源氏物語

源氏物語たより409

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  『こりずまに』 「澪標」  源氏物語たより409

 京に復帰できた光源氏は、しばらくは公ごとなどの忙しさに紛れていたが、暇ができると、花散里を尋ねたり五節の君を偲んだりするようになる。朧月夜などはまして彼の念頭から離れない女性である。そこでよりを戻そして、彼女に逢ってみようと消息する。しかし、女の方では例の事件(須磨流謫)に凝りて、以前のようには源氏を相手にしようとしない。この場面が本文では次のように描かれている。
 『内侍のかんの君(朧月夜)、なほえ思ひはなち聞こえ給はず。こりずまに、(もとの関係に)たちかへり、(逢おうという)御心ばへもあれど、女は憂きに懲り給ひて昔のやうにもあひしらへ聞こえ給はず』
 ここに使われている「こりずまに」は、古今集から引いたもので、元の歌は
 『こりずまにまたもなき名は立ちぬべし 人憎いからぬ世にし住まへば』
である。「こりずまに」とは、「懲りもしないで」という意味、「なき名」は、「事実無根の」という意味である。したがって上の句の意味は
 「懲りもしないでまた恋なんかして、以前の時のようにありもしない噂が立ってしまうかもしれないのに」ということになる。
 問題なのは、下の句である。多くの解説書が「どうしてまたあなたを愛してしまうのかといえば、あなたを憎からず思っているからだ」と訳していることである。そのいくつかを上げてみよう。
 「(あらぬ噂が立ってしまうのも)無理もない。もともと憎からず思っている仲なのだから」  新潮社 新潮日本古典集成
 「どうせあなたを憎からず思っている私なのですから」                       小学館 日本古典文学大系
 「嫌になろうとしてもなれず、心がひかれて行く相手がいるこの世に住んでいるのだもの」                                                                             角川書店 源氏物語評釈
 いわば焼け棒杭に火がついてしまうのはなぜかという意味にみな取っているのである。
 
 そうだろうか。私は、「同じ女性をまたまた愛してしまうのはなぜか」というような私的・個人的なものとは考えない。これはもっと一般性のある歌ではなかろうか。
 恋をすれば、どうせようでもない噂が立ってしまうもの。だったらもうそれに懲りて恋などしなければいいのだが、なかなかそうもいかない。それでいつか新しい恋にのめり込んでしまうのだ。
  「でもそれも仕方がないことさ。なぜかと言えば、この世に住んでいる限り、どの女性もどの女性もみなそれぞれに限りない魅力を持っているのだもの」
というふうに解釈した方が味わい深い気がする。
 もっとも源氏物語のこの場面は、源氏が朧月夜との一件で、官位は剥奪され須磨に流れて行かなければならないというような大事件に発展してしまった。それによる憂き目は計り知れないものがあった。にもかかわらず、再びまた同じ女を相手にするなど、よく懲りもせずに、という意味で使われていることは確かなのだが、源氏の特性からすればそれだけではあるまい。夕顔に凝り六条御息所に懲り、はたまた末摘花に懲りしてきたのだから、いい加減に恋など止めればいいのに、またもなき名を流すような恋に執着する。それが源氏なのである。あの場面の「こりずまに」は、源氏の女性遍歴一般について言ったもので、朧月夜はその中の一人であると考えられなくもないのだ。 

 花散里を訪ねた時に、源氏はしみじみと彼女の魅力に魅かれながら、こう述懐しているのである。
 『とりどりに捨てがたき世かな。かかるこそ、なかなか身も苦しけれ』
 魅力のない女ばかりなら、苦労もしないで済むのだが、そうでないからかえって身も苦しくなるのだ、という感慨である。  花散里は、正直なところ容姿は誠にお粗末で、失礼なことに末摘花と比べられたりするほどの女性である。
しかし、そのつつましさ、なつかしさ(人の心をしみじみとさせる)、おいらかさ(おっとりとして大様)な人柄で、そういう面で誠に魅力的である。そうでなければ捨てられもしようが、そうできない。これだから我が身も辛いというのである。何とも贅沢な悩みのように思うのだが、実はこのことは源氏だけのことではあるまい。それぞれ人は、容姿の良さはもとより、芸事の巧みさ話のうまさ心根の優しさなどなど、百人には百の特徴がある。この世に生きている嬉しさは、そう言う魅力を持った人たちがいっぱいいて、そういう人と繋がることができるからである。
 
 実は、先の小学館の『日本古典文学全集』では、欄外の注に、こういう但し書きがあるのだ。
 「(この歌の裏には)人を憎くは思えない現世。現世に住めば人を愛するのが宿命だという考え方がある」
 この世は男であれ、女であれ、みんなそれぞれ特色を持ち魅力を持っているものである。そういう特徴や魅力に触れるからこそ、相手を好きになり恋に落ちて行くのだ。そうなれば人の噂も何もない、とにかく「だってあの人、良い人なんですもの・・」と言う単純な原理に支配される。そしてわりない世界にのめり込んでいくのだ。恋は、人間の宿命なのである。
 昔こんな歌があった気がする。
  恋をしましょう 恋をして
  浮かれ浮かれて 暮らしましょ
  昔の人は言いました
  恋はするほど艶が出る    
 恋はするほど艶が出る  『恋は神代の昔から』
 やはり神代の時代から、人が恋をしてきたのは、それぞれがみな美点を持ち魅力を持っているからで、それは神が授けた真理だったからである。


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