源氏物語

源氏物語たより418

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    葵上を呪い殺したのは六条御息所?   源氏物語たより418

 我々は、葵上に取り付いた物の怪は六条御息所で、彼女の生霊(いきすだま)が葵上を呪い殺したのだと思いがちである。確かに光源氏も
 「生霊は、間違いなくかの御息所なり」
と言いきっているし、御息所自身も
 「自分の魂が勝手に体から遊離して、葵上のところに行っては彼女をひきまさぐったりうちかなぐったりする」
夢を見たと言っている。
 またそう読み取った方が、物語がよりドラマチックになるから、「犯人は御息所である」と短絡してしまいがちなのだが、実際には物語上はそうは書かれていない。葵上に取り付いた物の怪は御息所だけではないのである。

 葵上に物の怪が取り付いて、大層重く患うことになってしまったので、左大臣邸では効験あらたかな法師を招いて、修法(ずほう)やら何やら物の怪退散を願って盛んに祈祷を行う。すると
 『物の怪、生霊などいふもの多く出で来て、さまざまな名乗り』
をし出したのである。その連中が「我は何がしの生霊」「我はかれこれの物の怪」と言って「わあわあ」名乗りをするというのだ。この名乗りは憑座(よりまし)という者の口を通して言わせる。祈祷師が霊を招きよせ、それを憑座に乗り移らせ、これに宣託などを告げされるのである。恐山の巫女(いたこ)のようなものである。名乗っているのはみなこの憑座たちである。
 このことからも、葵上に取り付いたのは、「多く」の物の怪や生霊であり、御息所だけではないということが分かる。だから左大臣邸の女房たちは、
 「これはひょっとすると、六条御息所の物の怪かもしれない。あるいは源氏様がかしづき育てているという紫上の霊かも・・」
など、いろいろと取沙汰するのだ。そればかりか、「亡くなった乳母かもしれない、左大臣邸に代々伝わっている死霊かもしれない」などと喧々囂々(けんけんがくがく)言い交す始末である。それらの霊が、葵上の弱り目に便乗して
 『みだれあらはるる』
というのだから、物の怪を御息所に限定してしまうというのは無理である。

 ただ、いかにも御息所ではないかと匂わせるようなところが曲者なのである。例えば、験者どもがいくら祈ってもそれに従わずに、葵上に取り付いたまま片時も離れない霊が一つあり、その霊は
 『しふねき(執念深い)気色、おぼろげのものにはあらず』
などという表現が、いかにも御息所を暗示しているようで、彼女を疑ってしまう根拠になってしまうのだ。しかし、紫式部は、それを御息所だとは言っていない。このように紫式部は、あちらこちらに「犯人は御息所らしい」という罠を仕掛けておくから、読者は、紫式部の姦計にまんまと引っかかってしまう。そこが紫式部の狡さ巧みさ用心深さなのである。

 物の怪、生霊が御息所だけでないというもう一つの例を挙げよう。
 葵上が、無事男児を出生した時に
 『人(憑座)に駆(か)りうつし給へる御物の怪どもの、ねたがり惑ふけはひ、いともの騒がしくて』
とある。これはどういう意味を持っているだろうか。自分が愛している男が、別の女に子供を産ませたとなれば、平静ではいられないのが女の性。だから葵上に子供ができたとあっては、源氏の愛人たちは「ねたがり惑う」のは当然である。中でも御息所は激しく「ねたがり惑う」はずである。
 しかし、この「御物の怪ども」の中には御息所は入っていないのである。なぜなら、御息所は、しうねく葵上に取り付いたままじっと離れないでいるからである。彼女は容易には姿を現さない。

 あえて言えば、よってたかって葵上を取り殺したことになるかもしれない。それにしてもこれほど多くの物の怪が取り付くというのだから、葵上自身にも問題があるのかもしれない。もちろん葵上がそれほど性悪な女性であるとはどこにも書かれていないが。

 人の心の作用ほど不思議なものはない。嫌な思いや嫌な経験というものはなかなか消えないものである。また自分に嫌な思いをさせた相手への恨み・つらみも容易に消えるものではない。それが激しい時には相手の不幸を願うことすらある。
 同時に逆のこともあり得る。自分が嫌な思いをさせてしまった相手への罪の意識もまた消し難いものだ。源氏物語ではこれをしばしば「心の鬼」と表現している。「心の鬼」とは、いわば良心の呵責のことであり心の巣食っている疾(やま)しさである。
 嫌な思いや体験と心の鬼の両者が葵上の物の怪騒動を引き起こしたと言えるのではなかろうか。
 源氏は御息所を冷たくあしらってきたことに対して強い呵責の念を抱いている。その念が、「さぞかし彼女は自分を恨んでいるだろう」という思いを生む。そしてその思いは、「だから葵上を苦しめているのは御息所に違いない」という結論に到達する、ということである。
 また御息所も、源氏に冷たくあしらわれたのみならず、賀茂祭の時に葵上に決定的な屈辱を受けた。だから、彼女が意識するしないにかかわらず源氏と葵上に対する恨み・憎しみは骨髄である。この深層の恨みが、魂が抜け出て行って「葵上をひきまさぐりうちかなぐる」という夢となって出てくたのだ。
 彼女は、夢だけではなく、現実にも実に奇怪な体験をする。葵の上が男児を無事出生したことを聞き、こう思う。
 『ただならず、かねてはいと危く聞こえしを、たひらかにも、はた』
 「以前は命も危ないと聞いていたのに、助かってしまうばかりか子供まで無事に生まれてしまったとは・・」と悔しがったというのである。そしてこの時、彼女の衣や髪などに、葵上の祈祷の際に使用した護摩の芥子の香が浸みついてしまったというのである。そんなことはあり得ないことで、みな思い込みが、芥子の香まで呼び寄せてしまったのだ。このまがまがしい体験が、いよいよ「自分が生霊となって葵上に取り付いたに違いない」と思い込ませ、自分自身をそう納得させてしまったのだ。
 そういえば、我々は、夕顔が突然死んだ時にも、御息所の物の怪の犯行であろうと思ったのではなかろうか。しかし、あれも源氏の「心の鬼」だったのである。源氏は、こともあろうに六条御息所の邸にごく近い六条の廃院で、夕顔と愛欲にふけった。これでは「御息所に申し訳ない」という自責の念が頭をもたげないはずはない。あれはすべては源氏の心の鬼が生んだ妄想で、彼の思い込みである。
 源氏や御息所の思い込みが、読者をもそう思い込ませてしまったのだ。思い込みとは恐ろしいものである。『葵』の巻を注意深く読み返してみると、葵上呪い殺し事件を、御息所単独犯とする罪は晴れるはずである。


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