそばに座らせてこう語りかける。
 「私がいなくなったら、あなたは私のことを思い出してくれるかしら」
 すると匂宮は、悲しみで目を押しすりながらこう言う。
 『いと恋しかりなむ。まろは内裏(うち 父帝)のうえよりも、宮(明石中宮)よりも、母(紫上のこと)をこそまさりて思ひ聞ゆれ。おはせずば心地むつかしかりなむ』
 彼は、母や父よりも、祖母の紫上が一番に恋しく大事に思っているというのだ。この時、匂宮五歳。やや大人ぶって気の利き過ぎた答えのようには思うが、この宮は小さい頃からこましゃくれたところのある子であった。だからこの程度のことは言えるのだろうし、彼の本心の吐露なのだろう。
 しかし、果たして五歳の子が、紫上の言うことを「死別」と捉えたかどうかは判然としない。また人の死がいかなるものであるのかも分かっていたのかどうかも読み取れない。が、いずれにしても紫上の、日頃と違った思い詰めた真剣さに異常なものを感じ取ったことは確かである。目をこすって涙を紛らわそうとしているところにそれが現われている。
 紫上が、さらに庭の紅梅と桜の木を指して、
 「大人になったらこの花を大事にして、時には仏様にもお供えしてね」
と言うと、宮は
 『うちうなづきて、(紫上の)御顔をまぼりて、涙の落つべかめれば、立ちておはしぬ』
のである。「まぼる」とはじっと見つめるということである。紫上の顔をじっと見つめているうちに涙が滲んできてしまった。涙が落ちてしまうのを紫上に見られるのが恥ずかしくなって、彼は紫上の前を去って行った。この時には、「仏様」が紫上を指しているということをうすうす感じ取っていたのかもしれない。

 このように紫式部は、子供の言動を最大限に生かして読者の心情を揺らせる。特に、最後の匂宮の言動は、紫上の哀しみを一層引き立たせる効果を生んでいる。


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