源氏物語

源氏物語たより398

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   二人の老女(おいびと)   源氏物語たより398

 あれから十四年、かの好色老女は、どっこい生きていた。「あれから」とは、光源氏が十八歳の時に、好色老女として聞こえの高い源典侍に戯れに言いがかり、関係を持った時から、ということである。あの時に源典侍は既に五十七、八歳とあったから、今では七十歳を超えていることになる。例の私の「年齢換算表」に当てはめれば、九十歳を超えているということである。
 しかも、彼女は健在だった。何が健在かと言えば「色好み」がである。
 彼女はどこで露命をつないでいたのだろうか。何と源氏が恋い慕う桃園式部卿宮の娘・朝顔の邸で、尼になっていたのである。式部卿宮は、桐壺帝の弟なので、源氏にとっては叔父に当たる。したがって朝顔は、源氏の従兄妹ということになる。この従兄妹に源氏は熱を上げていたのだが、ここで源典侍はちゃっかり生き延びていたのである。
 
 この邸にはもう一人の老女がいた。源氏と朝顔にとっては叔母に当たる女五宮である。正確な歳は分からないが、やはり相当の年齢になっているはずである。

 式部卿宮が亡くなったために、朝顔は斎院としての勤めをやめて里に帰っていた。源氏は、年老いた女五宮を見舞うことを口実に、この邸を訪れる。もちろん実際には朝顔に逢うことが目的なのである。でも礼儀として最初は女五宮のところに顔を出す。
 女五宮は、少々痴呆の気が出始めているのであろう、源氏を見るなりぺらぺらとしゃべりだした。しかも古ぶるしい様子でしわぶき(咳)を連発しながら話すのである。その声は野太く、様態はいかにもごつごつとして無骨である。彼女は、自らの嘆きや愚痴や妬みを連綿と喋り続ける。その内容は次の如くである。
 「兄・桐壺院は亡くなり、この度は式部卿宮まで私を捨てて亡くなってしまった。もう生きているのか死んでいるのか分かりはしない。命が長いことってどんなに恨めしいことか。でも、こうして悲惨な境遇(須磨明石時代)から立ち戻ったあなたに会えることだけが今の私の幸せなのよ」
 そして次には源氏自身に関する話に飛んで行く。
 「まあ、なんて美しく御成長なさったこと。あなたが子供のころ、世の中にこれほどまで光輝く子がいるものかしらと驚いたものよ。その後も忌々しいほどに美しくなられて。今上の冷泉帝と似ていらっしゃるという評判だけれど、私の目からすればあなたの方がずっと上よ。時々あなたが顔を見せてくれたら、どれほど命が延びることか。今日はお会いできて老いも忘れてしまったし、辛い思いもすっかり醒めてしまった感じだわ」
と長々褒め捲り、果ては泣き出す始末。さすがに源氏も
 『ことにかく(本人に)差し向かひて、人の(を)褒めぬわざかな』
と呆れる。源氏の心は、早く朝顔に逢いたくてそぞろになっているのだ。

 冬になってから再度源氏は女五宮を尋ねた。すると
 『古ごとどものそこはかとなき(より)うち始め、聞こえ尽くし給へど、(源氏の)耳も驚かずねぶたきに、宮もあくびうちし給ふ』
のである。とりとめのない昔話など源氏の耳を驚かすものではない。聞いていても眠いだけ。それでも「聞こえ尽く」そうとするのだからたまらない。さすがに彼女の方も眠くなったのか、
 『いびきとか聞き知らぬ音すれば』
 源氏は「しめた!」と思って朝顔のところに行こうと立ち上がる。

と、なんと
 『またいと古めかしきしはぶき打ちして、参りたる人』
がいたのである。この古めかしくしわぶきする人が、源氏に声をかけてきた。この老婆こそ、まさか生きているとも思っていなかった源典侍であった。そういえば尼になって女五宮に弟子入りしていたとは聞いていたが・・。それが
 『ふりがたく(相変わらず)なまめかしき様にもてなし』
て声をかけてきたのである。歯が抜けてしまったために口は歪んだまま。それでも甘えた調子でもぐもぐと源氏に戯れかかってくるからたまらない。
 さすがの源氏も目も当てられないでいたが、それでも、当時の人々がみないなくなってしまったのに、こんなに長生きする人もいるのかと、感慨に浸りながら源典侍を眺めていると、彼女は、源氏が自分のことをいとしく思ってもの思いにふけっているのかと勘違いし、こんな歌を詠んで寄こす。
 「あなたが私に“おかあさま”と言葉を掛けてくださるのは、あなたと私の契りがいかに深いものであるかの証よ」
(これ以前に源氏が、源典侍に向かって、「私をあなたの子と思って大切に世話してください」と言っている)
 呆れた源氏は、
 「あの世で私の本当の心を期待しながら待っていてください」
という歌を残して、その場を立ち去ってしまう。

 紫式部は、九十歳にして未だ色好みを失っていない老女と、生まれは最高ながらいささか痴呆がかった老女という二人の老人を、実に鮮やかに、対称的に描いている。源典侍については、『源氏物語たより』の恰好な題材として何度も取り上げてきているので、ここでは今更言うまい。
 一方の女五宮が、年老いた人間の典型として見事なまでに写し出されている。
 まずは年寄り共通の癖である長話である。「聞こえ尽くす」というのだから、聞いている方が居たまれないほどの長話をする。話の内容と言えば、「古ごと」ばかり。昔はこうだったああだったと延々として喋り捲る。相手が聞きたい話題であるかどうかなどは一切忖度(そんたく)しない。そして愚痴と妬みと、また自己の生涯の不遇とをくだくだと嘆き続ける。
 と思うと、話の最中に、突然しわぶきをしたり、うつらうつらと居眠りを始めたりする。そして突然目覚めて、傍らのすっかり冷めてしまった茶をグイと飲み、
 「そういえば、あなたは子供のころから成績もよくって、素直で、礼儀正しくて、とても素敵な子だったわ」
などと、本人を目の前に臆面もなく褒めまくり始めたりする。
 
 紫式部の筆に踊らされて、「あはは」笑いながら読んでいるうちに、いつの間にか自らの身に振りかかっている問題ではないかと、愕然とする。私もこのお二人の歳に近くなった。老いというものほど哀れで悲しいことはない。しかも人を選ばない。たとえ天皇の皇女として生まれようとも、美貌で趣味・教養の豊かな女性でも差別せず、容赦なく忍び寄ってくる。
 声はしわがれ目は霞み目じりはたるむ。耳は遠くなり足腰はおぼつかない。肌はごそごそとして無骨そのもの。だったら人前に出なければいいのに、のこの出て来て、人の思惑も考えずに自説を通そうとする。
 何か身につまされるものがあって、背筋に冷たいものが流れてくる。ああ,嫌だ、嫌だ。そんな醜さを暴き出して笑いの種にするとは、紫式部も嫌な人だ。



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