源氏物語

源氏物語たより419

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   『あやなくも』の歌の意味  源氏物語たより419

 十歳の紫上を拉致同然に二条院につれてきた光源氏ではあるが、その後、四年間というもの、紫上とは性的な交わりをしないできてしまった。現代では、十歳、十一歳の子に対してそれは当然のこととは思うのだが、当時はその歳にもなればもう結婚適齢期に入っていたのである。紫式部が仕えた彰子や清少納言が仕えた定子は十二歳で一条天皇に入っている。だから源氏の自制は誠に誠実なものであり紳士的なものであったと言える。彼は性を別にし、親が子をいつくしむように紫上をひたすら大切に育ててきたのである。
 
 ただここまで自制してきたのだから、彼女と契りを結ぶのは、しかるべき時を見図ればよかったのに、なんと葵上の喪が明けてすぐに関係を持ってしった。喪中でなかったのがまだ良識的と言えなくもないが、あまりにも事を焦ってはいまいか。これではいくらなんでも葵上の霊に対して失礼にあたる。「時しもあれ」という言葉がある。紫上と契る機会はこれからいくらでもあるわけだから、わざわざこんな時機にすることはない。あと数か月、いや数日でもいい、なぜ待てなかったのだろか、不審なことである。
 彼は、四十九日の間,真摯に服喪していたのだが、それがすっかり帳消しになってしまったし、やはりあれは単なるパホーマンスであったかと思われてしまう。しょせん葵上に対する愛などはかけらもなかったのだと言われても弁解の仕様がない。

 確かに二条院に久しぶりに戻ってみたら、紫上はすっかり大人大人しく成長していて
 『なにごともあらまほしう整ひ果てて、いとめでたうのみ見え給ふを,似げなからぬほどにはた見なし給へば』
と理屈づけられてはいる。性の契りをするには「似げなからぬほど」に成熟していたというのだが、それにしてもあまりに時宜を失していて、不謹慎のそしりは免れない。
 
 紫上と初めて性の関係を持った翌朝、彼はこんな文を彼女に残して自室に戻る。
 『あやなくも隔てけるかな 夜を重ね さすがになれし中の衣を』
 難しい歌である。それぞれの意味は、「あやなくも」は「わけもなく」、「さすがに」は「そうはいうものの」、「なれ」は「親しみなれる」、「中の衣」は「直衣の下に着る衣」
で、肌と肌を隔てている物のたとえで、「隔てる」の縁語である。全体の意味は
 「あれ以来、四年間というもの毎夜二人で同衾しながら慣れ親しんできたというのに、わけも分からず性的関係もなく過ごしてきてしまったものだなあ」
となる。円地文子(新潮社)はこれを次のように訳している。
 「今まで起き伏しを共にしながら、よくも耐えてきたものよ」
 端的で見事な訳である。
 この歌には「中の衣」以外に縁語が三つも使われている。「あや=綾」「重ね=襲」「なれ=着慣れる」。昨夜あなたと初めてこれらの衣を脱ぎ捨てて、肌と肌とを接する関係になったということを強調したのであろう。もちろんこれまでにも寒い晩などは肌を接して寝ていたのだが、この夜を境に二人の間にあった一線(衣)が完全に除かれたのだ。
歌の裏の心は
 「こんなに素晴らしい実事だというのに、どうしてもっと早くこの中の衣を取り除かなかったのだろう、わけのわからないことをしていたものだ」
という源氏の歓びの迸(ほとばし)りである。
 ところが源氏の歓びに反して、紫上は完全にしょげ返ってしまい、その後ずっと源氏を激しく恨み続けるのである。
 
 最初の問題に戻ろう。源氏にとっては葵上の死は、正妻がいなくなったということを意味する。このことは、彼の正妻は紫上に移ったということでもある。今までは紫上は、どこから連れてきたのか得体のしれない忍びの女でしかなかったのだが、四十九日を過ぎて、それが解除され、正妻格になったということである。このことによって正式に彼女と夫婦の関係が成り立ったのである。
 彼女が「似げなからぬほど」になったというのは、性的に成熟していたということとともに、実は条件的にもそれを満たすようになったということも含まれているのではなかろうか。つまり源氏にとって、葵上が「中の衣」であったものが、彼女の死を持ってそれが解けたということであり、同時にそういう意味で紫上が「似げなからぬ」状態になったということである
 ところが、紫上にとってはそうはとれない。
 「源氏さまは、葵上様の喪が明けたばかりというのに、こともあろうに私と初めての契りを交わされた、あまりに不謹慎なのではあるまいか」
と、人として、道義上でとらえたのである。
 物語上にはそんなことは何も記されていないのだから、これは読みすぎではあろう。ただ、紫上の反応があまりに常軌を逸したうろたえぶりで、どうしても理解できないのだ。彼女は、源氏に強引に犯されたことを何日にもわたって(あるいは何か月にもわたって)恨み続け、心憂きものに思いわたるのである。源氏のことをこよなく愛していたことに間違いはないのだし、体もまた女としてそれなりに十分成熟していたというのだから、最初の晩こそ「犯された」感覚はあったろうが、愛はすぐ戻るはずで、数日もすれば源氏との性を「饗宴」と感じ、歓喜に変わっていってしかるべきである。
 だから、彼女のあまりにも激しい恨みと憤りと頑なな態度は、源氏の非常識、不謹慎に対す怒りであると取った方が自然なのである。そしてそこには、源氏の葵上に対する仕打ちは、いずれは自分にも降りかかってくるのではなかろうかという、恐れと不審感があったのではなかったろうか。この二人の齟齬(そご)が、生涯紫上を悩ませ、彼女の哀しみのもとになっていくのである。



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