源氏物語

源氏物語たより365

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   紫式部は構想を立てなかった  源氏物語たより365

 早稲田大学の中野幸一教授の講座を今回も受けている。斬新な学説もあり誠に楽しい講座である。今回のテーマは「源氏物語の謎」ということで、第一回目は
 「源氏物語は五十四帖にも及ぶ長編物語であるが、当初から壮大な構想の下に書かれたものではない、たとえば『空蝉』や『夕顔』や『末摘花』の巻で分かるように、その巻だけで完結するもので、その後は、読者の反応を見ながら書き綴っていったものである、源氏物語は“一巻読み切りの物語”である」
という内容であった。
 私は、そういう見方もできるけれども、果たして全体をこの説で割り切ってしまっていいものか疑問に感じた。確かに『空蝉』や『夕顔』の巻を見る限り「一巻読み切り完結型」と言っても差し支えない気はする。空蝉は、後に尼となり二条東院で源氏の世話になるだけで、物語上何ら活躍の場はないのだ。また夕顔も六条の廃院で頓死して終わりである。後の玉鬘の物語は、夕顔とは切り離して読むことに何の差しさわりもない。玉鬘の登場は突然のことであり、『夕顔』の巻で既に玉鬘の物語が構想されていたとは考えにくい。
 しかし、だからと言って他の巻もこれに準じて結論付けてしまっていいだろうか。私は、疑問を抑えきれずに講座の最後に質問をした。
 「『若紫』の巻で、光源氏が北山にわらは病の治療に行った時に、供人の良清が明石の話をしていますが、それは後の『明石』の巻を構想していたことに繋がっているといえるのではないでしょうか。
 また、『須磨』『明石』の巻で、明石入道が娘の将来に対して不相応なほどの大願(光源氏に娘を嫁がせたい)を持っていることが述べられていますが、それは『若菜』の巻の明石入道が語る壮大な夢と結びつくものではないのでしょうか」
 中野先生は前者の件については、にべもなく
 「『若紫』の巻と『明石』の巻とは全く結びつくものではありません。そもそも明石の君の年齢を考えただけでも、二つの巻には関連性がないということが分かります。源氏が明石の君と逢った時に、明石の君は十八歳、源氏は二十七歳です。つまり九歳の差があるということです。これで計算しますと、北山で良清が語った時の明石の君の年齢は九歳ということになります。九歳の子に結婚を申し込むなどということがあるでしょうか。『若紫』の巻では、明石のことは構想していなかったという証拠です」
と言われた。
 後者の問題については「言わずもがな」と思われたのか、一切触れてはくれなかった。
 この年齢のことは確かに矛盾があるので、反論のしようはないのだが、ただ年齢だけでこの問題を割り切ってしまっていいものだろうか。まず北山における良清の話をつぶさに見てみよう。彼は明石入道の豪勢な生活ぶりから語り始めている。明石入道は、中央官庁の身分(近衛の中将)を捨てて播磨の受領に収まり、多大な財産を手に入れた。その後、彼は明石に定住し、広壮な家・邸を設ける。その邸や経済状態たるや
 『そこら遥かに、いかめしう占めて造れるさま、さはいえど国の司にてしおきけることなれば、残りの齢(よはひ)豊かに経るべき心構えも二なくしたりける』
という具合であった。受領という官職がいかに余得の多いものであったかがこのことでもよく分かる。「上国」以上の受領を四年間勤めれば一生が保証されるほどなのだ。特に播磨の国は「大国」で、豊かな地で実入りは多い。明石入道の邸は「遥か」に広がる土地を占め、荘厳な構えである。また「残りの齢」を送るには何の心配もなく、これ以上ないというほどの経済状態にしてあるというのだ。
 後に源氏は六条院を建造するが、明石の君の住まいである「冬の町」に「蔵町」を造っている。これは何を表わしているのだろうか。実は明石入道が蓄財した膨大な財産をここに収めるためなのだ。
 そんな財産家の娘に目をつけない男などあろうか。もしここに婿に入れれば一生左団扇なのである。たとえ九歳であろうが、結婚を申し込むというのが筋というものではなかろうか。源氏もわずか十歳の紫上を引き取っているではないか。それは彼女の将来に望みを託したからだ。いずれも年齢に関係ないことである。
 
 後者の問題、つまり明石入道の激しい執着は、ずっと後に彼が語る明石の君誕生にまつわる壮大な「夢見」なくしては理解できないものである。つまりこの段階で、紫式部は、明石入道の執着をいずれどこかで生かそうと考えていたことは疑えないのである。

 ここで、別の面からもう一度『若紫』の巻をみてみよう。この巻にあまりにも突然に藤壺宮と源氏との濃厚な性の場面が挿入されているが、この問題はどう考えたらいいのだろうか。もし一巻読み切りであったなら、この巻は紫上の話しに終始すればよかったはずである。そうすれば「若紫」という巻名が表すように、清らかで爽やかな若者の恋の物語ができていたはずである。
 ところが何とそこに生々しくも濃厚な大人のラブシーンを挟み込んでいるのである。それは『紅葉賀』や『榊』の巻における源氏と藤壺宮とのわりない関係を構想していたからに他ならない。
 『花宴』の巻の終わり方も、一巻読み切りではないことを示している。源氏は、右大臣家で行われた「藤の宴」の折に、朧月夜にやっと再会できたのだが、なんとその瞬間
 『うれしきものから』
というあまりにも意想外な終わり方でこの巻が閉じられているのである。この終末の表現は、今後の二人の風雲急を告げている。案の定『榊』の巻で二人の不倫が発覚し、『須磨』に流れていかざるを得なくなるのである。紫式部は『花宴』を書いている時に、これらの後の物語の展開を構想していなかったとはとうてい言えないのである。

 もう一つだけ例を上げてみよう。『末摘花』の巻である。この巻は確かにこれだけで十分完成している「一巻読み切り」型の物語である。本来源氏が相手にするはずのない醜い女性を登場させて、彼女の「鼻が長い」の「痩せ痩せ」であるのと大いに笑い飛ばし侮蔑して読者の歓心買っている。それだけで終わってもいい巻ではある。
 しかし本当にそれだけでいいのだろうか。私は、紫式部が、末摘花という女性に異常なほどの関心を寄せていることに注意しなければならないのではと思うのである。それは、末摘花という女性が、いじめと嘲笑の対象になり、読者の歓心を買えば済むような女性ではないと紫式部が考えている証拠なのである。末摘花は、藤壺宮や紫上などと立ち並ぶ重要な役回りを演じている女性なのである。それは次のような理由からである。
 末摘花は、藤壺宮や紫上などとは正反対に「変化に乏しい面白みのない女性」という人物形象を担っている。彼女こそ、源氏物語を貫く思想「あはれ」の反面教師として存在する重要な人物であるということである。
 その女性が『蓬生』の巻で、あはれとは正反対の「古体」な生き方をしている女性として再登場する。『末摘花』で構成された人物形象が、『蓬生』の巻において見事に生かされ、最高の佳編となったのである。二つの巻は不即不離で、『蓬生』の巻は
 「そうそう、そういえばあのおかしな女はね・・」
と突然思い出して補足的に書かれた巻ではないし、読者の反応に応えたものでもないのである。このことは、彼女が、それ以降も所々に登場していることでも分かることである。末摘花は、紫式部の構想の中に常に生き続けた女性であると言って過ちはなかろう。

 まだまだあげればきりがないのだが、煩雑なので省くことにする。
 中野先生は、「紫式部は読者の反応を見ながら、その場その場で源氏物語を書き続けていったもの」と言われるのだが、そもそも当時は、現在のように出版事情が整備され、読者の反応がたちどころに把握できるような時代ではないのだ。無理な論理である。
 それよりも、彼女はとにかく書くことに憑かれていて、書くことに異常な執念を持っていたことに思いを致すのが肝要なのではなかろうか。彼女にとって読者の反応は問題ではなかった。『紫式部日記』の彼女の鋭い批判精神や容赦ない毒舌を見れば、書くことそのものが彼女の命だったのだ。もちろん『宇治十帖』までのすべてを構想して源氏物語を書いたなどとは思っていないが、少なくとも書きながら、次々それ以降の物語の展開を構想していたに違いないのである。そうして物語は一本の糸に見事に繋がって行った。そうでなければ、『更級日記』の作者が
 『昼は日ぐらし夜は目の覚めたる限り、火を近くともして、これ(源氏物語)を見るよりほかの事なければ』
というほどに夢中になって読み耽ることはないのだ。

 角川書店の『日本古典鑑賞講座』の玉上琢弥氏の文章を読んでいたらこうあった。
 「昔物語は短編の読み切りであった。源氏物語も初めは読み切りの短編であった。・・読者の好評を得て続編を書き、後篇を書きして行き・・何巻かのものとなった。・・だから女主人公を一巻に一人ずつ取り上げていく(のである)」
 ??


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