源氏物語

源氏物語たより376

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   穢れに敏感な平安人  源氏物語たより376

 桐壷更衣が「今はの際」に、彼女の母親が、娘を一刻も早く内裏から退出させようと、必死に帝に願い出たのは、万一内裏で娘が死ぬようなことになれば、宮中の重大な掟を犯すことになるからであった。内裏は神である天皇の居所という神聖な場所であるから、そこで人が死ぬとか血を見るとかいう穢れはもっとも避けなければならない禁忌であったのだ。
 このことは、内裏以外の一般の社会でも同じように考えられていたようである。とにかく当時の人々は穢れに触れることを非常に恐れた。
 『夕顔』の巻で、穢れに関する二つの例を見ることができる。こんな場面である。
 
 光源氏は愛する夕顔を目の前で死なせてしまった。自宅の二条院に帰って、悲嘆のあまり、心神喪失の状態で臥せっていた。そこに、源氏の不調を伝え聞いた頭中将が尋ねてくる。源氏は、彼を御簾のうちには入れないで、
 「立ちながら」
応対する。源氏は、夕顔(もと頭中将の愛人)の死の穢れに触れたからと言うわけにはいかない。そこで、あることないことを作りだして嘘八百を並べたてる。まず忠臣・惟光の母(源氏の乳母)の病気を持ち出した。ここまでは事実あったことである。しかしまさか乳母を死なすわけにはいかない。そこで彼は、乳母の話から、その家に仕える下人のことへと話を変えていく。
 『その家なりける下人の病しけるが、にはかに出であへで亡くなりにけるを・・』
とまことに苦しい嘘を作り上げた。
 「乳母の家の下人が急に亡くなってしまったのだが、私(高貴は身分の源氏)がいるのに憚って、死骸を家から出せずに、一日家の中に置いておいた、夜になったら取り出そうとしたようだ、後で私はその話を聞いてしまった、その家にいたので、穢れに触れてしまった、したがって、内裏にも行けないし、人にもまともに会うわけにはいかないのだ」
というわけである。「下人が死ぬ」などということは全くなかった嘘である。
 頭中将は、源氏の話を分かったような顔をして、一旦は引き下がるが、源氏が嘘をついているなど疾うにお見通しである。そこでまた戻ってきてこう詰問する。
 『いかなる行き触れ(穢れ)にかからせ給ふぞや。述べやらせ給ふことこそ、まことと思う給へられぬ』
 「なになに?どんな行き穢れにあったと?あなたの言ってることがまるで分からない。嘘を言っているのではないの」と意地悪を言うのである。源氏はズバリ嘘を見抜かれてしまったので、どきりとしてこう話を濁してしまう。
 「まあ細かいことは別にしてさ、とにかく思わぬ穢れに触れたのだと、帝には伝えておいてくれよ」

 源氏の話は全くの嘘なのだが、もし乳母を源氏が見舞っていた時に、本当に下人が死んでしまったとしたら、どうなるであろうか。下人が主人の家で死ぬということ自体、許されないことだったのである。主家は下人にとっては絶対的存在なのである。だからそこで死ぬわけにはいかない。岩波書店の『岩波古典文学大系』に
 「下人などが病めば、死ぬ前に実家に移すのである」
とある。これは内裏で人が死ぬことを許さないのと同じである。まして身分の高い源氏さまがいるのだから、運び出すわけにもいかない。そこで一日隠しておく、ということになったのである。源氏は嘘八百を並べたのであるが、実は、当時の習慣に則って述べているので、理路としては整然と成り立っているのだ。
 
 もう一つの習慣は、穢れに触れた者は、人と親しく会ってはならないということである。頭中将が尋ねてきた時に、源氏は彼を御簾のうちに入れないで
 『立ちながら』
応対している。源氏は死者に触れたことは事実であるから、穢れた身であり、親しく他人を御簾のうちに入れることができなかったのだ。そこで頭中将を御簾の外に「立たせたまま」応接したというわけである。
 延喜式(醍醐天皇の時に定めた制度や規定)に、死者とのかかわり方が事細かく書かれている。もし「甲」の家に死者が出たとして、その家に座っていた「乙」は穢れとなる。その「乙」の家に「丙」が行って座って応対したとすると、これも穢れになる。またその逆(「乙」が「丙」の家に行く)の場合にも穢れになる。ところが、「丁」が「乙」の家に行って座ったとしても穢れにはならない、と決められている。
 源氏物語の場合を例にとると、「甲」が惟光の家に当たり、「乙」が源氏、「丙」が頭中将ということになる。したがって、頭中将は座って源氏と応対してはならなかったわけである。また、源氏が内裏に行くことなどできないのは当然であるが、頭中将も源氏の御簾の中に入っていれば、第三者と親しく応接することができなくなるのである。
 この後も多くの人が源氏の不調を聞いて、二条院に見舞に来るのだが、
 『参る人々もみな立ちながらまかずれば』
という具合であった。
 『紫式部日記』にもこれに関する記事がある。道長の娘・彰子(一条天皇の中宮)が皇子を出産する場面である。お産の穢れに触れた者が、内裏に行ってお産の無事を帝に報告するわけにもいかない。それに伊勢の使者の関係もあるので殿上に昇ることはできない。そこで、
 『立ちながらぞ、(皇子が)たいらかにおはします御有様奏せさせ給ふ』
のである。出産さえ「血を見る」ということで穢れとされていたのだ。
 それにしても着座しなければセーフとは随分可笑しな話である。

 実は、源氏は惟光の家の下人の死を出したのだが、事実はもっとひどい穢れを背負っているわけである。彼は愛する夕顔の死骸に抱きついて
 『あが君、生き出で給へ。いといみじき目な見せ給ひそ』
と泣き喚いたのだ。そればかりか、翌晩には夕顔の死骸が納められている葬場に行き、その手を握っている。穢れは源氏の身に深くしみついてしまった。これでは「立ちながら」どころか、二、三年の間は人と会うこともできずに謹慎していなければならないことになるのではなかろうか。
 
 科学文明の未発達な古代人が、物の怪などを恐れた気持ちはよく分かるのだが、穢れに対してかくも神経質になっていたのはなぜなのだろうか、いささか理解に苦しむところである。穢れに触れるたびに、家に籠っていたのでは、役所の仕事もはかばかしく進まなかったのではなかろうか。


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