源氏物語

源氏物語たより377

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   平安時代の夜着と「片敷く」について  源氏物語たより377

 源氏物語を読んでいてよく分からないのが、当時の風俗についてである。特に彼らは夜どんな着物を着て寝ていたのかとなると全く分からない。
 貴族たちの寝室は「帳台」といって、浜床(寝殿の母屋に設けた貴族の休寝用の台)の四隅に四本の柱を立ててその上に渡した横木から帳(とばり)を垂らす。浜床には二畳ほどの畳を敷き、それに上蓆(うわむしろ 錦綾の綿を入れた畳の上の敷物)を敷いたようである。今で言えばカーテンで囲われたベットのようなもので、そこに彼らは寝た。これは御所などにも実物が展示されているのでよく見ることがある。
 ところが、彼らはここにどんな夜着を着て寝ていたのかとなると、それについて解説した書物になかなか巡り会うことができないので分からない。源氏物語には男女が共寝するシーンがしばしば出て来るというのに、このことが分からないのでは、その場の状況をきちんと理解できたとはとても言えないのだ。
 それではいくつかの場面を振り返ってみよう。 

 『若紫』の巻に、紫上が寝室に入って行った時に、光源氏も図々しくもそれについて行って自分も彼女の帳台の中に入ってしまうという場面がある。この時源氏はこんな行動を取る。
 『若君(紫上)はいと恐ろしう「いかならん」とわななかれて、いと美しき御肌付きもそぞろ寒げに思したるを、(源氏は)らうたく思えて、ひとへばかりをおしくくみて』
 「ひとへ(単)」は、一番下に着る肌着である。それを紫上に覆うようにかぶせたというのだが、さてこれは誰の単であろうか。まず考えられるのが紫上のものということである。しかしそうだとするとどうもおかしい。紫上は元々単は着ていたはずだし、それまで単だけでいたわけではあるまい。あるいは源氏がそれをわざわざ脱がせてしっかりと包むように掛けてやったとでも言うのだろうか。そんなことはあるまい。そもそもこの夜は「霰降り荒れる」寒さであった。彼女は、源氏がぴたりと添い寝している怖さと寒さとで鳥肌が立っていたのである。何枚か重ね着していたはずである。にもかかわらずその一番下の単を脱がせて被(かぶ)せるわけはない。
 それでは源氏のものであろうか。紫上が寒そうにしているので、自分(源氏)が着ていた単を脱いで着せかけたと考えられなくもない。しかしこれも無理である。この時源氏は袍と指貫(さしぬき ズボン)は脱いでいたかもしれないが、単まで脱いだとは考えられない。なぜなら、帳台のそばには心配になった乳母が控えていたからである。

 『紅葉賀』の巻には、源氏が、好色な老女・源内侍と共寝しているところに、あろうことか頭中将が嗅ぎつけて乱入してくる場面がある。そこで三人はひと騒動するのだが、その後、源氏が直衣を着ようとすると、頭中将はその直衣を掴んで着ることを許さない。一方源氏はそれなら「おあいこ!」とばかり頭中将の帯を解いて脱がせようとする。二人がもみ合っているうちに、源氏の「下がさね」がほころびてしまう。彼らは恨みこなしに「しどけない姿」で源内侍のところから帰って行く。
 直衣は、袍、衵(あこめ 袍と単の間に着る)、単、指貫、下袴などからなっているので、この場合、頭中将はこれらのうちどれを着させまいとしたのか分明ではないのだが、源内侍は
 『落ちとまれる御指貫(ズボン)・帯など(を)翌朝』
源氏に奉る(返す)のである。指貫は源氏のもので、ここで頭中将が「直衣を着させまい」としたのは指貫であったと知れる。帯はもちろん頭中将のものである。源氏が女と共寝しているところに頭中将が突然乱入してきたので、彼は指貫はもちろん、その他の衣も着ていなかったのだ。あるいは裸であったかもしれない。慌ててその何枚かは着たのだろうが、指貫だけは着る暇はなかったのだろう。それを頭中将に抑えられてしまったのだ。
 源内侍が返してきたのが「御指貫・帯など」とあるから、その他の着物も源内侍のところに残っていたのだ。彼は、何枚かの衵と単と袍だけを着て「しどけない(あられもない)」姿で帰って行ったというわけである。
 この場合には、男と女の共寝の時の衣の様子がどんなものであったか薄々想像できる。

 男女が共寝する時に、もっとも分からないのが「片敷く」という習慣である。角川書店の『角川古語辞典』によれば
 「古く相愛の男女が互いに袖を敷き交わしたことから、(その片方ということで)自分の衣の片袖だけを敷いて、ひとり寝する」
ということらしい。辞典の説明自体は分かるのだが、それでは互いの衣の袖をどのように敷き交わすのかとなると皆目分からない。そもそもどの衣の袖を敷くのだろうか。袍だろうか衵だろうか、あるいは単だろうか。男は、共寝する時には当然袍と指貫は脱ぐはずである。なぜなら、袍を二人の下に敷いたのでは、翌朝着て帰る時にぐちゃぐちゃになってしまって、すぐ女のところに通ってきたのが分かってしまうからである。また指貫を穿いたままでは実事に支障をきたす。
 恐らく何枚か重ねて着ているうちの衵を脱いで、その二人の袖を重ねて敷くということであろう。単ではないはずだ。しかし、いずれにしても衣の袖の幅は一幅(三十八センチ)にすぎない。そこに二人が寝ることなどできるはずはない。

 この「片敷く」が、源氏物語のみでなく、さまざまなところに登場するのだから困ったものである。たとえば百人一首の、
 『きりぎりす鳴くや霜夜のさむしろに 衣片敷き一人かも寝ん  後京極摂政』
もそうだ。この歌は次の二つの歌を本歌にしている。
 『さむしろに衣片敷き今宵もや 恋しき人に逢はでのみ寝む   伊勢物語』
 『あしびきの山鳥の尾のしだり尾の長々し夜を一人かも寝む   柿本人麻呂』
 この伊勢物語の歌とほとんど同じ歌が古今集にもある。
 『さむしろに衣片敷き今宵もや 我を待つらん宇治の橋姫   詠み人知らず』
 どちらが本歌になっているかはわからないが、それはとにかくとして、「さむしろ」の「さ」は接頭語であるとともに、「寒い」の「さ」を掛けていて、全体の意味は、
 「こんな寒い夜に、薄い上蓆に自分の衣の袖だけを敷いて、男(あるいは女)を待ちながら一人さびしく寝なければならないのか」
という一人寝の悲哀を詠ったものである。
 「宇治の橋姫」の歌は、源氏物語の『総角』の巻に二度も引かれている。一つは匂宮の歌である。宇治の中君と契りを結んだものの、皇子という立場上なかなか遠い宇治まで尋ねていくことができない。そこで彼は、中君に、
 「中々訪ねて来れないからと言って、あなたとの仲が絶えてしまうというわけではない。でも、あなたは宇治の橋姫のように夜毎衣を片敷き、袖を濡らして私を待っていることであろう。申し訳ない」
とわびる内容の歌を贈る。
 もう一つは薫の口ずさみに引かれている。宇治に隠しておく浮舟を偲んで、薫がぽつりとこう口ずさむ。
 『衣片敷き今宵もや』

 もう一つの例を上げておこう。
 夕顔が源氏の腕の中で頓死した時に、源氏はなすすべもなく、惟光が戻ってくるのを待つしかなかった。惟光は夕顔の死骸を手際よく上蓆に押し包み、車に乗せる。しかし、完全には包み込むことができないので、彼女の髪は上蓆の外にこぼれ出ている。考えてみれば実に凄惨な情景である。
 翌晩源氏が、夕顔の死骸が安置されている東山の葬場に行ってみると、夕顔には
 『うちかはし給へりし我が紅の御衣の着られたりつる』
のであった。これもまた背筋がぞっとするような凄絶な情景であるが、「うちかはし」とは昨夜二人が互いの衣を敷きあったことを言っている。惟光が夕顔の死骸を上蓆にくるむ時に、源氏の紅の衣を夕顔に掛けていたのである。これは「片敷く」ではないのでもし二人が無事に翌朝別れていれば
 『しののめのほがらほがらに明け行けば おのがきぬぎぬなるぞ悲しき』
という目出度い別れになっていたはずである。
 それでは、源氏の紅の衣とはなんだろうか。一番下に着る単かも知れないし、その上に着る衵かもしれない。いずれにしても二人はほとんど何も着ていない状態で共寝していたことになるのだが、さてではどのように敷いていたというのであろうか。

 これ程引用される「片敷く」にもかかわらず、いざ具体的にどのように敷くのかが分からないのである。当時の人にとってはごく当たり前のことなのであろうが、我々にはさっぱり分からない。もし分かっていれば、源氏と頭中将の「衣の取り合い」などは相当滑稽な情景として哄笑の種になるのかもしれない。また、源氏が、藤壺宮と夢のような逢瀬をした翌朝、二人を手引きした王命婦が源氏の脱ぎ散らかした
 『御直衣などは、かき集めて持て来る』
という情景などは、生々しく官能的に味わうことができるのかも知れない。
 あるいは、「片敷く」の「片」には「整わない、不完全な」という意味があるから、本来男女二人が共寝すべきものを、その片方(一人)だけで寝る不完全さを言ったものにすぎないのかもしれない。したがって互いに脱いだ衵や単衣を単に重ねて敷いたか、あるいは互いの体に掛けあって寝たことを言っているのだろう。おそらくそれを「袖」で象徴したのだ。


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