源氏物語

源氏物語たより354

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   源氏物語の読まれ方  源氏物語たより354

 源氏物語はどのようにして人々に鑑賞されていたのだろうか、極めて興味のあることである。当時は印刷技術が確立されていたわけではないので、限られた冊数しかなく、それを多くの人が争って読んでいただろうことは想像できる。
 玉上琢弥は、この点での先駆的な意見の提示者であるようで、彼の意見が今では概ね賛同を得ているように見受けられる。角川書房の『源氏物語評釈』の中でも、彼は自説を繰り返し述べている。彼は言う。
 「活字になっている源氏物語を黙読したのではない。女房が読み上げて姫君に聞かせるというのが、当時の鑑賞の在り方であった」
 「読み聞かせ方式」を主張する学者の中には、国宝の源氏物語絵巻の『東屋』の巻を上げて証拠にする人がいる。この場面は、侍女に髪を梳かせている中君と、絵草子に見入っている浮舟との間で、一人の女房が物語を読んでいる図である。絵草子を見ながら、女房の読む物語を聞く、これこそが当時の物語鑑賞の姿である、というのだ。
 また、先日、早稲田大学教授・中野幸一氏の講義を聞いていたらこのことに触れられて、
 「源氏物語の翻訳書が、どれも「・・だ」「・・である」調でなされていることが私には不満です。女房に読ませていたのですから「・・です」「・・ます」調でなければなりません。私もぜひ翻訳してみたいと思っておりますが」
と言っていられた。

 そうだろうか。私はこの考え方を、極めて素朴な観点から疑問視している。
 あれほど長編の物語を女房が読んで、姫君に聞かせるなどということが可能だろうか、という観点からである。もちろん巻ごとに切って読んであげたり、各巻をさらに短く区切って読んだりする方法はある。ただこれだけ面白い物語を「区切り、区切り」に鑑賞することなどできるものではない。そんなことをしていたのでは、この物語の面白味が半減してしまう。姫君は早く先を知りたいのだ。

 以前、「平安時代の物語の朗読の仕方はこのようであった」といって、テープを聞かせてくれた人があった。随分間延びした読み方であったのを記憶している。
 「いづ~れの~ おほん~時にか~ にょうご~こうい~ あま~た~」
というような具合で、昭和天皇の終戦の玉音放送を思い出した。しかも抑揚が大仰なまでにつけられていたのだ。また、鶴見大学で源氏物語の講義を受けた時の講師は、このテープと同じく、あたかも能楽のような読み方をされていた。
もしこの調子で長い源氏物語が読んでいたのだとすれば、姫様は退屈でたまらない。途中でみな寝てしまう。
 姫様にもいろいろいたはずで、聡く鋭い姫様もいたろうし、鈍い姫もいただろう。鈍い姫はあの悠長さでいいだろうが、聡く鋭い姫様は、女房が読むスピードではまどろっこしくてたまらない。ひょっとすると女房から冊子を取り上げて、「いいわよ、私が自分で読むから」とばかりさっさと読んでしまう姫様もいたかもしれない。

 私は『更級日記』の作者・菅原孝標の娘の読み方こそ、源氏物語鑑賞の本道ではなかったかと思う。彼女は叔母からもらった源氏物語に夢中になり、
 『人もまじらず、几帳のうちにうち臥して(物語を)ひき出でつつみる心地、后の位も何かはせむ。昼は日ぐらし夜は目の覚めたる限り、火を近くともして、これを見るよりほかの事なければ』
というほどに、耽読したのである。これが当然の読み方であったはずだ。更級日記が書かれたのは、源氏物語の書かれた約五十年後のことであるが、紫式部の頃も同じであったろう。
 当時の姫様は、皆一流の教育を受けていて、教養・趣味は豊かで、歌も盛んに作った。だからみな源氏物語を読むくらいの教養は十分持っていたのだ。
 それにもう一つ忘れてならないことは、彼女たちにとっては、言葉の抵抗は全くなかったということである。彼女らは「古語」でしゃべっていたのだ。この事実を我々はつい忘れがちになる。そのために「あんなに難しい物語を・・」と思ってしまうのだが、「古語」は彼女らの日常語であって、何も「晦渋」な文章ではなかったのである。「格」が明確でないという源氏物語の文章の特徴も、当時とすれば当然の文体で、「枕草子」なども格が不明確な文章が多い。あえて言えば、光源氏の芸術論や人物論が難しかったり、左馬頭の冗舌が何を言っているのか分からなかったりするぐらいのものであったろう。
 また、風俗、習慣や衣装、家具・調度なども彼女たちの日常の中にあったものなのだ。現代の我々にとっては、「桜襲ってなに」とか「女御と更衣とどう違うの」とか、いちいち引っかかる事象も、彼女たちにとっては当たり前のことで何の抵抗もなかったのだ。
 彼女たちは、源氏物語の魅力に魅かれて先へ先へと読み進めていった。そして「更級日記」の作者がしたように、登場人物に同化し、「一度でもいいから光源氏さまと・・」とか「七夕でもいいから、匂宮のお姿を・・」などと夢想していたのだ。そんな状況にあっては女房は無用の長物である。

 ここで、最初の問題について考えてみよう。
 確かに平安時代は「活字」の恩恵は受けていなかった。しかし、「紫式部日記」にあるように、彼らは源氏物語を争うように筆写していたと考えられる。「紙は高価で・・」とはいうものの、裕福な受領階級にすればさしたる問題ではない。彼らは、娘の結婚の「行李」に源氏物語を結納代わりに入れた(はずだ)。そのために大勢の女房を総動員して「お前は桐壷の巻を」「お前は若菜上を」などと言って、指揮して書写させたであろう。
 もう一つの問題は、男まで源氏物語を読んでいたということである。中宮・彰子が道長の土御門邸に里下がりして出産する時のことである。土御門邸に来ていた藤原公任が
 紫式部の近くにやって来て
 『このわたりにわかむらさきやさぶらふ』
と冗談を言って紫式部を探す場面がある。公任と言えば当代きっての文化人である。そんな大の男も源氏物語の魅力に取りつかれていたのだ。そして、これは公任一人ではあるまい。公任の冗談が、そこにいたみんなの共通な笑いになっているのだ。いかに多くの男たちが、源氏物語を夢中で読み漁っていたかということの証明である。
 彼らが、源氏物語を女房に読ませて、絵草子を見ながら夢中になって聞いている図を想像すると可笑しい。
 現代では、いくら書籍が溢れているとはいうものの、誰が夏目漱石の「坊ちゃん」を女房に読ませるだろうか。誰が山崎豊子の「不毛地帯」を女房に読ませて聞くだろうか。

 最後にもう一つ付け加えておこう。
 「読ませて聞く」の根拠にされている、国宝源氏物語絵巻の「東屋」の場面のことであるが、この絵巻が書かれたのは、源氏物語ができて百年も後の作品である。この絵の作者と言われている藤原隆能も、百年も前に、どのように源氏物語が読まれていたか分からないはずで、彼の想像の産物である。それを根拠にするのは早計である。それに、たった一つの場面をもって「源氏物語もこのように読まれていた」と結論付けるのも強引である。


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