源氏物語

源氏物語たより403

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   玉鬘のささやかな反発 『蛍』  源氏物語たより403

 五月雨の候、つれづれのまぎれになればと、六条院の御婦人方は絵物語を楽しんでは明かし暮らしていた。玉鬘も例外ではなく、自分で物語の絵を描いてみたり、物語の文章を書き写してみたりしていた。特に継母物語で有名な『住吉物語』などは、自分が歩んできた過去の厳しい生活を思い出させ、それと比べながら楽しんでいた。
 そこに光源氏がまたまたやって来て、こんな皮肉を飛ばす。
「女というものも、困ったものだなあ。この暑い中、髪の乱れにも気づかず、物語を事実のことと思って、欺かれているとも知らずに喜んで読んでいるよ」
 そして、この後、源氏得意の講釈を開陳していくのである。
 「物語作者は、「いかにもそういうこともあるかもしれない」と、それらしく創作するものだ。読者の方でも、どうせ他愛のないこととは知りながら、次第に物語の筋にのめり込んでいき、やがては登場人物にすっかり魅了されてしまったりする。また、そんなことはあるはずがないと思っていても、大袈裟な書きぶりに目を見張らされて、物語の世界にはまり込んでしまう」

 と、ここまでは、ごく一般的な物語論で難はなかったのだが、次がいけなかった。
 『ものよく言ふ者の、世にあるべきかな。空ごとをよくし馴れたる口付きよりぞ,言ひ出すらむ、と思ゆれど、さしもあらじや』
 (まあ、うまいことを言う者がこの世にはいるものだなあ。こういう物語を作り出すのは、嘘を付き慣れた者が、口から出まかせを言うのだろうよ。あなたはどう思う?)
 玉鬘は、折角物語に興じ入っていたのに、「この暑いのによくも・・」とか「女というものは・・」とか言われて、カチンと来たのかもしれない。源氏に向かってこう反発する。
 『げに偽り馴れたる人や、さまざまに、さも酌み侍らむ。ただいと真(まこと)のこととこそ思う給へられけれ』
 (おっしゃるように、嘘を言い慣れている人は、いろいろそのように酌み取るのでしょうけれども、私などにはみな本当のことしか思えませんわ)
 源氏の「嘘」は定評のあるところである。この玉鬘の言葉で、読者は「よくも言ってくれたものよ」と快哉を叫んだかもしれない。それほどに源氏の嘘には、読者たちは辟易されていたのだ。特に玉鬘に向かっては、あることないこと「いづかたよりとうで給ひし言の葉にかあらん」ねちねちと絡んでは、あるまじき懸想心をほのめかしていたのだから、読者もほとほと呆れて、手の施しようもなく見つめているしかなかったのだ。
 いずれにしても、玉鬘ほど源氏の嘘や甘言や巧言に悩まされた女性もいない。でも玉鬘とすれば自分の危機を救ってくれたお方であり、手厚く世話してくれているお方であることに間違いはない。いつも御説ごもっともと、耐えているしかなく、とても抵抗などできるはずはない。
 そんな思いでいるところに、源氏は、うっかり「嘘を付き慣れているものが物語を作るのだ」などと言ってしまった。おそらくこの時は、自分が嘘つきの天才であることをすっかり失念してしまっていたのだろう。
そこを玉鬘に見事に刺されてしまった。
 玉鬘の反発は、あるいは反発とは言えないのかもしれない。取りようによっては、源氏を指して言っているのではなく、一般論として言ったのかも知れない。それほどに弱々しげな反発である。でもこの言葉は、源氏にとっては相当鋭いパンチであったはずである。この一言で、これからの懸想の言葉も相当慎重にしなければならなくなってしまったのだから。そこで源氏は敗け旗を挙げるようにこう言う。
 『こちなくも聞こえ落としてけるかな』
 (不躾にも物語を貶(おと)しめてしまいましたね)

 ここには玉鬘に対して「しまった」という思いの他に、女性や女性の好みまで貶めてしまったことへの後悔、あるいは物語の持つ価値をまで貶めてしまったことへの反省など、さまざまの思いが込められているはずである。
 特に、物語は、紫式部の存在そのものである。それを貶めてしまったのだから、皮肉なことで、彼は慌てて物語弁護を展開する羽目になる。
 「物語はもっぱら空言を言っているわけではない。すべてこの世はそれなりに意味があるものである。それにしても、物語に比べても私ほど真面目な男はあるものではない」  
と言う。しかし、この言葉の前半は弁解だから許されるのだが、後半がいけない。もう日頃の好き心をほのめかし始めるのだから、まるで「蛙の面に・・」で、玉鬘のせっかくの反発も本当に「ささやかな」ものでしかなくなってしまった。「俺ほど真面目な男はこの世にいないのだからさあ・・安心をおし」と言って 
 『(彼女のもとに)さし寄り』
給ふのだから、そのしぶとさ、あさましさといったら言いようもない。
 この件については、後にまたゆっくり見て行こうと思っている。

 「まことや(そうそう、そう言えば)」ここで展開されている源氏の物語論は、極めて高度なものであるし深い意味も持っているので、少しばかり触れておこう。
 彼は言う。
 「そもそも物語というものは、神代からの世の実相を記しておいたものである。それに対して、歴史書は社会に起こったもののうち、そのほんの一端を記したものに過ぎない。物語こそ社会の真実を写し取ったものなのである。
 この世に生きている人の上に起こったことで、見るに見飽きず聞くに聞き飽きないような事実を一人の胸に収めておくことができずに、書きとめたものが物語である。
 一見この世にありえないような大仰な内容でも、作り事だとばかりは言えない。作者は、良きにつけ悪しきにつけ、読者の興味を引くように誇張したりさまざま付け加えたりの工夫をするものだ。それは、ちょうど仏様が法を説くのと同じで、相手によって説き方を変えていくこともある。矛盾しているようでいて、実は物語作者や仏様が言わんとしていること説こうしていることは、世の中の真実を語っているものなのである」
 そして再度こう念を押すのである。
 『ひたぶるに空言と言ひ果てむも、ことの心違ひてなむありける』
 (物語を一方的に「嘘ごと、作り事」と言い切ってしまうのは、間違った見方である)
 やはり玉鬘のささやかな反発が少しは響いていたのであろうか。もっとも物語作者の大御所である紫式部が、物語を侮るはずはないのであって、先刻承知のことをからかい気味に言ってみただけであろう。若い娘の反発など痛くも痒くもないのだろうが、それだから、源氏は「空言の大御所」と言われてしまうのである。
 紫式部は、死後、地獄に落ちたという。それは藤壺宮を犯したような人倫に外れた行いだけを言っているものではあるまい。虚言癖もその一つで、閻魔さまに断罪されたのかもしれない。(あるいは閻魔様をも言いくるめてしまったかもしれないが)


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