源氏物語

源氏物語たより389

 ←源氏物語たより388 →源氏物語たより390
   無尽蔵の宝の山にもかかわらず  源氏物語たより389

 「厚木混声合唱団」の演奏を聴いた後、日も高かったので、有隣堂という書店に寄った。厚木では一番大きな書店で、地下一階、地上四階の大きさである。文房具売り場もあるが、とにかく書籍数などもそれなりに多い。古典の書物でも探そうと思って、二階に昇って行った。古典関係の書物は概ね二階か三階にあるからである。ところが二階にはない。そこで若い定員さんに「古文の書物はどこに置いてありますか」と聞いてみた。何とその定員さんは
 「古文?」
と言ってきょとんとしている。どうやら「古文」という言葉を知らないようであった。そこで「源氏物語などの本が置いてあるところです」と説明した。するとパソコンで調べて、「一階にあります」と言う。古典が一階にあるというのもどうも信じられない。「古文」を知らない若者だから、「源氏物語」も知らないのかもしれないなどと思いながら、とにかく一階に行ってみた。すると確かにあった。
 ところが、古典関係の書物は申し訳程度にしか並べられていず、まるで過疎地である。我が源氏物語などはたったの十二冊しか置かれていなかった。しかもそのうちの三冊は、林望氏の『謹釈源氏物語』で、その他のものも『源氏物語を知る』などというタイトルの漫画チックなものばかりである。もちろん枕草子も徒然草もほんの一、二冊。哀しい限りである。どういうわけか、『百人一首』ばかりは四、五冊も置かれていた。
 古典というものがいかに読まれていないか歴然と見る思いがした。厚木という土地柄であろうか。それにしては先ほど聞いた混声合唱団のレベルは高かったのに。全体的に古典が人の注目を引かなくなっているのは事実のようである。源氏物語の魅力に取りつかれている者にとっては何とも寂しい現象である。

 ところで、私のブログ用の『源氏物語たより』が四百編を超えた。私のような素人にさえ四百編以上の文章を書かせる源氏物語という文学の、底の知れない内容の深さ豊富さに改めて感嘆させられた。とにかく面白いし考えさせるところが多いのである。先日、「源氏物語を読む会」で『澪標』を読んでいたら、お二人の人が、この巻に出てくる「我は我」という紫上のつぶやきにひどく感動させられたと言っていられたが、そうなのだ、源氏物語には読むたびに、自分の人生になぞらえて考えさせられるところが出てくるのである。自然と人事の絶妙な交錯、適宜な笑いやくすぐ、鋭い心理描写、転変極まりない物語の展開などから受ける喜び楽しみ、哀しみ憤り、あるいは省察が随所に表れる。源氏物語はまさに無尽蔵の宝の山なのである。
 ところが、その価値れを知ってもらう手段がないのである。書物をもって源氏物語の魅力を伝えることは、先の現象でも分かる通り無理である。国文学者たちは、学研的な掘り下げをするばかりで、些細なことを大仰に、しかも難解な言葉をもって文章化するだけで、およそ一般人からは程遠い甲骨の世界に遊んでいる。「学者でござる」というような人には、とても源氏物語の魅力を伝えることはできない。
 
 私は、ふとケーシ―・・高峰を思い出した。ケーシー・高峰は医学者のようであって、医学者ではない。日大の医学部を退学したとかしないとか、とにかくよく分からない人物であるが、父か兄かに、医者がいるようではある。いわば医者の家系からの落ちこぼれかも知れない。
 私は彼の話が好きで、いつも腹を抱えて笑っている。舞台に黒板をでんと据えて、彼の講義が始まる。もちろん医学の講義である。黒板を実に効果的に駆使していかにも医者然として医学の話をするものだから、思わず引き込まれて真剣に聞いていると、全くの駄洒落ではぐらかす。それでも聴衆をなんとなく医学の世界に引きl込んでくれるようであるのは
確かだ。それに時には考えさせられることもある。先日は
  「日本にはTTPはいけません」
と大上段に構えた話を始めた。ところが結論がいけない。
  「TTPが承認されると、日本にはいろいろな食物がどっさり入ってくるようになる。何でも食べることが好きな日本人は、胃腸が弱い民族だということを忘れて、世界各地から入ってくるものを食べてしまう。そうすると下痢を起こしてピーピーピーになってしまうからだ」
 痔の話だってひどいものだった。
  「明智光秀が、本能寺に織田信長を攻めた。火の手が上がり始めたというのに、信長、渋い顔をして動かない。森蘭丸が跪いて「殿!いかがなされた?」と聞くと、「いや、ほんのじ」」

 私に、源氏物語に耽溺するきっかけを作ってくれたのが、上原まりである。筑前琵琶の奏者である上原まりが、瀬戸内寂聴訳の『源氏物語』を弾き語りするという演奏会である。彼女は、ただ寂聴の訳文を語るだけでなく、合間、合間に源氏物語に関する話を面白く語ってくれた。
 琵琶を弾くなどということは容易なことではない。そこで、思いついたのがケーシ・高峰流の「漫談源氏物語」を誰かがしてくれないかということである。とにかくこのままでは、源氏物語をはじめとする古典は、絶滅危惧種になってしまう。いや今まさに絶滅に瀕している。


もくじ  3kaku_s_L.png 未分類
もくじ  3kaku_s_L.png 郷愁
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏
もくじ  3kaku_s_L.png 源氏物語
  • 【源氏物語たより388】へ
  • 【源氏物語たより390】へ
 

~ Comment ~

管理者のみ表示。 | 非公開コメント投稿可能です。

~ Trackback ~

トラックバックURL


この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)

  • 【源氏物語たより388】へ
  • 【源氏物語たより390】へ