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源氏物語

源氏物語たより359(玉手箱1)

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   古語の楽しさ 「近まさり」 源氏物語たより359(玉手箱1)

 古語の味わい深さにはしばしば感心させられるのだが、この「近まさり」もその一つである。意味は
 「近づいてみると、離れて見るよりもすぐれて見えること 旺文社 全訳古語辞典」
である。遠くで見ていた時にはそれほどとも思わなかったものが、近くで見てみるとなかなか魅力的であったということで、今でも親しく付き合ってみたらその人の良さがよく分かったなどということがあるものだが、そんな時に使う言葉のようである。
 『宇津保物語』の「蔵開 中」の巻に、物語の主人公である仲忠が持ってきた本を、帝が読ませて聞こうとする場面にこの言葉が使われている。本を読ませる前に、帝は、仲忠に酒を大いに勧める。酒を飲みながら、本に向かっている仲忠の姿が火影に映って、その顔や有様が大層素晴らしく見える。そこで帝はこう言って愛でる。
 『見る眼よりも近まさりする人にぞありける』
 (一寸見よりも、近くで見た方が一層美しい人だ)
 このように、多くは人の性格や容貌に対しての褒め言葉として使われる。

 源氏物語の『明石』の巻にもこの言葉が使われている。身分差を恥じた明石君は、源氏の誘いにもなかなか靡こうとしなかった。ようよう関係を結んだ源氏は、彼女が気品にあふれたすっきりした人柄であることに魅かれる。彼女との宿縁が浅くはなかったとしみじみいとおしさを覚える。その時、源氏には、明石の君が
 『御心ざしの、近まさりするなるべし』
と見えたようである。明石君をこのように近くで見ることによって、その人となりが想像以上に優れて源氏には見えたということである。なにしろ明石入道は、娘の明石君のことを自慢し続けていたのだ。殊に彼女が琴の名手であるという自慢話は、源氏をいたく刺激した。早く会ってみたいと思っていたのだが、身分を恥じた明石君の気おくれや心配性のあまり、なかなか逢うことができずにいた。今までは遠くで想像しているしかなかったのだが、実際に逢ってみると想像していたよりもはるかに優れた女性であったと驚いたのである。まさに「近まさり」である。

 もう一つ面白い例を挙げよう。
 紫式部は二十九歳の時に、十七才も年上の藤原宣孝と結婚した。宣孝はなかなかの風流人であり、女性にももてたようである。その宣孝にこんな歌を贈っている。
 『折りてみば近まさりせよ桃の花 思ひぐまなき桜惜しまず』
 「桃の花」は紫式部自身を、「桜」は宣孝の愛人を表している。また「折りてみば」とは「結婚したのだから」、「思ひぐまなし」とは「何でも知っている」ということで、この場合は「男については何でも知っている」という意。全体の歌意は、
 「あなたはもう私と結婚したのですから、私が予想以上に良い女だったと思ってほしいものですわ。あんな男に目のない女のことなんて忘れてしまいなさいよ」
ということである。紫式部と結婚した後まで、宣孝が女と交際していたのに腹を立てたのかもしれない。そこで、もういい加減にあんな男好きな女のことなどさっぱり忘れてしまいなさいよ、と訴えたのだ。彼女の気の強さ、歯に衣着せぬ性格が表われていて可笑しい。それにしても自分のことを「近まさり」する女とはおこがましい。

 ところで、この「近まさり」に対して、「近劣り」という言葉もあるのには笑ってしまう。意味は言うまでもないが
 「近くで見ると、遠くで見るよりも劣って見える」
ということである。いわゆる「夜目、遠目、傘のうち」である。
 これが、源氏物語の『総角』の巻に使われている。薫の求愛に対して、大君は一向にこれを受け入れようとはせず、むしろ「妹の中の君を薫に」と思うのである。中の君は、姉の大君から見ても、年ごろだし匂いたつように美しく、髪を洗い清めた姿などは、もの思いも忘れてしまうほど素晴らしい。大君は妹を眺めながらこう思う。
 『人に見え給はんに、さりとも近劣りしては思はずやあらん』
 この場合の「人」は薫のことである。「中の君が、薫と結婚するようになった場合、これほど美しいのだから、いくらなんでも、薫が近くで見た時に、見劣りするようなことはよもやあるまい」という意味である。
 
 「近まさり」はとにかくとして、「見劣り」まであることに、古代人の言葉に対するあくなき執着とユーモア精神に感動させられる。

 これと同じような意味を持つ言葉に「見まさり」「見劣り」がある。これは、「予想していたよりも」というニュアンスで、「近寄ってみたら」という感じは必ずしもない。予想していたよしも「現実には」というニュアンスである。なお「見劣り」は現代でもよく使われる。 

 さて、先の『明石』の巻の「近まさり」についてであるが、いろいろの解説書や訳書の解釈はどうもすべて間違っているのではないかと思うのである。この「近まさり」を、いずれの書も
 「源氏の愛情が一層増してきた」
としているのだが、これでは「源氏の情愛」そのものが「近まさり」の対象となってしまうではないか。ここはあくまでも明石君の人柄や容貌が対象になっているのである。明石君の人柄や容貌が近くで見てみると想像していたよりもはるかに優れて見えたということを言いたいのであって、源氏の気持ちが「近まさり」したことではない。「御心ざしの」というのは、「源氏のお気持ちとしては」という意味であろう。
 あえて言えば、この「近まさり」は、掛詞のように使われているとも考えられる。つまり明石君そのものが源氏の目には「近まさり」して見えたとともに、源氏の情愛も、明石君に近くで逢ったためにますます「まさってきた」という、両方を兼ねているということである。こう解釈した時に、長いこと明石君の人となりをイライラしながら想像していた源氏の心境が鮮明になってくるのかもしれない。




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