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源氏物語

源氏物語たより401

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   『蛍』の巻の不自然さ  源氏物語たより401

 『末摘花』の巻に次いで、いささか鼻につくのが『蛍』の巻である。好感どころか嫌味で、悪趣味でさえある。紫式部ともあろう人が、どうして光源氏にあのような信じられない謀(はかりごと)をさせたのだろうか。まことに無理な筋の設定である。

 源氏の謀の犠牲になったのが兵部卿宮である。宮は、源氏と仲の良い異母兄弟で、風流人として名が通っている。「絵合わせ」などの風雅な催しの折には必ず顔を出して、一講釈する。また、玉鬘に懸想している多くの男の一人でもある。源氏は、玉鬘の美しさを男どもに知らしめてやろうと、とかく悪だくみを考えている。特に宮に対しては、玉鬘の美しさを見てどのように反応するか、日頃の宮の風流ぶりの鼻を明かしてやろうと、うずうずしているのだ。
 玉鬘には、「宮ほど風雅を心得た人はいないから、彼からの文にだけは返事をするように」と勧めて見たり、そうかと思う「宮は婀娜っぽい人で、召人(めしうど 妾)などもたくさんいる」と褒めてみたり貶(けな)してみたりするのである。
 玉鬘から珍しく返事が来たことに勢いを得た宮が、ある夕方六条院にやって来る。そこで几帳を隔てて玉鬘と話す機会を得たのだ。彼は常と違って、真面目ぶっていかにも思慮深そうな様子で玉鬘に話しかけている。それを見て源氏はニンマリする。
 そのうち源氏は玉鬘のところにそっと忍んで行って突然
 『御几帳の帷子をひとへ打ちかけ』
たのである。几帳は、その上端に横木が付いていて、そこに四枚ないし五枚の帷子(かたびら カーテン)が垂れているのだが、その一枚を不意に横木の上にうち掛けたのである。するとそれに合わせて
 『さと光るもの』
があった。女房の誰かが、手燭(小型の蝋燭立て)を差し出したのかと思われるほどの明るさである。しかしそれは手燭の光りではなかった。なんと蛍が一斉に放たれた光りだったのである。
 実は、玉鬘の美しさを宮が見て、どのように心惑いするか見てやろうという魂胆から出た源氏の悪戯で、蛍をたくさん集めておいて、夕方、几帳の薄い帷子に工夫をし、そこに包んでおいたのを放したのだ。
 宮は、二間ばかり離れたところで突然光った明かりに、ほのかに浮かんだ玉鬘の姿を見てしまった。
 『そびやかに臥し給へりつる様態のをかしかりつるを、あかず思して、げに案のごと、御心に沁みにけり』
 「そびやかに」とは、すらりと丈の高い様で、女がその身を横たえていたのである。美しくないはずはない。宮はすっかり魅入られてしまった。それは源氏の魂胆にピタリと符合するものであった。「げに案のごと」とはそのことである。源氏とすれば「してやったり!」という思いであったろう。

 養女格として引き取った玉鬘への源氏の思いは非常に複雑で、激しく燃える恋心と、身分や立場や歳から、その気持ちを抑制しなければならないという思いとのはざまで、もがきにもがいていた。だから、この悪戯を一概に「いい歳をして、養父という立場も忘れて」と咎めることもできないかもしれないが、それにしても養女をだしにして、弟宮を翻弄し愚弄するというのはあまりにも悪趣味である。さすがに作者自身も咎めるところがあったのだろう、
 『まことの我が姫君をば、かくしももて騒ぎ給はじ。うたてある御心なりけり』
 「本当の自分の娘だったら、こんなに変なから騒ぎはすまい。嫌な源氏の心であるよ」
と断っている。

 そもそも蛍の光りくらいで、二メートルも離れたところに臥せっている女の姿を見ることができるものであろうか。それに帷子の中に蛍を包んでおくというのも非現実的である。事実に即して描写することを信条にする紫式部ともあろう者が、なぜこれほどの無理をしたのだろうか。このことをずっと疑問に思っていた。
 ところが今回『宇津保物語』を読んでいて、「あ!これだ」と納得がいった。紫式部は、古来の文献・文物を活用することについては天才肌である。恐らく宇津保物語の『蔵開(くらびらき)』の巻の場面をどこかで使いたいという思いが頭にずっとこびりついていたのではなかろうか。確かの宇津保物語のこの場面だけは面白い。

 宇津保物語の主人公・仲忠の母は、琴の名手であるとともに、比類ないほどの美貌である。今は尚侍(ないしのかみ)になっていて、帝は何とかしてこの女性の素顔を見たいものだと思っていた。そうかといって明かりを明るく灯すというのも露骨すぎて不粋である。
 そこで思い出したのが車胤の故事である。例の「蛍の光り 窓の雪」である。今更言うまでもないが、「晋の車胤は貧乏で灯油が買えず、袋に蛍を集めてその光りで書を読み、孫康はやはり貧しかったので、雪の明かりで勉学した」という話で、卒業式歌『蛍の光』としてもよく知られている。
 さて、宇津保物語の話はこうである。少し長い文章であるが、源氏物語との関連から概ねそのまま写してみよう。文章は宇津保物語にしては易しい。

 『蛍、(帝が)おはします御前わたりに、三つ四つ連れて飛び歩く。上「これが光りにものは見えぬべかめり」と思して、立ち走りてみな捕へて御袖に包みてご覧ずるに、数多(あまた)あらんはよかりぬべければ、やがて「童べやさぶらふ。蛍少し求めよや」(と呼ぶのだが、夜が遅いために殿上童は誰もいない。それを聞いていた)
 仲忠の朝臣はうけ給はりうる心ありて、水のほとり、草のわたりに歩きて、多くの蛍を捕へて、朝服の袖に包みて持て参りて、暗き所に立ちて、この蛍を包みながら、うそぶく(独り言を言う)時に、上いととく御覧じつけて、直衣の御袖に移し取りて、包み隠して持て参り給ひて、尚侍のさぶらひ給ふ几帳の帷子を打ちかけ給ひて、ものなどの給ふに、かの尚侍のほど近きに、この蛍をさし寄せて、包みながらうそぶき給へば、さるうすものの御直衣にそこら(たくさん蛍が)包まれたれば、残るところなく見ゆる時に、尚侍「あやしのわざや」とうち笑ひて、かく聞こゆ
 「衣薄み 袖のうちより見ゆる火は みつしほたるるあまや住むらむ」』

 なんと源氏物語とほとんど同じではないか。いや源氏物語よりも嫌味が無くて、筋も素朴であどけなく、ほのぼのとした可笑し味がある。尚侍は、帝の行為を決して怒っていない。それどころか尚侍の歌から分かるように、帝との間にほのかな情の交流が偲ばれて好ましい。歌の意味は次の通りである。
 「帝がお召しになっていられる衣が薄いので、袖から火が見えますが、恐らくその火(光り)で、ぐしょ濡れになっているみすぼらしい海女(わたし)の姿が見えてしまって、がっかりなさったことでございましょう」
 (ちなみに「しほたるる」には、「ほたる」が隠されている)
 それに比べて玉鬘は、源氏のねちねちした行為に
 『我が身づからの憂さぞかし』
としょげ返っているのだ。そして、「こんなことが世間に知れたら・・」と起き臥し思い悩むのである。
 源氏の企みは相当可笑しいはずなのに、わざとがましさが鼻についてしまうので、素直に笑えない。それは末摘花を徹底的に愚弄したことにも通じる。「玉鬘十帖」が、「面白みに欠ける」とはよく言われるところであるが(玉鬘、野分、真木柱は面白いと私は思うが)、それは源氏の錯綜した玉鬘への思いが整理されないままに書き継がれてしまって、洗練さに欠けてしまったからではあるまいか。

 以前、「源氏物語は、宇津保物語や落窪物語などの影響は決して受けていない、源氏物語は孤高の作品である」と言ったことがあるが、この場面ばかりは、宇津保物語の影響を受けていると言わざるを得ない。
 もっとも伊勢物語にも蛍の光りで女車の中を覗く場面があるし、大和物語にも蛍の光りを扱った作品がある。ただそれらは源氏物語とは若干のずれがあるのに比べて、宇津保物語の話は、源氏物語そのままである。
 あるいは「蛍の光」の話は、当時人口に膾炙(かいしゃ)されていたので、相互の影響云々は関係ないのかもしれないが,それにしても似通い過ぎている。どうせなら宇津保物語のさわやかさでほのぼのとした可笑し味も似せてくれていたらと思う。


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