源氏物語

源氏物語たより394

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   弘徽殿女御の屈辱  源氏物語たより393

 『紅葉賀』の巻において、ついに藤壺宮が中宮に立たれることになった。これは全く想定外のことなのである。なぜなら、藤壺宮よりもはるか以前に入内していた弘徽殿女御を飛び越えた立后だからである。そればかりではない。弘徽殿女御は、押しも押されもしない右大臣の娘であり、一の皇子を生み、その皇子が春宮になっているのだ。誰が考えても、弘徽殿女御が中宮になるのが自然である。
 帝からこの件を伝えられた時、弘徽殿女御は
 『いとど御心動き給ふ』
のであった。それは当然のことである。
 藤壺宮立后は、桐壺帝の相当な無理の上になされたものである。帝の論理はこうだ。
 「私は間もなく譲位し、あなた(弘徽殿女御)の皇子に位を譲る。そうなればあなたは皇太后である。だから騒がず気楽な気持ちでいなさい」
 しかしこれは帝の理論であって、世間が承知するものではない。
 『げに、春宮の御母にて、二十余年になり給へる女御を(さし)おきたてまつりては、(藤壺宮を中宮に)引き越したてまつり給ひがたきことなりかし』
と誰もが疑問に思った。この無理が通ったのは、右大臣の力がさして強力ではなかったからであろう。もし弘徽殿女御の父・右大臣が、藤原道長のような人物であったなら、とても通らなかった無理である。おそらく『源氏物語』の冒頭とは、事情が随分変わってきていて、右大臣にとやかく言わせないだけの権威が帝についていたのだろう。
 なぜ帝はそこまでの無理押しをしたのかは、本項のテーマから外れることなのだが、簡単に言えば、寵愛する藤壺宮の立場を確実なものにしておき、二人の間の子である皇子(後の冷泉帝)の安泰を謀ったからである。
 皇后(中宮)であるかないかには、雲泥の差がある。皇后は、天皇と同列で、左・右大臣を越える権威を持つのである。まして、女御や更衣は、臣下に過ぎないのだから、それらとは格段の差が付いてしまう。(もっとも皇太后は、皇后と同格で、その発言力は皇后に勝ることもあったようである。一条天皇の母・詮子にその例を見る)
  
 さて、この扱いによって、弘徽殿女御が嫌というほど屈辱を味わわねばならない事態が出来(しゅったい)した。それは藤壺宮が中宮になられた翌春のことである。
 紫宸殿で花の宴が催された。藤壺宮(中宮)の御座所が、春宮と共に帝の左、右に設けられたのである。これは弘徽殿女御の自尊心を痛く傷つけることとなった。
 『弘徽殿の女御は、中宮の(帝のお傍に)かくおはするを、をりふしごとに安からず思せど』
とある。このような状況は今までも「折節に」見てきていたのではあるが、この晴れの場で、「これでもか」という感じで見せつけられたのである。彼女の心中やいかにである。后が帝の隣に御座所が設けられることは分かっていたのであれば参列しなければいいのだが、弘徽殿女御とて、花の宴の物見だけは、ぜひしてみたいという気持ちがあって、家に引っ込んでばかりもいられなかったのである。
 「花の宴」は、紫宸殿の左近の桜が美しいころに、詩歌管弦などの遊びを行う宴のことで、嵯峨天皇(812年)が初めて行ったものである。以来二月の恒例の行事になっていた。
 この日も、探韻(韻字~たとえば“春”~を給わって漢詩を作ること)が行われ、また上達部などによる華やかな舞も行われた。源氏の青海波の舞いは、例によって
 『似るべきものなく見』
えるし、彼の漢詩は漢詩で、漢学者どもが感嘆のあまり読むこともできないほどの出来栄えであった。
 弘徽殿女御は、藤壺中宮の誇り高い御座所を見せつけられたばかりではない。忌々しい源氏の晴れ姿まで見なければならなかったのである。
 しかもこの日は
 『日、いとよく晴れて、空の色、鳥の声も心地よげなる』
絶好の宴日和であった。参列の一人一人の姿が鮮やかに見渡すことができる。
 列席の人々の関心や視線は、舞いや探韻にばかりあったとは思われない。まずは昨年中宮になられたばかりの藤壺宮に注がれ、またそれと対称の立場にいる弘徽殿女御の姿にも、ちらりちらりと注がれていたはずである。その視線や関心を背に鋭く受けながら、弘徽殿女御は身を縮めていたのではなかろうか。彼女自身の視線は、玉座には向けられないし、まして源氏の舞いになど向くはずはない。彼女の視線はどこを彷徨っていたのであろうか。
 もちろん、『花宴』は、源氏の女性遍歴を描くことが目的であって、弘徽殿女御のそんな心理が描かれているわけではなく、むしろごくさりげなく「をりふしごとに安からず」とあるだけなのだが、気位の高い彼女の心は、察するに余りあるものがある。

 しかし、弘徽殿女御(皇太后)が、源氏によって本当の屈辱を味わされるのはずっと後年のことである。それは、太政大臣となった源氏(三十四歳)が、冷泉帝とともに朱雀院に行幸した帰り、弘徽殿大后を見舞った時のことである。見舞は形ばかりのもので、そそくさと百官を引き連れて帰っていく源氏。自分のことなど歯牙にもかけていないのだ。その源氏の威勢を見て、彼女はしみじみとつぶやく。
 『世を保ち給ふ御宿世は消たれぬものにこそ』
 (政治を我が手に治めてゆく宿運は、ついに消すことはできなかったのか 円地文子訳)
 これはもう「屈辱」などというものを越えている心境かもしれない。諦観であり相手に対する脱帽である。そして彼女は
 『命長くてかかる世の末を見ること』
と自分自身の長命を嘆くのである。「ああ、長生きなどしなければこんな屈辱を受けることがなかったのに・・」
 このことについてはいずれ文章化するつもりでいる。

 源氏物語は、直接政治を描くことはしない。女が政治を語るものではないという考えが紫式部にはあるからである。しかしながら、このような場面で、ちゃっかりと政治を映し出しているのである。「花の宴」という華やかな舞台とは裏腹に、政治の激しく醜い暗闘を、この巻によって我々はほの見ることができる。


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