源氏物語

源氏物語たより356

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    ふざけた光源氏  源氏物語たより356

 『夕顔』の巻の書き出し場面には、光源氏の人を食ったような人間性が活写されていて面白い。まず冒頭の文章を上げてみよう。
 『六条わたりの御忍び歩きのころ、内裏(うち)よりまかで給ふ中宿りに、大弐の乳母のいたく患ひて、尼になりにけるとぶらはんとて、五条なる家訪ねておはしたり』
 状況を少し説明しなければならないだろう。源氏は、例のように女性遍歴を繰り返しているが、今回は六条辺の女を尋ねることになったようである。六条と言えば六条御息所のことであろう。(もっともこの段階ではまだ彼女は登場していないのだが)
 「大弐の乳母」とは、何人かいる源氏の乳母のうち、最も重い立場にあった乳母の一人で、彼女の夫か父かが「大宰府の次官」だったことからこの名が付いているのだ。大宰府の次官と言えば従四位下で、地方官としては最高の身分である。その乳母が「重く患った」ために、その病を軽くしようとして尼になったのだろう。
 このような二重の意味からも、乳母とはいえ源氏としてもおろそかにできない人物なのである。源氏はそれを見舞うべく思い立った。ここまでは殊勝なことである。しかし、それはあくまでも「御忍び歩き」の「ついで」だというのだからふざけているし、なんとも失礼な仕儀である。源氏にとって最も重要な位置を占めていた乳母が「重く患って」いるのなら、襟を正して見舞うべきであろう。
 しかもふざけているのは、『五条なる家訪ねておはしたり』と、文章の最後のところになると、いかにも乳母を見舞うことが目的ででもあるかのように描かれていることだ。人を食った表現である。
 この後、源氏は大弐の尼君を見舞う。その時の源氏の挨拶がまた人を食っている。
 「小さい時から、私が最も親しく睦まじくしていたのはあなた(尼君)以外の誰でもありません。ただこのような立場(近衛中将)になってしまいますと、なかなか訪れることもできずにおりました。でも、久しくお会いしないでいると、やはり心細くてなりませんでした」
 彼が訪れることができなかったのは、「御忍びありき」が忙しかったからに過ぎない。なぜなら乳母の家は、六条御息所の邸への途中の五条にあり、尋ねようとすればいつでも寄れたはずだからである。
 『空蝉』の巻を思い出す。源氏は、初めて会った空蝉に向かって、「長い間、人知れずあなたのことを恋い慕っていました」と、ぬけぬけと言っていた。

 『夕顔』の巻の最初の場面には、源氏のあきれた思考や言動が目に付く。
 尼君の家に入ろうとしたが、門に鍵がかかっていて開けられない。そこで鍵を取ってくる間に、源氏は五条の大路の様子を車の中から眺めまわす。源氏の住まいがある二条などに比べると、いかにもむさ苦しい通りだ。彼の目は一軒の小さな家に向けられた。見入れのほどもないような手狭な家で、ものはかない感じがする。それを見た彼は「あはれ」を覚えるのである。この場合の「あはれ」は、「いかにも頼りない気の毒な感じ」というニュアンスであろう。そこで彼はふと古歌を思い出す。古今集の
 『世の中はいづこか指して我がならむ 行き止まるをぞ宿と定むる』
 (この世では、どこを指して自分の宿だなどと定めることができようか。いずれにせよこの世は仮初のものなのだ。だから立派な家などに住むなど意味のないことだ。行き止まったところを自分の宿と思えばそれで十分)
である。そして彼は「金殿玉楼も何になるというのだ」とつぶやく。
 しかし考えてみれば、これは彼が言うべき言葉ではないのだ。彼には自分の「宿」が、なんと三つもあるのだ。二条の本邸、左大臣(葵上)の邸、それに内裏の桐壺舎、いずれも「宿」などというしろものではない。二条の邸は一町はあろう。左大臣邸は二町に及ぶだろう。これらの邸を捨てて、彼は「行き止まった」ところを宿に定めることができるというのだろうか。とんでもないことで、後年、彼は六条に四町にも及ぶ邸宅を建造しているのである。それが『若菜』などの巻の舞台になる六条院である。
 若い公達の鼻持ちならない気障な感じのつぶやきである。

 しかし、これらの言動も、源氏のものだと思うと、つい許してしまうのはなぜなのだろうか。それは彼が多感な感性を持っているからではなかろうか。またその感性を即座に行動に移したり言葉に表したりするからではなかろうか。
 「御忍びありき」の途中とはいえ、乳母が病気と知ると即座に尋ねる。また嘘八百と分かっていても、彼の言葉は、乳母のみならず、乳母一家の涙を誘っているのだ。
 また、普通の感覚の持ち主であれば、門に鍵がかかっていて開けられず、むつかしげな大路にとどめ置かれれば、イライラして「いつまで待たせるのだ」と怒りの気持ちがこみ上げて来るだけであろう。そんな心境の時に、金殿玉楼に住む者は、見入れのほどもないようなむさ苦しい粗末な家に目など止めはしない。ところが、彼の多感さ、豊かな感性は、それらをじっくり観察する余裕を生むのだ。
 この余裕が、地味で目立ちもしないはかない花・夕顔に目を留めることに繋がっていったのだし、この後の『夕顔』の巻という感動的なドラマを生む元になったのである。


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