源氏物語

源氏物語たより405

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   けしからぬ光源氏の懸想 『常夏』 源氏物語たより405

 万葉集の東歌の中に私の好きな歌がある。たまたま神奈川県の足柄が舞台になっているということもあって、特に親しみがわくのかもしれない。
 『足柄の崖(まま)の小菅の菅枕 何故か巻かさん 児ろせ手枕』
 (足柄の崖に生える菅で作った枕などを、どうしてあなたはして寝ているの。それよりも、私の手枕でお休みなさいな。いとしい子よ)
 「菅枕」は、「菅笠」や「菅の蓑」などと同じで、菅で作った枕のこと。「児ろ」の「ろ」は、親愛の情を含んだ助詞。
 菅で使った枕では確かにあまり快い肌触りではあるまい。それだった柔らかく温かい男の腕を枕にした方がよほどいい。「さあ!」と言われれば女はすぐそちらに転がって行く。なんともあけすけで、素朴で、土の匂いがぷんぷんとするような微笑ましい歌である。東歌は、性を何のこだわりもなく詠い上げていて爽やかである。

 時と共に玉鬘の魅力の虜になって行く光源氏は、自分の思慕の情が暴発してしまうのではないかと、危ない橋の上にいる。だったら行かなければいいのだが、琴を教えるのを口実にして、しばしば訪れては心をたぎらせている。そして時に冗談交じりに自分の思いをほのめかすのである。
 ある時などは催馬楽を口ずさんで、相手の反応を確かめてみたりした。
 『貫河の瀬々の小菅の やはら手枕 やはらかに 寝る夜はなくて・・』
という歌を
 『いとなつかしく謡ひ給ふ』
のである。「貫河」は、三河の矢作にある川の名で、その
 「貫河の浅瀬に生える菅で作った枕は柔らかい。私の腕もそれに劣らず柔らかいよ。それなのにその腕を枕にして、あなたと打ち解けて寝る夜がなかなかやって来ない」
という意味の歌である。本来はもっと長く、その章ごとを男、女が交互に歌って行くのだそうだ。催馬楽は、もともと民間で歌われていたもので、明るく屈託のないものが多い。それを大勢でわいわい囃しながら歌うのだ。
 
 源氏はこの催馬楽を「なつかしく」謡ったというのだ。「なつかし」とは、今の「懐かしい」とは若干趣を異にし、「しみじみと心惹かれるように」というニュアンスである。源氏のことだからかの美声で、女の心をとろかすようにしみじみ謡ったということだろう。
 時は真夏の夜。月もない頃なので、庭には灯篭に灯が入っている。さらに源氏は篝火を近く寄せさせた。何しろここは最高の貴族の最高の邸・六条院なのである。これ以上情緒あふれるところはない。そこで、源氏は和琴を引き寄せて、それをつま弾きなが謡ったのだ。催馬楽とはかけ離れた別世界で、いかにも男、女の妖しい恋が繰り広げられる場面設定である。そこで「私の腕枕であなたと寝る夜がなかなかなくて・・」というのだ。玉鬘に「早く一緒に寝たい」と臆面もなく催促していることに異ならない。源氏の懸想心がむらむらと燃え上がっている図である。
 催馬楽の素朴さや明るさとはほど遠い世界で、どうやら源氏は引き歌を間違ってしまったようだ。

 もう一度、先の万葉集の東歌に帰ってみよう。菅枕と手枕という素朴な素材を題材にしているところは、「貫河」の催馬楽と同じである。あるいは催馬楽が万葉集を借りたのかもしれない。そして両者ともに男女の愛の姿を、おおらかに、素朴に、あっけらかんと歌っていて、一かけらの性の匂いも感じさせない。万葉集の東歌は性を真正面からずばり歌っているものが多く、それでいてじとじとした暗さがない。
 足柄の東歌をもう一つ上げてみよう。
 『足柄のをてもこのもに刺す罠の かなる間しづみ 児ろ我 紐解く』
 少し難しい歌なので、まず意訳を示しておこう。
 (足柄のあちらこちらに罠を仕掛けようとなんと騒がしいことだ。この騒ぎが止んだら、愛しいおまえと、さあ一緒に帯を解きましょう)
 二人の若者が先ほどから繁みにひそんで、愛を語らっていたのだろう。ところが、狩りのために罠を仕掛けるのだと言って周囲が大騒ぎになってしまった。二人は繁みから出るに出られずじっと身をひそめている。男は小声で「この騒ぎが少し静まったらさ・・」
と優しく女に囁く。
 実にあけすけでおおらか、性そのものをずばり謳歌していながら、そこにはやましさや暗さを感じさせるものは微塵もない。恐らくこれも個人の歌ではなく、集団で囃したてて歌ったものであろう。その面でも催馬楽に通じるものがある。

 集団で囃しながらおおらかに歌う催馬楽を、中年男の嫌らしさと男の欲情をたぎらせながら源氏が謡ったのでは、全くのミスマッチになってしまう。これでは読者は、 
 「この養父と養女は、これからどのような道に外れたことをするようになるのだろう」
などと余計な詮索ばかりしてしまって、催馬楽の持つ味など霧散してしまう。
 案の定、
 『いとどしき御心は、苦しきまでに、なほえ忍び果つまじくおぼさる』
 (いっそう募ってくる思いに苦しいまで胸を責められて、とても耐えきれないとお思いになるのであった。円地文子訳 新潮社)
のである。

 さて、このようなわけで二人の今後がどのように展開していくのか確かめなければならなくなってしまった。容赦なく執拗な目で二人を追って行ってみよう。                (次回)


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