源氏物語

源氏物語たより390

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   こんな歌が理解できるの? 源氏物語たより390

 源氏物語の歌は非常に難しい。源氏物語を読み始めたころは、歌の抵抗が激しく、何度も立ち往生し、時には飛ばして先に進んでしまったりしていたものだ。しかし源氏物語を理解する上では、歌は欠くことのできない重大な要素であることが分かってきたので、歌の理解のために悪戦苦闘し、随分精力を注いできたものである。今では掛詞や縁語などの修辞にも慣れ、また紫式部の歌の特徴も分かってきたので、その抵抗も少なくなり、源氏物語の理解は以前よりもはるかに深まってきている。
 
 光源氏が、紫上を拉致同然に二条院に連れて来て、何とかこの子を理想的な女性に育てるべく、絵や書を連日特訓する。
 ある時、紫上の手習いの手本とすべき歌を書いてやっていたが、その隣に小さな文字で次の歌も添えていた。
  『ねは見ねどあはれとぞ思ふ 武蔵野の露わけわぶる草のゆかりを』
 極めて難しい歌である。ところが紫上は、この歌に目を止め、そして次の歌を源氏に返したのである。
  『かこつべき故を知らねばおぼつかな いかなる草のゆかりなるらん』
 これも結構難しい歌であるが、意味は概ね次のようになろうか。
 「あなたは私を口実にしてこんな歌を詠っていられますが、私は一体どういう人のゆかり(縁者)だというのでしょう。気になって仕方がありませんわ」
 紫上は十歳である。十歳の少女が源氏の超難しい歌の意味が分かるのだろうか、信じられないことである。また、十歳の子が「かこつべき故を知らねば」などという歌を作ることができるのだろうか。以前、紫上の祖母が源氏に向かって言ったことがある。 
 『(この子(紫上)は)難波津をだに、はかばかしう続けはべらざる』
と。「難波津」とは、古今集序にある
 『難波津に咲くやこの花 冬ごもり 今は春べと咲くやこの花』
をさしている。この歌は幼い子女たちが、手習いの手本とするもので、いわば現在の「いろはにほへと・・」あるいは「あいうえお・・」に当たるものである。祖母の目からすれば、紫上は「まだまだお手本の初歩である難波津さえまっとうに書けないほど幼い」のである。源氏が、早く紫上を自分に譲ってほしいとしつこく言っていたから、「とてもまだ嫁に行くような歳ではありません」と源氏に釘を刺した言葉である。
 そんな幼い紫上が、源氏がすさびに書いた小さ文字の歌の意味が分かるというのだから驚異である。
 もっとも物語上の歌を独立させてしまうと意味がさっぱり分からなくなってしまうもので、古今集などでも、「詞書き」を読んで初めて歌の意味が鮮明になってくる、などということがよくあるものである。
 源氏の歌に詞書きを付けるとすればこんなふうになるかもしれない。
 「容易に逢えない藤壺宮の縁者である紫上を、宮の形代として見ると」
 それではこの歌を一言ずつ訳していってみよう。
 『ねはみねど』は、「まだ床を一緒にしたことはないが」という意味で、「ね」は「寝る」に掛けてある。紫上とはまだ実事には至っていないけれどということである。
 『武蔵野の露わけわびる』は、「武蔵野の露を分けて逢いに行くことはなかなかできずに進みかねている」という意味で、藤壺宮と逢うことは容易ではないがということを暗示している。
 『草のゆかりを』は、藤壺宮と紫上は叔母、姪の関係にあるので、二人の縁戚関係を「ゆかり」といったものである。
 全体の意味は
 「逢おうとしてもなかなか逢えない藤壺宮、そのゆかりの紫上をとても愛しいと思う。でもまだ床を共にはしたわけではないけれども」
 実はこの歌は、いくつかの古歌を引いて詠われたもので、正確に訳そうとすればさらに複雑になる。
 これほど複雑、難解な歌を、わずか十歳の子が理解できるというのだから、現代の我々にとっては奇跡というしかない。「どうせ物語だから・・」と言ってしまえば身も蓋もなくなるのだが。

 ただ当時の貴族たちにとっては、歌が極めて重要なものであったということを理解しておかなければならないだろう。それは子供も同じであった。特に男・女の在り方は歌で展開されていったようである。歌が読めない、また相手の歌が理解できないようでは、まともな結婚もできなかったのだ。
 それに、紫式部は現実離れしたことを物語に書く人ではない。それなりの根拠があるからこそ、こういう場面を設定したのだ。
 今『宇津保物語』を読んでいるが、まるで歌物語のように歌が頻出する。この物語の女主人公である「あて宮」には、十四人も十五人もの求婚者がいて、その一人一人から次から次へと恋の歌が贈られてくる。それに対してあて宮は一々歌で応答するのだ(もっとも『御返しなし』というのも多いが)。彼女はわずかに十二歳である。よくこんなに歌が詠えるものだと感心するが、歌を詠えないようでは、女として失格だったのだ。
 紫上は、このあて宮より二歳下に過ぎない。だから紫上の例は決して奇跡とばかりは言えないのである。
 そういえば、和泉式部も子供の頃、古今集千百余首をすべて暗記するよう、親に言われたという。
 当時の子女にとって歌を詠えるようになることは、将来の幸せにつながる必須の条件であったのである。雀の子と戯れていた紫上も、ちゃんと祖母や乳母から歌の手ほどきは受けていたのだろう。だからこそ、源氏が
 「どうせ幼い紫上だ、目も留めはしないだろう」
と、戯れに小さな文字で書いた歌であるのに、彼女の関心はちゃんと注がれたのだ。そればかりだはなく、
 「自分(紫上)を口実にして、源氏さまは私以外の女性に強く心引かれていらっしゃるのだ」
という内容も鋭く嗅ぎ取っていたのだ。もちろん源氏が心惹かれている女性が藤壺宮だということなど、分かりはしないのだが、幼いなりに源氏の深層を覗いていたのは確かである。
 物語上には何も描かれてはいないのだが、その後も源氏の心が自分以外の女性(藤壺宮)のところを彷徨っていることを、鋭い紫上は感じ取っていたのかもしれない。賢明な紫上がそんなことを源氏に吐露することはなかったのだが、それでも幼い時のこの歌のやり取りで、すでに源氏の深層を嗅ぎ取っていたのだから、ありうることだし怖いことだ。紫上のその後の哀れさは、実はこんなところにも遠因していたのかもしれない。だとすれば、源氏がすさびで、この歌を書き添えてしまったことは大変な失敗であったといえよう。
 歌は、生活上の重要な手段であり、幸せを導くものであるとともに、時には人生を暗転させる凶器にもなっていたということではなかろうか。


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