源氏物語

源氏物語たより371

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   夕顔、死へのカウントダウン  源氏物語たより371

 光源氏が、夕顔を六条の廃院に連れて行き、その結果、彼女を死に至らしめてしまったことは、誠に罪深い行為と言わざるを得ない。それもみな源氏自身の都合を優先させたがためである。
 確かに近衛の中将ともあろう者が、五条のものはかなげな屋敷に毎夜通うなどは、許されないことではあるし、またそんな雑然とした所は、睦まじく愛を語るには相応しいところでもない。だから、どこかに移したいと思う気持ちも理解できないわけではない。しかし、夕顔自身は自宅で逢うことをさして苦に思っていたわけではなかったのだ。全て源氏自身の立場や思惑や勝手な都合からである。
 あの時、源氏が取れる最善の措置は、やはり夕顔を二条の自宅に迎えることであったろう。源氏の正妻は左大臣の家にいるのだし、紫上もまだ引き取ってはいない。とかくの噂は起ころうが、彼女の死という最悪の結果を招いてしまうよりはるかに良かった。現に彼は、夕顔と逢えない夜などは、忍び難くて
 『誰となくて二条の院に迎へてん。もし聞こえありて便なかるべきことなりとも、さるべきにこそ(あらめ)』
とまで思っていたのだ。「さるべきにこそ」とは、「そうなるのが宿命なのだ」ということで、どのような問題が起ころうとも夕顔と一緒になるのは自分の定めなのだという覚悟までしていたのだ。
 夕顔を死に至らしめてしまったのは、源氏の配慮不足と判断の甘さであったことに他ならないのである。
 もっとも、こと女性関係となると、彼はいつも正常心失ってしまうのである。夕顔の死は、彼に深刻なショックを与えたはずなのだが、その後も、それが源氏の女性関係に生かされていないのだ。それも全て彼の配慮不足であり判断ミスばかりなのである。藤壺宮とのことはその最たるものであろう。また朧月夜とは身を滅ぼしかねない憂き目にあっている。ずっと後の女三宮との婚姻は、源氏自身の人生を狂わせてしまった。
(でもそれが故に源氏物語は面白いのだが)

 さてそれでは、夕顔はどのようにして死に至ったのか、またなぜそうなってしまったのかを追ってみよう。
 最初に「夕顔を別のところに」と思ったのは、「二条の邸に迎へてん」と思ったまさにその時のことである。彼はこう言っている。
 『いざ、いと心安き所にて、のどかに聞こえむ(話をしましょう)』
 この「心安き所」の中には、二条の院も候補として入っていたはずである。それに対して、夕顔は
 「別のところに行くなんて、やっぱり心配でございます。だってあなたは私を尋常でない扱いをなさるのですもの。何か恐ろしい感じがして・・」
と答えている。源氏は、身分はもとより名前さえ女に教えていないのだ。それに逢引きだというのに、顔も「ほの見せよう」ともしない。そんな得体のしれない男に、「どこかに」と言われても素直に従えるはずはない。躊躇するのも当然のことである。
 
 八月十五夜の晩のことである。夕顔の家に泊まっていると、明け方、大路で近隣の男どもが大声で話す声が、二人が寝ている枕元に聞こえて来るではないか。いくらなんでもこれでは堪えられない。特に彼を閉口させたのは、唐臼の音である。「ごろごろ」と雷の如しで、源氏は再び女に言う。
 『いざ、ただこのわたり近きところに心安くて明かさん。かくてのみはいと苦しかりけり』
 「このわたり近きところ」こそ、六条の廃院だったのである。夕顔は、
 『いかでか。にはかならむ』
と驚く。「いかでか」とは、「いかでか参らん」ということで、「どうしてそんなところに行くことができましょう」という意味である。あまりに急な提案であり、女はとても承知できなかったのである。それでも源氏は強引に車を屋敷に引き入れる。
彼女の家の人々も、得体のしれない男に、主人が連れて行かれることに一抹の不安を感じるはするものの、男の熱い情に「頼みをかける」しかないのである。
 この時、隣家から御嶽精進の祈りをする声が聞こえて来た。何か夕顔の今後の顛末を象徴しているようで、不穏な祈りの声にも聞こえる。空の様子も何か不安を煽(あお)るようで、入り方の月が、山の端に沈むのをためらっている。あたかも女の逡巡する気持ちを表わしているようである。にもかかわらず、源氏は女を
 『(車に)かろらかにうち乗せ』
てしまう。同乗したのは、女房の右近一人だけである。

 「なにがしの院」に着いた。荒れた門に忍ぶ草が生い茂っている。それに木立ちもたとえようもなく「木暗い」。
女は、源氏が詠みかけた歌に対して
 『山の端の心も知らで行く月は うはの空にて影や絶えなん』
と応じる。この歌は極めて解釈の難しいものであるが、私はこう理解している。
 「山の端(私)の気持ちも知らないで、あなたは西の空に彷徨っている月のように、空の途中で姿を消してしまわれるのではないでしょうか」
 女はとても「心細くて」と言って、「もの怖ろしそうな」また「気味悪げな」表情をしている。その思いは当然のことなのに、源氏は、
 「女は、あのごみごみした賑やかな五条の屋敷に慣れていて、こんなだだっ広い屋敷は初めてなので、なんとなく怖しさを感じているのだろう」
くらいにしか取らず、むしろ女の様子を可愛いと見ているのである。
 女は本当に怖がっていたのに、どうしてそれを理解してあげられなかったのだろうか、天下の色好みの男としてはお粗末極まりないことである。

 日が高く昇ってから源氏は起き出し、自ら格子を開ける。と、目に入ってきたのは、やはりひどく荒れた邸の様子である。
 『いといたく荒れて、人目もなく、はるばると見渡されて、木立ちいとうとましく(気味悪く)もの古りたり』
 そればかりではない。近くの草木は野づらそのものだし、池は水草に埋もれている。さすがに源氏は言う。
 『けうとく(気味悪い)もなりにける所かな。さりとも(いくらなんでも)鬼なども、我をば見許してん』
 なんということを言ってしまったのだろうか。こんな気味悪いところで「鬼」云々の話をすれば、若い女は卒倒しかねない。源氏は冗談っぽく言っただけかもしれないが、この言葉が女の気持ちを縮み上がらせていただろうことは想像に難くない。
 
 夕方になると、部屋の奥は暗く、女が何か怯えているようなので、源氏は端の御簾を上げて、夕顔と添い臥す。これも源氏の失態である。なぜなら、こんな時(夕方)に御簾を上げれば、魑魅魍魎(ちみもうりょう)が部屋の中に入り込んでしまうのだ。そんなことにも思い及ばなかったのである。女は、源氏の傍らに添い臥しても相変わらず「いと恐ろし」と思っているのだ。それなのに、源氏は暢気に、女を「若々しくいじらしい」などと見ているのだ。女にはすっかり怖気の心がへばりついているというのに。
 
 こんな時に、源氏は、ある女のことを思い出す。実は源氏には以前からの愛人がいるのだが、彼女の邸は六条にある。つまり廃院とは目と鼻の先にその愛人が住んでいるのだ。にもかかわらず、源氏は、そのすぐそばで別の女と逢引きをしている。彼は、その負い目から愛人のことを思い出したのだ。これがまさに「心の鬼」である。
 この六条に住む愛人が、宵を過ぎるほどに、物の怪として出てきて、夕顔を取り殺してしまった。

 実は物の怪が夕顔を取り殺したわけではないのである。そんな非現実的なまがまがしいことを紫式部は書かない。物の怪は、源氏の「心の鬼」に過ぎないのだ。
 既に夕顔は死ぬべき状況に追い込まれていたのである。彼女は、後に女房の右近が言うように
 『ものおぢをなん、わりなくせさせ給ふ御本性』
であったのだ。源氏は、夕顔のそんな人となりに思い至らなかった。今までの女性たちとは違ったタイプなので、女をただやみくもに「可愛い、いとしい」と愛玩していたに過ぎなかったのだろう。この一カ月の間に見せた女の様子を冷静に見る余裕があったら、こんな廃院に連れてくることはなかったはずだし、「鬼」などという言葉を出すこともなかったはずだ。また夕方御簾を上げるような不用意なことはしなかったはずだ。
 夕顔がどんな女であったかもう一度振り返ってみよう。
 『あさましくやはらかく(従順)、おほどき(おっとりしている)』
 『児めかしく(子供っぽく)』
 『細やかに たをたを(なおやか)』
 『ものづつみを世になくする』
人となりなのである。「鬼」と聞いただけで震えあがってしまうような女である。そんな女が、正体も定かでなく名も知らない男に、薄気味悪い廃院に連れ込まれたのだ、心蔵に極端な負担がかかるのは目に見えることである。そう、夕顔は心不全で亡くなったのである。

 紫式部は、夕顔が死に至る事象を丹念に積み上げて来ていた。『夕顔』の巻は
 「ありうべからざることを平気で語った昔物語に慣れて、反省が不十分なのである。この作者は後になるとこんな無理な運びはしない」
などという玉上琢弥氏の見解は、全く的を外れたものなのである。
 早稲田大学の中野幸一先生は「夕霧の巻はとても面白い」と言っておられた。どのようなところが面白いのかは聞きそびれたが、私も本当に「面白い巻」であると思う。


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