源氏物語

源氏物語たより372

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   光源氏の真剣と強がり  源氏物語たより372

 宵を過ぎる頃、光源氏は奇妙な感覚にとらわれる。不思議に美しい女が自分に恨み言を言いかかってくるのだ。その内容から判断すれば、愛人の六条御息所に相違ない。この廃院は、自分をこよなく愛してくれている御息所の邸と目と鼻の先にあるのだ。
 夕顔と寝入る前に、彼は御息所に済まないと感じていた。それも当然のことである。そんな場所に若くたおやかな女(夕顔)を引き入れ、これから情事の限りを尽くし官能の夜を明かそうというのだ。なんとも罰当たりなことである。
 源氏の「心の鬼」が、物の怪を呼んだのである。

 その美しい女が、夕顔をかき起こそうとしている。源氏もものに襲われる感じがして、目を覚ます。と、部屋の火はすっかり消えてしまっているではないか。気味が悪いので、彼は太刀を引き抜き、枕上に置いた。太刀は魔物を退散させる。さすがに源氏も真剣になっていたようだ。源氏物語には太刀を引き抜く場面は二か所しかない。一度は源内侍(年老いた美女)を争って、頭中将が太刀を抜いて源氏に切りかかった時のことである。でもあれはおふざけであるが、今回は本気での太刀の引き抜きである。
 近くに寝ていた女房の右近を起こして、「渡殿に行って火を持ってくるよう」言いつける。ところが、右近は「こんなに暗いのに、どうして渡殿などに行けましょうか」と怯えるばかり。源氏は、「なんと若々しことを言うか」と叱りながら
 『うち笑う』
のである。まだ笑いが出る余裕があるようだ。あるいは彼の強がりかも知れない。供人はだれ一人いない。それにこの廃院の管理の者どもは、源氏に遠慮して遠くに寝ている。仕方がなく彼は誰かを呼ぼうとして手を叩くが、山彦が返ってくるだけで
 『山彦の声いとうとまし(気味が悪い)』
かぎりである。源氏の合図を聞きつける者など誰一人いない。夕顔を見ると
 『いみじくわななき惑ひて・・汗もしとどになりて、われかの気色なり』
という状態である。「われかの気色」とは、正気を失っていることで、急性心不全というところであろうか。

 真っ暗闇では始末に負えない。仕方なしに彼は自ら妻戸を出て、紙燭(しそく 紙をひねった明かり)を取りに行こうとする。渡殿の火もみんな消えている。管理の者を召してこう命じる。
 『紙燭さして参れ。随人も弦(つる)打ちして絶えず声作れ』
 「弦打ち」とは、弓の弦だけをぶんぶん鳴らすことで、妖怪・変化を退散させるまじないである。それにずっと大声を出し続けていなさいと言うのである。彼も相当本気になった証拠である。管理の者に惟光の所在を問うと
 「源氏さまからの特別な仰せごともなかったので、どこかに行ってしまいました。明日の朝には戻ってくるそうです」
と言う。恐らくどこか愛人のところにしけこんでいるのだろう。こんな緊急の時に頼りになる惟光がいないとは。時は夜の十時を過ぎたころであろうか。
 
 部屋に戻って探ってみると、右近まで夕顔の傍らに添い臥して死んだようにしている。彼はまた「何という臆病な!」と右近を叱る。そして
 『荒れたるところは狐などやうのものの、人脅かさんとて、け恐ろしう思はするならむ。まろあればさやうのものには脅されじ』
と強がりを言って、右近を起こすが、彼女は「私も気持ちが悪くて」と言うだけで頼りにもならない。そこで今度は、夕顔を探ってみると、息もしていない。引き動かしてもぐったりとしていて、正体もない。
 管理の者がようやく紙燭を持ってやって来た。するとその明りに、先ほどの美しい女が、夕顔の枕元に幻のように見えるではないか。と思うや、スッ-と消えた。
 源氏は気持ちが悪いけれども、夕顔に添い臥し 
 『「やや」とおどろかし給へど、冷えに冷えて息はとく絶えはてにけり』
と、完全に心肺停止の状態になっていて、身体もどんどん冷えていく。
 この処置をどうすべきか、相談できる者はだれ一人としていない。管理の者たちを呼んで対処させるわけにはいかなのだ。なぜならこんな事件が公になったら、近衛の中将の職もお召し上げになってしまい、彼の将来はなくなる。
 やんぬるかな。
 『さこそ強がり給へど、若き御心にて、いふかひなくなりぬ』
 先ほどは、「まろあれば、さやうのものには脅されじ」と強がってみたのだが、もうお手上げである。彼に今できることといえば、夕顔を抱いて
 『あが君、生き出で給へ。いといみじき目な見せ給ひそ』
と言うことだけである。源氏の絶望的な苦痛の声が、生々しく聞こえて来る。生き返るはずなどない夕顔に向かって「生き出で給へ」と懇願する。「こんなにひどい苦痛を味わわせないで」と夕顔を恨んでみても、その原因を作ったのは誰あろう、源氏その人である。
 官能の歓びは、急転、絶望のどん底に転げ落ちた。自責の念は「いふかひなき」反省を生む。
 『などてかくはかなき宿りは取りつるぞ』
 六条の廃院は鬼が出ることで有名ではなかったのか。そこに「ものおぢをわりなくせさせ給ふ御本性」の女を導いてしまった源氏の浅慮は、いくら非難されても非難しきれるものではない。彼の浅慮が、あたら二十歳ほどの若い命をはかなくさせてしまったのだ。
 
 事件の始末は一向に進まない。刻々と時間は経っていく。もう夜半を過ぎころだろうか、身の毛もよだつような凄絶な情況がひしひしと源氏に迫る。
 やや荒々しく吹く風の音
 風に吹かれる松籟のざわめき
 気味悪く聞こえて来る梟の声
 ほのかにまたたく明かり
 母屋の際に立ててある屏風のうえや、ものの隈々の不気味さ
 ひしひしと踏みならしながら後ろから襲ってくるようなものの足音
 
 ついに彼は悲鳴を上げる。
 『惟光、とく参らなん』
 皇子として順風満帆な育ちをして、自信満々敢然と生きてきた十七歳の青年の本音が漏れた。次の表現に彼の切羽詰まった心情が如実に表れている。
 『夜の明くるほどの久しさは、千夜を過ぐさん心地し給ふ。からうじて鶏の声はるかに聞こゆるに・・』
 この後、彼は綿々として自己反省するのだが、すべて後の祭りである。
 
 源氏の生涯において、これほどおぞましい経験は、夕顔の死をおいてなかろう。
 須磨への流謫も、源氏一生の痛恨事ではあるが、あの時は計算づくで自ら京を離れたのだし、「いずれは京に帰れる」という余裕があった。事実彼は、帰京後もしばしば「須磨のわび住まい、二年半の流謫の悲惨」を語っているのだが、その口辺にはいつも、
 「俺はこれ程の悲惨な目にあったのだぞ」
と、なにか自慢げなニュアンスが漂っていた。
 しかしこの一夜のことはあまりに突然のことでまったく予期しない出来事であった。しかも絶対外に漏れてはならないことなのである。

 それにしても窮地に追い込まれていく源氏の心理が、なんと見事に描かれていることか。恐怖を演出する状況設定の見事さは類のないものである。かつて「源氏物語の自然は貧困である」と言ったことがある。それは紫式部は、自然を描くことそのことを目的としていないからである。自然は人事の反映であり、自然をもって人の心の状態を代弁しようとしたからである。荒き風も凄みある松籟も不気味な梟の声も、みな源氏の心象風景なのである。
 今彼が最も愛しいと思っている女が死んでしまったのである。その悲嘆と苦衷は計り知れないものがある。しかも、病気によるものではない。彼の腕の中で頓死したのである。その恐怖とまがまがしさは思っても余りあるものである。相談すべき者もいず、生涯の秘密事として背負っていかなければならないことでもある。その追い込まれた心情が、風になり松籟になり梟の声になったのだ。、
 古代の寝殿造りの夜は真の闇である。そのことを日々経験している古代人たちには、源氏の恐怖が自らの経験として重なって感じられたのではあるまいか。また夜明けの一番鶏の鳴く声を、源氏とともに安堵の気持ちで聞いたのではなかろうか。読者はみな、紫式部の術中にはまっていってしまうのである。


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