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源氏物語

源氏物語たより367」

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    紫式部は平凡な人物か  源氏物語たより367
  
 中野幸一先生の講座で、もう一つだけ疑問に思ったことを述べよう。それは前回の「たより366」の最後にほんのわずか触れたことなのだが、あれだけでは意図が伝わらない心配がある。実は中野先生も、非常に大事な問題であるにもかかわらず、いとも簡単に述べられたことなので、私自身その主旨を十分把握できないところがあったのだが、概ね次の通りではなかったかと思われる。
 「源氏物語が世に出る以前に、今ではその内容が分からなくなっている物語が三十を超えるほどもあった。そのことは、枕草子や源氏物語や諸日記などの文献に載っているので存在していたことは確かである。このように今では姿を消してしまっている物語を“散逸物語(さんいつものがたり)”と言う。たとえば源氏物語の帚木の巻に出てくる“交野少将物語”などがその一つである。
 現存しているものには、竹取物語、伊勢物語、宇津保物語、落窪物語などがある。
 源氏物語は、これら散逸物語を含めたものの上に成り立っているのであって、これを度外視しては存在しない物語である。つまり源氏物語は出るべき土壌があって出てきたものなのである。したがって、紫式部を特別視したり彼女が稀有の才能の持ち主であるなどと考えたりするのは間違いである」

 私は、源氏物語は、紫式部と言うたぐいまれな才能の持ち主がいたがためにできた作品であって、紫式部がこの世に生まれていなかったら決して日の目を見ることはなかった、とばかり信じ切っていたので、中野先生の説は青天の霹靂(へきれき)であった。
 確かに源氏物語ができる少し前の作品、藤原道綱の母が描いた『蜻蛉日記』などは、作者の心理が実にきめ細かく描かれていて、女の哀しみや諦観などを見事に表わしているし、また『枕草子』の作者・清少納言の才能も今更言うを待たないほどのものである。彼女たちも、紫式部に匹敵する能力の持ち主で、もし物語を書いていたらさぞ優れた作品ができていたかもしれない。また散逸物語の中にも優れた作品があったかもしれないし、そういう意味で平安中期は、傑出した作品が生まれる機運にあったと言えるかもしれない。
 しかしやはり私は、紫式部あっての源氏物語であるという思いは払拭できない。だから中野先生の説を素直に肯(がえ)んずることはできないでいる。

 まず単純な疑問から提示しよう。もしあの時代に優れた物語が生まれる機運が醸成されていたというのであるならば、なぜその後、源氏物語に匹敵する作品が一つとして出なかったのかということである。確かに物語というジャンルが文学の世界の中心にならなかったという事情はある。鎌倉・室町時代も物語が脚光を浴びるということはなかった。物語が世に出るのは、江戸時代の西鶴などを待たなければならない。
 しかし、少なくとも平安中期には優れた作品が出ていてよさそうなものだ。なにしろ、源氏物語があれほど多くの人に持てはやされたのだから、「我も」という人物が出ても何の不思議もない。
 次に、宇津保物語や落窪物語をみてみよう。
 前者は冗長で締りがなく、作品としての完成度がまるでない。源氏物語なら当然省くべきところをだらだらと書き連ねていく。特に和歌などを不必要に多く羅列しているし、女主人公(あて宮)に対する求婚譚などでは、飽きるほど多くの男が登場する。とにかくテーマに対する集約度がなく全体が散漫なのである。
 落窪物語は、それなりに滑稽なところがあったり緊迫感があったりして面白いのだが、後半は、継子いじめをした継母への仕返しばかりでうんざりしてくる。落窪姫の夫である左近少将道頼による、仕返しは執拗を極め、前半の面白さを半減させてしまう。当時はやっていた「継子物語」の域を一歩も出ていず、変化に乏しい。
 二つの作品とも何度も読み返すような価値ある物語ではない。もとより源氏物語とは比べようもないできである。これらの作品を指して、中野先生が「優れた作品の生まれる土壌」と言われたのだとすれば、納得できないことだし、源氏物語の先駆的作品になったとはとても言い難いものである。

 源氏物語には冗長なところがない(もっとも帚木の巻の左馬頭の話は冗長であるが)。省くべきは省いていてすべての形象が無理なく繋がっている。いわば「そうなるべくしてそう物語は展開している」のである。
 たとえば、光源氏が藤壺宮を思慕するようになっていく経緯や紫上を拉致しなければならない理由が、自然でありそこには何の無理もないのである。また、夕顔が死に至るのも六条御息所が伊勢に下向するようになるのも、誠にスムースな流れである。源氏が朧月夜と弘徽殿で出会う場面などは、一見「偶然すぎる」ようにも思われるが、よく見ればそうなるべき伏線がきっちり張り巡らされているのだ。
 源氏物語は必然の上に成り立っている文学(物語)と言っていい。
 韓国の時代ドラマが好きでよく見るが、
 「そんな馬鹿な!」
 「どうして分かっているのに、そんな無茶をするの!」
などと呆れながら見ることが多い。それでも日本のドラマよりもいいので、我慢して見ている。紫式部が見たら、恐らく失笑してすぐチャンネルを変えてしまうことであろう。玉上琢弥氏はこう言っている。
 「源氏物語の作者は、不自然な事象を作品の中に入れることを肯んじなかった」

 源氏物語の過去の典籍の引用も、何人も真似のできない巧みさである。それは単に紫式部が博識だからできたというものではない。博識な人は他にも多くいるであろうが、彼女のように自在にそれを操る能力を持つ者はいない。彼女はそれらを自家薬籠中のものにして、物語の展開上に信じがたいほどの的確さで駆使しているのだ。
 そういえば中野先生は、紫式部がいろいろな文献を活用していることを「依存表現」と言っていられた。史実依存、説話  依存、物語依存、漢籍依存、仏典依存、和歌依存などである。彼女は、過去の物語や漢籍のみならず、仏典にまで依存しているというのだ。私も、紫式部はこれらの典籍を見事に駆使していると思うのだが、特に優れているのが和歌や催馬楽の引用である。
 ただ問題なのは、この「依存」という言葉が適切であるかどうかである。紫式部の場合は、これらの典籍をはるかに超えてしまっている。「依存」と言うといかにも過去の作品に寄りかかっていてそこから抜け出していないような印象を受けるのだが、彼女の場合は、それらを引きながらも、はるかに別の豊かな世界を創造しているのだ。
 中野先生の当初の説は、何かこのあたりに関連しているのではないかと思われるのである。つまり、過去に紫式部が依存することのできる典籍の成果があったればこそ、源氏物語ができたのだ、別に紫式部が傑出した才能を持っていたからではないのだ、という考えである。
 源氏物語が優れているのは、筋に無理がないことや過去の典籍の活用が巧みであったというだけではない。主題の重厚さ、避けて通れない人の宿運の追及の鋭さ、心理描写の緻密さなど枚挙にいとまがない。
 再度言わせてもらえれば、やはり紫式部でなければできなかったのが源氏物語なのである。


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