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源氏物語

源氏物語たより422

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   風俗・習慣は分からないままでいい 源氏物語たより422

 中野幸一先生(早稲田大学教授)の今回の講座の内容は、『「源氏物語」と貴族の慣習・信仰』で、第一回目は「平安貴族の日常的慣習」という題であった。
 当時の風俗・習慣、たとえば几帳の機能、格子の役割、御簾の使われ方、簀子の意味あるいは夜具や衣装など、細かに考えてみると分からないことが実に多い。これらの調度などは、現代では全く姿を消してしまったものもあるし、存在しているとしても今の使われ方とは全く違っている。
 今日の講座では、日ごろ私が疑問に思っていたことが次々話題に上げられ、「なるほど」と疑問の解決につながることも多かったが、逆に疑問がさらに深くなってしまったこともあった。
 この講座から受けた結論は、千年も昔の生活慣習などは、しょせん正確には分からないのだから、あまり深入りしない方がよいということである。
 
 さて今回の講義の最初の話題は、『夕顔』の巻頭に、五条の大路にしばし車を止めていた光源氏は、車から外を
『少しさしのぞき給』
うとあるのだが、さて源氏はどのような状態で外をのぞいていたのか、という問題である。従来の多くの解説書は
 「ちょっと顔を出してご覧になると」
としているが、天皇の子ともあろう上級貴族が「車から顔を突き出して」外を見ることなどあろうか、という問題が残る。つまり源氏は「車から(物見窓かあるいは御簾から)顔を外に出していたのかどうか」ということである。先生の結論は
 「従来の解釈は間違っている。顔を出して見ていたのではなく、車の前(後ろ?)の御簾を少し押しのけて外を見ていたのである」
ということである。
 それでは改めてこの場面をさらっておこう。源氏は、乳母(惟光の母)の病気見舞に惟光の邸に立ち寄ろうとしたが、門がなかなか開かない。その間、五条の大路に車を止めて門の開くのを待っていたが、外を「少しさしのぞく」と、見入れのほどもない手狭な民家の塀に白い花が咲いているのが目に入った。その風情に興を覚え、彼は白い花の名を知りたいと思い、「をちかた人にもの申す」と一人ごつ。

 この時の「少しさしのぞき給ふ」が、車から顔を出してのぞいたわけではない、御簾を押しのけて開いた隙間からのぞいたのであるというのだが、はたしてそうだろうか。この解釈だと、物語の前後の内容と齟齬(そご)をきたしてしまうのではなかろうか。
 まずは、御簾の隙間から外を見ていたにしては、彼の視界が広すぎるのである。彼の目に入った景を列挙してみよう。
「桧垣、半蔀、涼しげな御簾、女たちの透き影、その女たちのをかしき額、あちこちに咲きかかっている夕顔の花、屋敷から出てきた童(その衣装も詳細)と手に持った扇」
 はて、御簾の隙間からこれほど多くのものが見えるだろうか。
 そして一番の問題は、源氏の『をちかた人にもの申す』と一人ごちた声が、車の中に身を隠したままでは、夕顔の屋敷の者には聞き取れないだろうということである。聞き取れなかったとすれば、この『夕顔』の巻のカギになっている例の歌も存在しないことになってしまう。
 『心当てにそれかとぞ見る 白露に光添へたる夕顔の花』
 夕顔(女)が、源氏に贈った歌である。車からその顔がはっきり見えるほどに外に出して「一人ごち」たからこそ、この歌が生まれたのである。
 それに、屋敷の女房達も、大路に止めた車に乗っている貴公子に興味津々であったことだ。もし源氏が車の中にいて全く姿を見せないのでは、彼女たちの興も覚めてしまって、物語が成り立たない。彼女たちは珍しくも顔をさしのぞかせて、こちらを見ている貴公子が気になって仕方がなかったのである。
だいたい彼は
 『誰とか知らむとうちとけ給ひて』
いたのである。こんな五条の大路では、自分のことなど誰が知ろうか、と気を許していたのだ。だから平気で顔をのぞかせていたのだ。そのためにこの屋敷のあれこれがきわめて具体的に彼の目に入り、女との歌のやり取りも可能になったのである。
 源氏は、もともと上級貴族にはあるまじき行為をしばしば取っている。今更車から顔をのぞかせるくらいをはばかる人間ではない。もっともっと恥ずかしいことを臆面もなくやっている。

 次は「御簾を引き上げて」の問題。
 御簾は、格子の内側や廂と母屋の境などに垂れているから、しばしば「引き上げて」外を見やったり、「引き上げて」出入りしたりしなければならない。しかし、御簾を引き上げて出入りするのは案外面倒なものだ。御簾の一番下に手を伸ばし、それを出入りできる高さまで引き上げるのは、誠に面倒な仕草である。しかも彼らは冠などを被っているのだから、中途半端な上げ方では、御簾に冠が引っかかってしまう。そんなことをするよりも御簾の端から出入りした方がおよそ簡単である。
 中野先生は、御簾と御簾の間から出てくる僧侶が描かれた絵などを示されて、「引き上げて」ではなく「引き開けて」であるはずだ、と言われた。御簾の端を左や右に引き開けるということである。外を眺める時も、その方がよほど楽である。また、女房達もそうする方が自分の姿があらわにならないし、すぐ身を隠すこともできる。御簾をいちいち上げ下げしたのでは、隠れるにしても動作が大仰になってしまう。
 この中野先生の解釈はその通りだと思うし、今まで気にも留めなかったことが不思議に思われる。
 このことと直接結びつくわけではないが、『枕草子』に有名な御簾の話がある。雪が大層降った日に、中宮定子が清少納言に
 『香炉峰の雪はいかならん』
と問いかける。すると例の目立ちがり屋の清少納言は、御格子上げさせて、
 『御簾を高く上げたれば』
と得意になって応える。この場合は、「高く」とあるから、御簾をくるくると巻き上げて外の様子が十分見えるようにしたのであろう。御簾の端を細目に開けたのでは香炉峰の雪は見えない。この場合は「開けた」のではなく、間違いなく巻き「上げた」のだ。

 次は「几帳」の問題。
 几帳もいろいろの問題を含んでいる。現代では衝立はあるが几帳はないから、その役割は何なのか、よく分からない。もちろん姿を隠すのが一番の目的ではあろうが、でもそれだけではなく、さまざまな使われ方がされている。
 几帳には高さが三尺のものと四尺のものがある(二尺もあるが)。幅は、三幅(約114センチ)のものと四幅のものが多い。
 お姫様や女房達は通常座っているから、その高さでも十分身が隠れる。しかし男が女を見ようとすれば、四尺の几帳でもその上からいくらでもその内側をのぞくことができる。幅もわずかなのだから横に回ればすぐ見える。
 六条御息所が重く患っている姿を、源氏が几帳のほころび(隙間)から覗き見る場面がある。なぜわざわざほころびを指で押し広げて見るようなみっともない姿で、覗こうとしたのだろうか。立ち上がれば、いとも簡単に上から見えるではないか。あるいは几帳の横に回れば御息所の姿は丸々見える。中野先生も言われていたが、ひょっとすると当時そういう行為(几帳の上から見たり横に回って見たりする行為)は、現に慎まなければならないというルールがあったのかもしれない。 そう考えるしか彼らの行為は解けないのである。
 そもそもこの「ほころび」は何のためにあるのだろうか。以前「風を通しやすくして、几帳が倒れないようにするため」だと聞いたことがあるが、そうだろうか。中野先生によれば、三尺の几帳にはこれがないというから、この論理は成り立たない。四尺のものには二十センチほどの縫い残し(ほころび)があるそうであるが、そんな小さな縫い残しでは、風の通りがよくなるとは思えない。
 物語を読んでいてこのほころびが最もよく使われるのが「覗き」のためである。しかも、男が外から内側にいる女を覗くだけではなく、中にいる女房達が外側にいる男を覗き見して品定めしている。奇妙は穴だ。
 それ以外の用途もある。中野先生が上げられた例に、『手習』の巻で、浮舟が出家するに際して、このほころびから黒髪を出し、僧都にバッサリ切ってもらうところが描かれている。何か身の毛がよだつ光景であるが、僧は女の姿を直接見ることはできないから、こうするしかないのである。
 そういえば、『若紫』の巻にも不思議な場面がある。源氏が、紫上に会いに行った時に、そばにやってきた紫上を
 『手をさし入れて探り給へれば、なよらかなる御衣に、髪はつやつやとかかりて、末のふさやかに探りつけられたるほど、いと美しう思ひやらる。(そして)手をとらえ給』
うのだが、おそらく几帳のほころびから手をさし入れたのであろう。そして紫上の体を撫でまわしているのである。随分えげつない行為である。
 「几帳越し」に女(朧月夜)の手をとらえる場面は『花宴』にもある。
 ほころびには、現代人にはおよそ考えられないような目的もあった。

 次に「格子」の問題。
 格子も分かりにくい。そもそもは、格子は、雨風や寒さを防ぎまた防犯上の役割もするもので、現在の雨戸と考えればいいだろう。だから暮れれば格子を下すし、朝になれば上げる。
 格子には上・下、二枚のものと一枚のものとがある。大覚寺の格子などを見るときわめて頑丈にできていて、相当の重量がありそうだ。一人で上げるのは無理である。二枚のものは上部を引き上げて「鉤」に引っ掛けておく。二枚格子はこのように上部だけを釣り上げておくことが多い。
 問題なのは、この格子から彼らがしばしば出入りしていることである。源氏が空蝉のところに忍んで行った時にも、源氏を案内した小君が、女房に格子を上げさせているし、夕霧が落葉宮のところから帰ってきた時もそうだ。なぜ妻戸があるというのに、彼らはわざわざ重い格子を上げさせてそこから出入りしなければならないのだろうか。特に二枚格子では、下の部分は取り外さなければ、出入りできない。そのためには、あの重い下部をいちいち取り外して、どこかに運ばなければならないのだから容易なことではない。
 まして一枚格子の場合は、何キロあるのだろう。横に滑らせれば簡単なのにいちいち外さなければならないとは。(横に滑らせて開ける遣戸は既にあったというのに)

 現代人には全く分からなくなっている平安時代の風俗・慣習は、たどればたどるほど分からなくなってくる。
 夕顔の死骸を見に源氏が訪れた時に、「何人の供を連れていたか」を中野先生は問題にされた。一般的には惟光だけと思って読んでいるのだが、先生は「前駆を含めれば十名以上もいたであろう」と言われた。事実はそうなのだが、しかしごくわずかな供人と考えた方が、鴨川沿いに夕顔の死骸に会いに行く源氏の絶望的な気持ちが出ていいのではなかろうか。
 もし源氏がいつも大勢の供を連れていたとするならば、夕顔の屋敷に忍んで出かけた時も、問題が出てきてしまう。たとえば、夕顔の屋敷の者が、源氏の後をつけてその正体を探ろうとするのだが、源氏はそれをまいてしまう場面がある。もし十人もの供人がいたとすれば、とてもまくことなどできはしない。やはりごく少人数の供人と、身分を隠し隠し通ったととらえた方が、物語の味が出てくる。

 私はこの問題は深く追及すべきものではないと思っている。そのことが分からなければ、源氏物語の理解に支障をきたすとか、そのことが分かった方が一層物語を深く楽しく鑑賞できるとかでない限り、捨て置いていいことではなかろうか。中野先生はこれらのことを考えると
 「ますます源氏物語恐怖症になってしまう」
と言っていられたが、「お可哀想に」と思う。やはり先生は学者で、誠実すぎるのだ。
 私などは、「源氏物語はなんと難しい文学であろう」という恐怖心はあるものの、風俗・習慣などはあまり問題にしていないから、さしたる恐怖心もなしに案外楽しく読んでいられて幸せである。


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