源氏物語

源氏物語たより383

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   円地文子の歌の訳  源氏物語たより384

 『いづれぞと露の宿りを分かむ間に 小笹が原に風もこそ吹け』

 紫宸殿の花の宴の後、光源氏が、酔いに紛れて弘徽殿の細殿に忍び込むと、向こうから歌を詠いながらやってくる女(朧月夜)がいるではないか。喜んだ源氏は、彼女の袖を握るや廂の間に抱き下ろし、契りを交わしてしまう。何とも驚いた早業である。
 女も驚いた。突然見知らぬ男に抱きすくめられたのだから。しかしもっと驚くのが、男が源氏だと知った女は「光源氏さまなら・・」と思って安心し、身体も心も許してしまったことである。平安時代には珍しい奔放で自由で官能的な女性、それが朧月夜なのだが、この場面に彼女の面目が躍如としているのが見て取れる。さすがの源氏も
 『おもりかな方は(どうも疑問だが・・)』
と、彼女を少々軽々しいと評するほどの女なのである。

 さて、冒頭の歌は、この朝、別れに当たって、源氏が
 「このまま別れてしまったのでは、これから後、連絡の取りようもないから、ぜひ名前を教えてほしい」
と頼んだ時に、朧月夜が、
 「私が死んでしまった時には、名前が分からないからといって、もうお墓も尋ねてくれないということですか」
と皮肉たっぷりな歌を詠みかけてきた、その歌に対して、源氏が返したものである。
 「小笹が原に風もこそ吹け」とは、「ざわざわと世間の噂が立つ」ということである。万葉人や平安人は人の恋の噂を好んだし、また恋の当該者は噂が立つのを恐れたものである。うかうか相手の素性など調べていればすぐに噂が立ってしまう。恋は秘密に限るというのに、噂になったら面倒だから早く名前を教えてほしいと、源氏が催促したのである。
 この歌を円地文子(新潮社 源氏物語 巻二)が実に見事に訳しているのである。それは
 「あなたの名前を探っている間に、噂に上るといけませんから、早く教えてください」
というまことに簡潔なものである。この歌には「名前を教えてください」などという意味は全く詠われていないのだが、物語の流れからすれば、源氏にとってはまさに「名前を知る」ことが喫緊のことなのである。
 他の訳書は、「噂が立って二人の恋が絶えてしまう」とか「二人の間が(噂によって)隔てられてしまい、逢えなくなってしまう恐れがある」などと訳していて、全体が冗長になってしまって、この場の緊迫感をそいでいる。源氏が切に望んでいることは、女の「名を知る」ことに他ならないのだから、そこに焦点を当てなければいけないのだ。その意味で円地文子の訳は秀逸と言っていい。
 円地文子の翻訳は、歌を見開きページの最後に載せて、物語の流れを遮らない工夫をしている。またその訳が極めて簡潔にして要領を得、それでいて意を尽くしているのだ。

 もうひとつ例を上げよう。
 先の場面で、結局朧月夜は源氏に名を教えずに、扇を交換しただけで別れてしまう。右大臣家の娘であることは分かるのだが、さて何番目の娘であろうか。
 源氏が探しあぐねていると、折よく右大臣邸で「競射(弓)」の集いに合わせて、藤の花の宴を催すという。この集いに参加した源氏は、宴たけなわ、すっかり酔ったふりをして、うろうろ女を探し回る。そして扇を手がかりにして、ついに探し当てることができた。源氏は早速次の歌を詠みかける。
 『あづさ弓いるさの山に惑ふかな ほの見し月の影や見ゆると』
 この日は「競射(弓)」の日であったので、まず「弓を射る」と詠み込んだのである。また、「あづさ弓」とは「月」を表わしていて、その月が「いるさの山」に「入る」と詠み込んだのである。「いるさの山」とは但馬にある有名な歌枕である。「あの時ほのかに見たあなたの姿を見ることができるかもしれないと思って、こんな山の中に迷い込んでしまいました」という意味である。掛詞や縁語を巧みに使った軽妙な歌である。
 さて、この歌を円地文子は
 「ほのかに逢った人を探しあぐねて、迷っているのです」
と訳した。なんとわずかに「24文字」である。元の歌でさえ、「27文字」もあるのだ。それでいて見事に意を尽くした訳になっている。
 その他の訳者のものと比較してみると、一目、円地文子の訳が光を放つのが分かる。
 谷崎潤一郎 「この間ちらと見た月影が再び見えもしようかと思って、入るさの山に迷っております」(38文字)
 瀬戸内寂聴 「あの有明の朝 ほのかに見た月に似たあなたにふたたびめぐり逢えるかとさがし迷っているわたし」(44文字)
 林 望 「梓弓を射るでもありませぬが、月の入佐山のあたりに暮れ惑うております、もしやあのほのかに見た月影が、この山の陰あたりに見えるかもしれないと思うて」 (71文字)
 その他、岩波書店 58文字、小学館 48文字、  角川書房 33文字
 いかに円地文子の訳が端的なものであるかわかるというものである。ちなみに、残念なことには与謝野晶子は歌の訳を省いている。

 このことは、歌以外の本文の訳も、簡潔にして適切なものであると言っていいのかもしれない。ある著名な学者が、
「円地文子の源氏物語に出会って、初めてこの物語をダイナミックに味わうことができた」
と言っていたが、私もそう感じるところが多く、今では随分この本の厄介になっていて、楽しみながら活用している。


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