源氏物語

源氏物語たより352

 ←源氏物語たより351 →源氏物語たより354
   桐壷帝に見る究極の愛の形   源氏物語たより352

 以前、『桐壷帝は凡庸な天皇か』(たより48)という文章を書いたことがある。
桐壺帝は、醍醐天皇をモデルにしているとはよく言われるところである。醍醐天皇は、優れた事績を残していているし、よく治まっていた時代であったので、後代「延喜の治」と言われるようになった。また醍醐天皇は「聖帝」とも評価されている。
さて、それでは桐壺帝はどうだっただろうか。少なくとも物語の上では、この時代がよく治まっていたとも見えないし、優れた事績を残しているとも言えない。むしろ帝の行動は、批判されこそすれ褒められたものではない。そのいくつかを『桐壷』の巻から上げてみよう。

 〔桐壺更衣に対する偏愛〕

 帝は、「女御・更衣あまたさぶらひ給ふ」にもかかわらず、出身のさしてよくない桐壷更衣ばかりを寵愛した。女御には、大臣出身の姫君か宮家の子女などがなり、更衣はそれ以下の出身の娘である。帝たるものは、あまたの女御・更衣を等しく愛さなければならないという義務がある。が、まずは女御を第一に尊重し愛さなければならないのだ。更衣への愛はそのお余りというのが順序である。ところが、桐壺帝は、桐壺更衣の局に「ひまなき御前渡り」をされるし、桐壺更衣もまた、帝のところに「あまりにうちしきる」ほど渡って行くのだ。これでは、他の女御・更衣がカリカリするのは「ことわり」というものである。
 また、桐壺更衣の死に臨んでの、帝のうろたえぶりが異常である。天皇以外のものが宮中で死ぬことは絶対許されぬという掟が厳然とあるにもかかわらず、その直前まで、更衣を宮中にとどめ置いた。更衣の母は、こんな時に「あるまじき恥(歴史に残るような宮中での死)もこそ」と言って、泣いて里への退出を訴えているにもかかわらず、なかなかそれを許そうとしない。しかも瀕死の更衣を見ながら、
 『かくながらともかくもならむを御覧じ果てむと思し召す』
のだから常軌を逸している。「たとえ死ぬともどうなろうとも、このままの状態で最期まで看取ろう」というのだから、異様なほどの愛というしかない。
 益田勝美によると、皇后にしろ女御にしろ、宮中で亡くなった者はかつていないそうである。その歴史的事実を破ったのは、白河天皇(在位1072~1086)だそうだ。源氏物語が書かれたよりも八十年余も後のことである(『火山列島の思想 筑摩書房』)。
 桐壺帝は、危うく歴史に名を残すところであった。なぜなら、桐壺更衣は、里に下がったその晩の
 『夜中、うち過ぐるほどになむ、絶え果て給ひぬる』
のであったから。間一髪であった。
 さらに、退出するに際しては「手車の宣旨」を出している。また死した更衣に「三位」の位を贈っている。手車は、皇后や親王や大臣、あるいは大僧正などが許される特別な乗り物である。また、更衣には「五位」が相当なのである。

 〔光源氏を寵愛〕
 
 桐壺更衣の子である光源氏を愛するがゆえに、彼を春宮にと内心考えていることも掟破りと言える。帝には、すでに弘徽殿女御との間に第一皇子がいる。これが春宮に立つのは当然のことで、世間でもこの第一皇子を「疑ひなき儲けの君(春宮)」として、大切に扱っているのだ。源氏を春宮に立てれば、世の中が大騒ぎになること必定である。そもそも源氏にはしかるべき後見は皆無なのだ。

 このような帝の行為は常軌を逸したものと言わざるを得ない。
 しかし、何度も『桐壷』の巻を読んでいくうちに、桐壺帝の掟破りにもそれなりの意味があるのだということに気付いてくる。それは「恋のわりなさ」という面からであり、「究極の恋のあり方」という意味からである。
 桐壺更衣が、我かの状態にあった時に、絞り出すように詠み上げた
  『限りとて別るる道の悲しきに いかまほしきは命なりけり』
の歌は、恋の絶唱だと思う。源氏物語全編中での白眉の一首といってもいいだろう。この歌を詠った後の彼女の姿がこう描かれている。
 『息も絶えつつ聞こえまほしげなることはありげなれど、いと苦しげにたゆげなれば』 
もうものを言う気力もなくなってしまっていたのだ。この「聞こえまほしげなること」とは一体なんであろうか、今までもしばしば論議されてきた問題である。中には
 「源氏を春宮にしてほしいことだ」
などという人もいるが、それはありえない。ここは愛の究極の場面以外のなにものでもないのだ。そんな時に、「息子(源氏)を春宮に」などという現実的、利己的なことを言うはずはないではないか。もしそんな現実的・利己的なことを言いたかったのだとすれば、帝の愛は一朝にして冷めてしまうことであろう。
 彼女が、「聞こえまほし」かったことは、帝の愛に対する感謝の気持ち以外のなにものでもない。何度も何度も掟を破ってまで自分を愛してくれた帝なのだ。これほど愛してくれる帝を残して、死の道に就けようか。
 「命に限りがあるということは十分わかっています、分かってはいますけれども、帝の愛に報いることなく逝ってしまうことなど、とても無念なことでできるものではありません。私が行きたいのは、帝の愛に報いることのできる命の道の方なのです」

 この歌は、その直前にある帝の言葉に応えたもので、いわば返歌にあたるものである。帝の言葉とは
 『限りあらむ道にも、後れ先だたじと契らせ給ひけるを、さりともうち捨ててはえ行きやらじ』
である。「さりとも」とは「いくらなんでも」という意味で、「死ぬのも一緒と契ったではないか。それにこれ程愛している私を、いくらなんでも捨てて逝ってしまうなんてことはないだろう」ということである。「後れ先だたじ」とは、いわゆる「偕老同穴」の思いのほとばしりである。海の底深くにカイロウドウケツという海綿体の生物が住んでいるそうだ。円筒状の体をしていて、その中にドウケツエビというエビが住みこむ。このエビは、必ず雌雄で円筒形の穴の中に入って、そこで一生を過ごすという。夫婦仲の良さを譬えたものである。
 カイロウドウケツの体はガラス質だそうで固く覆われている。だから恐らくその中に入ってしまえば、敵の心配もなく、エビは死ぬまで安穏に暮らせるのだろう。
 ところが、帝ともなれば、周囲は敵だらけだ。そんな中で「わりない愛」を貫くことは容易ではない。女御・更衣を平等に愛するのが安穏ないき方である。しかし、桐壺帝はそういう安穏を選ばなかった。非難も中傷も人のそねみも恨みも一切を無視して、純粋な愛の世界を突き走った。神聖な天皇という立場を捨てて、人の情けの世界に生きたのだ。愛や恋は往々にして理性を越えたものになる。人の世でもしばしば見られる現象で、愛や恋は、時に信じられない行為を引き起こす。
桐壺帝は、「政を疎かにしてしまう」ほどの天皇で、天皇としては「凡庸であった」と言っていいかもしれないが、一人の人間として生きたという面では、崇高な行為ともいえるのである。

 私は、この桐壺帝と桐壺更衣のわりない愛の形が、後の光源氏に投影されていっているものと思う。源氏の恋で尋常なものがあったろうか。葵上や明石君や女三宮は、親(左大臣、明石入道、朱雀帝)がおぜん立てしたものだからとにかくとして、空蝉や夕顔や玉鬘などは、源氏が相手にすべき女性ではないのに、彼は、彼女たちとの恋にのめり込んでいった。朧月夜もそうだ。彼女は朱雀帝が寵愛する妃なのである。『花宴』での逢瀬までは許されるとしても、その後は許されることではない。藤壺宮に対する激しい恋情などは、今さら言うを待たない。
 柏木と女三宮の恋も同じ範疇に入る。
 それでも恋の「わりなさ」を留めかねるのが人間の「性」というものなのである。そして多くの場合、「わりない恋」は人の謗りを受ける。桐壺帝の恋も、多くの人の謗りを受けた。二人の恋はますます狭められていく。それだからこそ、この上なく純粋な恋に昇華されていくのだ。「平安な恋」は恋ではない。
 桐壺帝の型破りの恋の姿は、実は源氏物語全体にかかわっていく重要な意味を持っていたのだ、ということに最近気付いた。

 先の『限りとて別るる道の・・』の歌をもう一度かみしめてみる必要があろう。また、源氏と藤壺宮の恋も「わりなき」ものであったがゆえに美しい。二度目の逢瀬の時の源氏の歌も恋の絶唱と捉えることができる。このような状況でこそ「あはれ」な歌ができるのだ。
 『見てもまた逢ふ夜まれなる 夢のうちにやがてまぎるる命ともがな』
 (今はこうして逢ってはいるものの、これからはもうあなたに逢う夜などないのだ。いっそうのことこのまま嬉しい夢の中に消えて行ってしまえたら)

もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより351】へ
  • 【源氏物語たより354】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより351】へ
  • 【源氏物語たより354】へ