源氏物語

源氏物語たより410

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   源氏物語が今に残っているわけ  源氏物語たより410

 『宇津保物語』を読んでいたら、「国譲(くにゆずり)」の巻に「からもり」という言葉が二度連続して出てきた。主人公である仲忠が、彼の姫君を藤壺女御と「見せよ、いや見せられない」と言い交わしているところに出て来る。「からもり」という言葉から姫君を形容する何らかの意味を導こうとしているらしいのだが、その意図がさっぱり掴めない。それもそのはずであった。欄外の注にこうあった。
 「源氏物語蓬生巻にも、『古りにたる御厨子開けて、からもり・はこやのとじ・かぐや姫の物語の絵に書きたるをぞ』とあるので、当時の物語であることが知られる。(しかし)筋が明らかでないために、仲忠が引用した意味は取れない」
 そういえば、源氏物語の「蓬生」の巻に、末摘花が、人も訪れず源氏も訪れなくなった葎の宿に一人いて、その寂しさを慰めようと、御厨子から先の物語を取り出すという場面があった。
 実はこの「からもり」も「はこやのとじ」も、今はこの世に伝わっていない物語なのである。このように、後の作品にその名だけを残している物語を「散逸物語」という。もちろん「からもり」は、宇津保物語や源氏物語に出て来るので、それ以前には間違いなく存在していた物語なのである。
 早稲田大学の中野幸一先生の先日の講座のテーマが、この散逸物語と源氏物語との関係を解くというものであった。たまたま私が宇津保物語を読んでいたことと、この講座とが何か奇妙な因縁で繋がっている気がしたので、中野先生の話を借りながらここに、私なりの考えをまとめておこうと思う。

 中野先生の話によれば、源氏物語以前の散逸物語は、三十種もあったという。そのうち「交野の少将」や「狛野」などは、源氏物語や枕草子などに出てくるので、随分一般化していたもので、多くの人に読まれていたのであろう。それらの物語が、今は跡形もなくなっているのである。
 逆にいえば、千年前の文化財が現在に残っているということはまさに奇跡で、驚き以外のなにものでもないということだ。
 それでは、源氏物語以前の物語で、今に残っている物語としては何があるのだろう。なんと次の三作品しかないのである。
 『竹取物語』 『宇津保物語』 『落窪物語』
 「伊勢物語」や「大和物語」も、源氏物語以前の作品ではあるが、物語全体を通した主人公は定まってはおらず、さまざまの人物が各段ごとに登場してきて、それらの人物が歌を中心として活躍する、いわば歌物語で先の物語群の中には含めない。

 さて、中野先生の結論は、
 「竹取、宇津保、落窪の三作品のみをもって源氏物語との関係を語っていいものだろうか。多くの散逸物語がその背後にあったことを考慮しない文学論は文学論とは言えない。これらの多くの散逸物語の上に源氏物語という作品が成り立っているのである」
というものであった。それに間違いはあるまい。
 しかし、それらの作品がなぜ散逸してしまったのかということに焦点を当ててみると、また別の見解が出て来きはしまいかと思うのである。

 それでは物がこの世からなくなっていくメカニズムとしては、どういう場合が考えられるだろうか、それを探ってみよう。
 まず考えられることとして、火災が上げられよう。火災は貴重なものもそうでないものもすべてを焼き尽くす。天災の場合もあるし人災の場合もある。雷はところ選ばず落ちてきてものを焼く。人災の例としては、応仁の乱(14671477)などが上げられよう。十年にわたるこの乱で、京都は灰燼に帰した。文化財の宝庫である奈良や京都などはこうした人災に何度も遭遇している。このような時に、いかに多くの文化財が失われたことであろうか。
 また極めて人為的、意図的に文化財が灰となることもある。明治維新の政策である廃仏毀釈などでは、多くの仏像や経典が焼かれ、川に捨てられた。明治維新まで残っていた萩城や江戸に置かれた藩の屋敷などは極めて意図的に明治政府によって壊されたものである。中国における文化革命などはその典型と言えよう。「古い思想や文物を放棄することが善」であったのでは止めようもなく、暴挙の嵐が収まるまで指をくわえていなければならなかった。

 しかしこういう歴史上の大きなエポックではなくて、日常の生活の中でも、ものは時と共に消えて行くのが宿命なのである。人は自分に必要がないもの、価値のないものは捨てていく。
 またたとえ価値があると思っても、古くなれば捨てる、汚くなれば捨てるという行為を我々は日常的に繰り返している。より良きものができたのにあえて古いものに固執する人はいない。古くなったものは躊躇なく捨てるのが世の常である。
 以前、神田で延宝版(1670年代)の『湖月抄』(北村季吟著)を見つけて三冊買ってきたことがある。至るところ虫食いだらけであった。よくこれを今まで保存しておいたものだ、と感心するほどであった。それが今の私にとっては貴重な財産なのだが、私が居なくなれば、妻は真っ先に捨てるであろう。彼女にとってそんな虫食い本は何の価値もないし必要もないからである。これが物が消えて行くもっとも大きな理由であろう。
 
 一方、価値あるものは大事に保存される。また人にとって必要と感じられるものは残されていく。
 源氏物語以前に存在した三十種の物語がなぜ消えてしまったのかは、もう言うまでもあるまい。価値がなかったからである。人々にとって必要がなかったからである。少なくとも竹取物語や宇津保物語や落窪物語以上には人々の興味関心を引かなかったということである。
 正直な感想を言えば、宇津保物語は面白くない。文章は整理されていないし煩雑で冗長で、まるで張感がない。また何を言っているのか分からない部分も多い。落窪物語も、前半こそ面白いが、後半は落窪姫を苛め抜いた継母に対する復讐譚で、いい加減にしてくれと思うほどのあくどい復讐が続き、興味は半減する。散逸物語がこれらの作品を越えるほど面白いものであったとは到底考えられない。
 源氏物語は、多くの人の興味関心を引いたからこそ、次々に書き写されていったのだ。そしてそれは京都のみでなく全国に広がり散って行った。したがって、たとえ一部の場所が災害にあったとしても、どこかで残ることができたのである。
 源氏物語には、藤原定家が書写したという『青表紙本』と『河内本』とがある、河内本というのは、鎌倉初期、河内守・源光行、親行親子が、八種(一説に二十一種)もの源氏物語の写本を校勘(読み比べ)してまとめたものである。それほどに源氏物語はさまざまに書き写され流布していたということである。源氏物語が面白く多くの人にもてはやされていたからに他ならない。
 また、源氏物語が巻物になったり屏風絵になったり調度の模様になったりして残ったのも、人々がそこに価値を見出していたからである。源氏物語千年紀に、横浜美術館で「源氏物語絵画展」が催された。時代を越えたその夥しいほどの作品には、いささかげんなりしたものである。源氏物語は、「散逸するような作品ではなかった」ということの証明である。
 中野先生の講義の終わりに、私は
 「宇津保物語は絵になって残っていますか」
と聞いてみた。先生は、
 「何点か残っています。でもみな江戸時代のものです」
と言われた。夥しいほどの源氏絵に対してこれは何を表わしているだろうか。人々の関心があまりなかったということである。現在に残った宇津保物語にしてこの状態である。消えてしまった他の物語は推して知るべしである。
 私は、源氏物語が、竹取、宇津保、落窪などや三十に及ぶ散逸物語の上に成り立つということを否定するものではないが、以前にも述べたように、源氏物語は全く別格の存在なのである。今回宇津保物語を読んでみて、改めて
 「源氏物語は天から突然降ってきた宝」
という感慨はゆるがず、むしろその思いを強くする結果となった。


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