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源氏物語

源氏物語たより源氏物語たより358

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   「限り」考 掟破りの帝  源氏物語たより358

 『桐壷』の巻には「限り」という言葉が頻発する。これを「限界」と訳すと事の本質を誤ってしまう。にもかかわらず多くの解説書や訳書が「限界」の意味に取っているのだ。
 桐壺更衣が、帝との最後の別れの時に気力を振り絞って詠った
  『限りとて別るる道の悲しきに いかまほしきは命なりけり』
にも、「限り」が使われている。この場合は
 「人の命には限界があります。それは分かっています・・でも」
と取ってもさほどの間違いとはいえないが、しかしこれではなにか物理的な生物学的な死というニュアンスを感じさせるだけで、人の最期を表現する言葉としてはつれない感じがする。 
 彼女は二十歳そこそこの若さで亡くなっているのである。死ぬに死にきれないその無念を思った時には、やはり「宿命」的なものと取った方がいいのではなかろうか。
 「人は遅かれ早かれ死ななければなりません。それは決められたいわば宿命であることは分かっているのですが・・でも」
と訳した方が、より桐壺更衣の心境を伝えられるような気がする。物理的、生物学的な死と割り切ってしまうよりも、宿命のわりなさと取った方が更衣の無念や悲しみが一層浮き彫りにされる。

 同じこの場面に、危篤状態に陥っている桐壺更衣を、内裏からまかでさせようと、彼女の母親が必死で帝にお願いするシーンがある。しかし更衣と別れることを惜しんだ帝はなかなかそれを許そうとはしない。でも
 『限りあればさのみにもえ留めさせ給はず』
ついに帝は、更衣の退出を認める。この「限りあれば」を、山岸徳平氏などは「とめても限界があるから」と訳しているのだが、これなどは明らかな誤りである。このことについては以前、益田勝美氏の論を紹介しながら述べたことがある。益田氏はこの「限り」は、「宮中において天皇以外の者が死ぬことは、絶対に許されざる掟となっていたのだ」と言っていられた。「掟」とはきまりのことである。山岸氏が言う「母親の願いを止めるのには限界がある」ではまるで意味が違ってしまうし、母親の必死さに緊迫感がなくなってしまう。母親は、娘の死が宮中の掟を破ることになるから必死なのだ。

 さて、もう一か所の「限り」をみてみよう。桐壺帝は、光源氏を春宮に立てたいという意向がないではなかった。しかし結局第一皇子(後の朱雀帝)を立坊させることにした。この時、世の人々は
 『さばかりおぼしたれど、限りこそありけれ』
と噂し、弘徽殿女御も、この結果に一安心したのである。「さばかりおぼしたれど」とは、「帝があれほどに源氏を寵愛なさったが」という意味である。
 さてこの場合の「限り」の訳であるが、多くの学者や訳者が、
 「帝が光源氏をあれほど可愛がっていたのだが、子供への愛情には限界があるから」と訳しているのである。そのいくつかを上げてみよう。
 岩波『古典文学大系』 「愛情にはいかにも限界があったのだ」
 角川『源氏物語評釈』 「あれほどお可愛がりなさっていたが、限度があったのだ」
 与謝野晶子 「あれほどの御愛子でも、やはり太子にはお出来になれないのだ」
 谷崎潤一郎 「ものには際限があるのだ」
 円地文子 「あれほどの御愛子であっても、やはりものには限度があって」
 瀬戸内寂聴 「ものには限界があって、そこまでお出来になれなかったのだろう」
 岩波、角川は、明らかに「帝の愛情の限界(限度)」と取っているし、谷崎、円地、瀬戸内も、「帝の愛情の限界」と取っているように思われる。与謝野晶子は、「限り」の訳を省いている。
 子を思う親の愛情に限界などがあるだろうか。この後、帝は、源氏が可愛くてならず、女御や更衣の局を連れ歩いていているのだ。そして、何と弘徽殿女御の部屋にまで連れて行っている。それは源氏への愛に限界がないからだ。そもそも源氏物語は子を思う親の「心の闇」について執拗なほど繰り返しているのである。まして源氏に対しての愛情に限界などあろうはずはない。 
 それではここの「限り」は何を指しているのであろうか。それは立太子する時の「きまり」のことである。東宮には通常、特別支障のない限り、最も身分の高い妃から生まれた第一皇子を立てる。弘徽殿女御は、最も早く入内し、親も右大臣であるし、第一皇子を生んでいる。誰が考えてもこの第一皇子が春宮になるのがすじである。それが過去の習慣であり決まりであったのだ。源氏は第二皇子であるし、母は大納言の娘に過ぎない。しかもその大納言も今はいないのである。いわば落ちぶれ貴族で、そんな子を春宮にすれば,世は乱れるに決まっている。
 平安時代の天皇をみても、基本的には第一皇子が春宮になり天皇になっている。もちろん兄弟が順になっていることもあるし、事情で第二皇子や第三皇子にイレギュラーすることもあるが。
 その意味で、小学館の『日本の古典』は、この部分を
 「あれほどおかわいがりになっていらっしゃっても、やはりきまりというものがあったのだ」
と訳しているのは卓見である。言葉一つとっても、これ程に違いが出るものかと、あらためて感慨を覚える。
 
 それにしても、桐壺帝は、この「きまり」を随分破っている。桐壺更衣の退出に際しては「手車の宣旨」を出している。「手車」は、東宮や大臣など限られた人しか乗れない特別な輿である。また彼女に死後、三位の位を授けているが、更衣は五位(四位もある)が通例で、三位は全く破格の待遇である。
 帝は、決まりを破ってでも、更衣への愛を示さずにはいられなかったということであろうが、愛というものの「わりなさ」をしみじみ感じさせられる常軌をはずれの帝の措置である。


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