源氏物語

源氏物語たより381

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   紫式部の容赦なさ  源氏物語たより381

 紫式部は、一つの場面を構成するに際して、同じ事象で貫き通すという技法を駆使する。『花宴』では「月」で巻全体を統一した。また『若紫』の巻の例の垣間見の場面は「髪」で一貫させているし、『明石』の巻は「琴」で大半を構成している、という具合である。それは恐らく、一つの事象に読者の視点を注がせることによって、常に物語に糸がピーンと張ったような緊張感を持たせるのが目的なのであろう。

 ところで、『末摘花』の巻は、『帚木』『朝顔』『総角』の巻などとともに誠に難解な巻で、何度読んでも理解できない箇所がある。たとえば、この巻の最後の方に出てくる
 『若き者はかたちかくれず』
が何とも分からない言葉である。白氏文集からの引用であるが、どの解説書や訳書を読んでもさっぱり意味が掴めないのである。ところが、林望の『謹訳源氏物語 (祥伝社)』を見て初めて「ああ、そういうことか」と理解することができた。
 もとになっている白氏文集の詩は次の通りである。
  
 夜深うして煙火尽き   霰雪白く紛々たり 
 幼き者は形隠れず    老いたる者は体に温なし 
 悲喘と寒気と       併せて鼻中に入りて辛たり』
 
 やや難しい詩であるが、要は
 「暖を取るべき火も消えてしまったのに、霰雪(あられゆき)は紛々として降っている。この寒さは若い者なら肌を出していても平気だろうが、老いたる者には堪えがたい。
咳と寒気が同時に鼻の中に入ってきて、つーんとして辛くてたまらない」
という意味である。源氏物語では「幼き者」を「若き者」に変えている。林望はここを
 「幼いものはろくに着るものがなくても肌を露わに・・」
と訳しており、この訳を見て初めて全体の意味が理解できた。
 
 この場面は、光源氏が、雪の降り積もる夜、末摘花と一夜を共にした翌朝のことである。源氏は、彼女の超人的な寡黙にほとほと閉口してしまったのだが、要朝、雪の明かりで見る彼女の鼻もまた超人的醜さであった。そればかりか、雪の寒さに耐えられないためだろう、何と古貂(てん)の皮衣を着ているではないか。
 寡黙といい、鼻の赤さといい、古貂の皮衣といい、感無量のうちに源氏が、末摘花邸を出よとすると、年老いた下僕が門の鍵を開けようとしていた。ところが、雪の朝の寒さということも手伝って、容易に門を開けられないで戸惑っている。その姿を見て源氏が、ふと漏らしたのが、先の詩の一節である。
 で、それだけなら単にその場の情景を見た時の素直な感慨に過ぎないのだが、実はここにはさらにずっと深い意味が込められていたのである。
 というのは、寒さのために下僕の鼻が赤くなっているのに目が行った源氏は、瞬時に次の連想をするのである。
寒さで赤くした下僕の鼻→赤い鼻→末摘花の赤い鼻
 原文はこうである。
 『鼻の色に出でて、いと寒しと見えつる(末摘花の)御面影ふと思ひ出でて、微笑み給ふ』
のである。なんと言う頭の回転の速さであろうか。とともに、何という意地悪な発想であろうか。老い人と末摘花とを同時に強烈に皮肉ったのである。その辛辣さには背筋が寒くなる。
 老いるということは体の反応が鈍くなること。そうなれば寒さへの対応もできずに鼻は赤くなる、身体はかじかんで、咳は出るに任せるしかない。どうにもしがたい老い人の悲しい現実である。そんな悲しい老い人の姿から、さらにいかんともしがたい悲しい欠陥を背負った女性を連想するとは。あまりにも容赦のない情け知らずの仕打ちではないか。
 さらに、二条院に帰った源氏は、自分の鼻に赤い墨を塗りつけて、「私の顔がこんなになったとしたら、どう思う」と紫上と笑い合うのである。
 
 この末摘花のモデルは、嫌いな兄嫁だったという話がある。出典は知らないが、この兄嫁は、源氏物語で自分がかくも徹底して痛めつけられたことにいたたまれなくなり、その仕事を止めたという。事実の程は分からないが、ここまで辛辣であるのは、ひょっとすると、紫式部が忌み嫌うそんな醜い人物がいたのかもしれない。
 『紫式部日記』で、清少納言や和泉式部、あるいは斎院が槍玉に挙げられ、こっぴどく批判されているのを見ればあり得ないことではない。特に清少納言などは
 『そのあだ(浮薄)になりぬる人の果て、いかでかは好くはべらむ』
とまで言われている。また和泉式部は「それほどたいした歌詠みでもない」と一蹴されている。

 冒頭に上げた「月」や「髪」や「琴」でその巻や場を一貫させる手法は、緊張感を与えるだけでなく、情趣豊かな世界を作り上げることにもなっている。
 しかし、『末摘花』の巻は、「鼻」で一貫させようとしたようだが、「醜さ」にその根底があることが、品を失わせるものになってしまった。さらにその追求に容赦がなく寸毫の情もないことに、何か鼻白むものがあり、そのことが、私がこの巻を好きなれない原因にしているのかもしれない。
 そういえば俵万智(文春文庫)も玉上琢弥も(岩波書店)こう言っている。
 「全く容赦のない描きぶりに同じ女性として、読んでいてつらくなる」
 「この最後の場面のように、末摘花を笑い者にしてしまうと、それがあまりに強すぎて、かえってまた末摘花に同情してしまう」


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