スポンサー広告

スポンサーサイト

 ←源氏物語たより361 →源氏物語たより363
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより361】へ
  • 【源氏物語たより363】へ
  • TB(-)|
  • CO(-) 
  • Edit
 

源氏物語

源氏物語たより362

 ←源氏物語たより361 →源氏物語たより363
   夕顔に興味を持つようになった「ゆゑ」 源氏物語たより362

 光源氏が、なぜ夕顔に関心を抱くようになったのかについては、いささか納得できない点があるのだが、それでもことの意外性に心を動かされたということをその理由の一つとして上げることはできるかもしれない。 
 ごみごみした五条大路あたりの、手狭でみすぼらしい屋敷の塀や屋根の端に、見たこともない白い花が咲いている。その咲き方は、いかにものびのびとして笑みを含んだようである。源氏は、花の名を知りたく思って、「をちかた人に(もの申す我・・)」と一人ごちた。ごみごみとした大路、そしてみすぼらしい屋敷に嬉々として咲いている白い花の意外性が、まず源氏と夕顔を近づける本になった。
 源氏の言いつけで、随人がその屋敷に入り、夕顔の花を一枝折って戻ろうとすると、源氏の「をちかた人に」の声を聞き付けた屋敷の女主は、女童を戸口に出して
 「この扇にその花を乗せて御主人にたてまつれ」
と言う。この措置が、また源氏の耳目を引くのである。女童は、生絹(すずし)の一重袴を長く着なして、なんとも可愛い。「夕顔の枝は頼りないので、扇に乗せて御主人に奉れ」と言うセンスと女童の可愛さ。こんなものはかなげな屋敷にしては、思いもかけない意外な出来事が二つも重なった。感性鋭い源氏が心を動かされないはずはない。

 この後、惟光の母の病気を見舞うのだが、見舞いの言葉を述べる間ももどかしく、源氏の意識は扇のことで占められていたはずだ。惟光の邸を出ようとした途端に、紙燭(しそく)を持ってこさせて、そそくさと扇を見ている源氏の姿に、彼のはやる気持ちを察することができる。
 と、そこでまた彼はこと意外性に心を騒がせるのである。扇には深く香が焚かれ、使い慣れたものであった。源氏が花の名を問うているのを聞いてから、扇に香を焚くのは無理だ。そこで使い慣れた扇を差し出したのであるが、その即妙さはあざやかである。
 扇には歌が書かれていた。その文字が、なかなか品位があり風情もある。即座にこれだけの対応ができるのは、まさに伊勢物語が言うところの「いちはやき雅」だ。
 女が、大路にいる誰とも分からぬ貴公子の問に答えようとしたのは、何の変哲もない夕顔の花に関心を寄せ、そんな花に光を添えてくれた男の雅に応えようとしたかったからだ。

 源氏が、惟光に隣の女の素性を聞いた時に、惟光は
 「また源氏さまの例の面倒な色好みが始まったわい」
と軽くあしらうのだが、彼は源氏の思いを知らないからそうした態度を取ったのだ。惟光は、源氏が大路で見た夕顔の花の経緯も、また戸口から出てきた女童のことも知らない。それに、扇に書かれていた歌やその文字の「あてはかでゆゑづいた」さまも見ていないだろう。だから単純に「源氏の好色」と取ったのだ。
 惟光のつれない返事を聞いた源氏は、
 『されど、この扇の尋ねまほしきゆゑありて見ゆるを』
と言っている。「ゆゑ」とは、今まで述べてきたことどもである。

 源氏には何を置いても忠実な惟光は、この後、あれこれ奔走して、ついに源氏を夕顔の屋敷に手引きし、ここから二人の深い情交が始まる。

 ところで、これだけの「ゆゑ」をもって、源氏が痛く夕顔に執着していく根拠とすることに、読者は納得できるだろうか。それは無理な「ゆゑ」と言わざるを得ない。どう見てもこの女は「下の品」の身分である。なにしろこの屋敷は「見入れのほどもない」ほどに手狭なのである。後にもこのことがよく分かる場面がある。源氏が夕顔と床を共にしていると、朝早く起き出した隣り近所の身分いやしき輩の話し声が聞こえて来るし、また、
 『唐臼の音も枕上(まくらがみ)』
と覚えるほど近くに聞こえて来るのである。唐臼の音はそれほど大きいとは言えない。それが「ごほごほと雷よりも大きく」枕元に聞こえるというのだから、その屋敷の狭さは推して知ることができる。せいぜい百坪ほどのものであろう。
 そんな「下の品」のところに、先ほどの「ゆゑ」くらいをもって、天皇の第二皇子たるものが通うだろうか。雨夜の品定めで、
 『下のきざみという際(きわ 身分)になれば、殊に耳たたずかし』
と、例のおしゃべりの左馬頭さえ問題にしていないのだ。
 源氏の、空蝉とのアバンチュールは、雨夜の品定めの「中の品」の話に触発されたものである。夕顔との交情もあの品定めに触発されたことに間違いはないだろう。しかし、二人が運命的な巡り会いをする根拠としては、あまりに弱い。玉上琢弥はこの『夕顔』の巻は、無理や間違いや失策が多すぎると言い、こともあろうに「稚拙」であるとも言っている。そしてこうも言っているのだ。
 「ありうべからざることを平気で語った昔物語に慣れて、反省が不十分なのである。この作者は、後になるとこんな無理な運びはしない」
 天下の紫式部に向かって「なんという失礼な」と思うのだが、ここも夕顔との運命的な邂逅の「ゆゑ」としては無理と言わざるを得ない。
 でも、この巻が見事な短編であることに違いはない。早稲田大学の中野幸一氏がこの巻の面白く優れていることに言及されていられたが、若干の無理はあるとしても、同感である。とにかく面白い巻である。

 さてそれでは、先の問題(夕顔に出会うきっかけ)をどう構成していったらいいのだろうか。源氏物語はさまざまな関心を読者に突きつけて離さない。



もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより361】へ
  • 【源氏物語たより363】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより361】へ
  • 【源氏物語たより363】へ
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。