源氏物語

源氏物語たより392

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   困惑する藤壺宮  源氏物語たより392

 桐壷帝は、朱雀院の御賀のために朱雀院(代々上皇の御所)に行幸することになった。その際は、さまざまな管弦・舞楽が華やかに催される。ところが、この催しを藤壺宮が見ることができないことを残念に思った帝は、彼女のために清涼殿で試楽を行うことにした。
 この時、光源氏が舞った青海波は、それはそれは見事なもので、帝を始め、上達部や皇子たちで、泣かぬものがないほど感動的であった。さすがの例の弘徽殿女御さえ、
 『神などの空にめでつべきかたちかな。うたてゆゆし』
と唸ったほどであった。あまりに美しいものは、神がそれに魅入られて大空に連れて行ってしまうという。そこで、弘徽殿女御は「気持ちが悪く、不吉である」と、妬みの気持ちを含めて、呪わしげに言い放ったのだ。それほどに源氏の舞いは出色だったということである。

 藤壺宮も、もちろん源氏の舞いを
 「めでたく、夢の心地がする」
ほどに感激して見ていた。ところが、彼女は、それを言葉にも態度にも素直に表現することができなかった。なぜか。
 『おほけなき心』
があるからである。「おおそれた気持ち」という意味である。
 この「おほけなき心」を
 「源氏の自分(藤壺宮)に対する恋心」と取る解釈もある。(玉上琢弥〔角川書店]、林望〔祥伝社〕など)
また「藤壺宮と源氏の二人のおおそれた心」と取る解釈もある。(谷崎潤一郎[中公文庫]、円地文子〔新潮社〕、瀬戸内寂聴〔講談社〕など)
 私は、小学館や岩波書店や与謝野晶子[角川文庫]などの解釈と同じように
 「藤壺宮の、源氏に対するおおそれた恋心」
と取りたい。
 この年の初夏、二人はありうべからざる逢瀬を持っている。実はこの逢瀬は二度目なのである。二度目の逢瀬にもかかわらず、宮は源氏の求愛を決して拒みはしなかった。なぜなら、彼女にも源氏に対する忍び難い愛の気持ちがあるからである。畏れ多い不義と分かっていても、敢然とこれを拒めなかったのは、その切ない恋心ゆえである。

 試楽の夜、宮はそのまま帝のところにお泊りである。帝は、宮にこう尋ねる。
 『今日の試楽は、青海波にこと尽きぬな。(あなたは)いかが見給ひつる』
 宮にとっては誠に厳しい問である。「おほけなき心」さえなかったら、当然
 「おっしゃる通りですわ。本当に源氏さまの青海波は素敵でした!」
と答えるところである。でも先のわだかりの心があるから、素直に賛意を表すことができないのだ。この時の宮の気持ちが次のように表現されている。
 『あいなう、御いらへ聞こえにくくて』
 「あいなう(し)」は、なかなか複雑なニュアンスを持った古語で、現代語に訳しにくい。気持ちがきっぱり定まっていない時などに使われるようである。つまり「どうも・・」とか「なんとなく・・」という吹っ切れない感じである。この場合は、「どうも・・答えにくくて」とでも訳せばいいのだろう。
 帝は、宮と源氏の間に「そんなこと」があるなどとは妄想だにしていないから、ごく自然に聞いたまでである。もっとも帝の心のうちには、「あれが私の寵愛する皇子である」という誇りかな気持ちが含まれていないとも言えない。だから宮に大いに賛同してもらいたいのだが、素直な気持ちではいられない宮は、
 『「殊にはべりつ」とばかり』
答えるしかなかった。「格別でした」と、ごく当たり前で差しさわりのない言葉で濁してしまう。とにかくこんな時に自分の「おほけなき心」が漏れ出てしまったら、取り返しがつかないことになるのだ。
 この「・・とばかり」が、実に憎い表現で、紫式部の筆の冴えを感じさせる。

 その後、源氏は里下がりしていた宮を尋ねるが、彼女は『けざやか(他人行儀)』にあしらうだけで、何の得るところもなく源氏も『すくずくし(几帳面な)』い挨拶だけして帰ってくるしかなかった。

 翌春、新年の挨拶に源氏は、宮のところに出かける。女房たちは、源氏が年ごとに立派に成長なさる姿を見て、「今日はまた特別ね!」などと賛嘆の声を上げて迎えるのだが、宮に直接話すことはもとより、御簾越しに話すことすらできずに、また帰ってくるしかなかった。
 ところが女房たちの賛嘆の声を聴いていた宮は、
 『几帳の隙よりほの見給ふにつけも、思ほすこと繁かりけり』
という状態だったのである。
 彼女が「思ほすこと」はもちろん単純ではない。彼女のお腹にはあと二カ月ほどで生まれ出る子が宿っているのである。その子の本当の親は、ほかならぬ源氏である。思い捨てなければならない男であるにもかかわらずそれができない苦しさ。思わず几帳の破れから愛する男を「ほの見」ていた。
 愛する男の子を生む嬉しさと困惑、このことで、その後、彼女はさんざんに悩むことになる。


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