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源氏物語

源氏物語たより425

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  几帳の攻防   源氏物語たより425

 前回は、御簾はさまざまなドラマを生む要素を持っているという話をした。御簾は、男が女に許されるか否かの生命線であるからだ。
 
 ここで、当時の結婚事情を簡単に振り返っておこう。当時は結婚に際しては親の承諾を得ることが絶対条件であった。親の承諾のない結婚は「野合」と言って、以後の生活に支障をきたすもとになった。紫上は、親の承諾がないままに光源氏に引き取られ、正式な結婚の儀式を経ていなかったために、後に不安定な立場に置かれることになり、女三宮の降嫁によって一気に悲哀の底に突き落とされることになるのである。彼女に終始付きまとっていた哀しみは、すべて「野合」であったが故である。
 大半の結婚は親がかりで成立したものであろう。
 
 そのほかの結婚の手段としては、仲介人を通してというものもあった。『東屋』の巻にこの仲介人が登場する。浮舟を左近の少将に仲立ちしたのは、口達者で無責任な仲介屋である。
 また、源氏が北山で紫上を垣間見たり、『伊勢物語』一段のように、昔男が、春日の里で女はらから(姉妹)を垣間見たりして、やがて関係を持つようになったものもある。しかしこの垣間見はきわめて少なかったのではなかったろうか。なぜかと言えば、当時は女が男に姿を見られるなどという機会は稀有のことだったのだから。
 多くは「どこどこのお姫様はこんなお方で・・」というような噂によって知ったものと思われる。女房の仕事の中でも大きなものの一つが、主の姫をいかに有力な男に縁付けるかということにあった。そのために彼女たちは姫のより良い情報をいかに流すかに精力を傾けた。有力な男と結ばれることは彼女たちの身の安定につながることであったのだ。
 男は男で、いかに優れた女性を手に入れるかに奔走した。女房たちが流す噂を頼りにしたり、また女の家柄を斟酌(しんしゃく)したりしながら、よき女性を探し求めた。
 優れた女性とは容貌や趣味や教養ばかりではない。自分の後見として満足なものかどうかも重大なことであったのだ。
『東屋』の左近の少将が、浮舟と結婚したいと思ったのは、彼女の親が常陸守であったからだ。受領の娘であれば以後の生活は安定する。ところが浮舟が、常陸守の実の娘でないことを知った左近の少将は、彼女を捨てて、守の実の娘とちゃっかり結婚してしまう。実に現金であくどい男である。
 『宇津保物語』で、女主人公・あて宮に十何人もの男が結婚を申し込んでいる。もちろんあて宮が美貌であったことや琴の名手であったことなどもあろうが、あまりに異常な数の男たちである。私はこの男たちの目的は、あて宮の父が大将(後の大臣)であったことに由来しているとみている。大臣の娘と結婚できれば、身は安泰である。

 さて、垣間見などの偶然を契機にしたり噂や家柄を斟酌したりして相手を見つけた後、男は、どのような手順をふんで女に言い寄っていくのであろうか。
 それはまずは手紙を送ることから始まる。しかし女はたやすく返事を返すわけではない。そこで男は何度も何度も消息することになる。おそらくその間に女は、男の情熱や趣味やセンス、あるいは将来性や人柄などを品定めしているのであろう。
 手紙のやり取りができるようになると、男は女の邸を訪れる。もちろんすぐ部屋に通すようなことはしない。まずは、外に立たせて女房を仲立ちにしてやり取りすることになる。女房はいざって男と姫君のところを行ったり来たりしなければいけないので、これは大変なことである。
 やがて許されると「簀子」に上げられ、簀子と廂の間の御簾越しの対応が始まる。そしてようよう廂の間に通されるという段取りを踏む。しかし母屋との間にはさらに御簾があって、姫はこの母屋の奥にいる。この御簾のうちに入れられればもう許されたも同然である。

 残るは几帳だけである。几帳のほころびや几帳の帷(かたびら)の下から手を伸ばせばそこに女がいるのだが、これが容易なことではない。
 そこで、現代では全く使用されなくなっているが、几帳とはどんなものであったのだろうか、『源氏物語図典  小学館』で見ておこう。
 「移動可能な隔ての道具。土居(つちい)という木製の四角の台に、足とよぶ二本の丸柱を立て、その上部に手という横木を渡して、そこから帳(とばり)を垂らす。大きさは、土居から手までの高さで表し、「四尺の几帳」「三尺の几帳」などと呼んだ。大体の大きさは、四尺几帳が長さ六尺で、五幅に縫い合わされた帳になる。・・幅を縫い合わせる時、中ほどを少しずつ開けておき、そこを「ほころび」といい、垣間見に利用されたりする。以下略」
 四尺の几帳でいえば、高さが約120センチ、横幅が180センチということで、それほど大きなものではない。そこに五幅の布(帷)が垂れているだけだ。したがって男が立ち上がれば上から中が見えてしまうし、横に回ればいとも簡単に覗き見できる。しかも五枚の帷が縫い合わされずに穴が開いているというのだから、もう隔てとは言えない代物だ。いつ男に迫られても防御するものとはなり得ない。
 しかし、この脆弱な防御壁が意外な固さを持っているようで、几帳越しの対面となっても、容易にことは進まなかったようである。几帳の帷の裾は、三十センチほど床に垂れ下がって伸びていて、物語ではこの帷の裾やほころびから手を伸ばしたりする場面が描かれるのだが、そんなことをしないで、横に回り込んで思いを遂げれば簡単なのにと思うのだが、彼らはそうはしない。
 平安の男たちの倫理観は意外にしっかりしていたのかもしれない。あるいはそこには一種のルール(犯すべからざる神聖さ)があったのかもしれない。つまり神社の「標(注連)」のようなもので、破ろうと思えばたやすいことなのだが、それは倫理的に破ってはならないもの、それが几帳だったのではなかろうか。

 それでは源氏物語に登場するいくつかの几帳の物語を羅列してみよう。
 まず最初に『桐壷』の巻の、光源氏が藤壺宮に魅かれていく場面。
 桐壷帝は、寵愛するあまり源氏を女房・更衣たちの御簾のうちにも入らせる。母の面影に大層似ていると評判の藤壺宮もその例外ではない。源氏が御簾の中に入っていくと、
 『(藤壺宮は)いとわかう美しげにて、切に隠れ給へどおのづから漏り見たてまつる』
のである。この「漏り見」が、几帳から漏れて見えるということだ。源氏に直接顔を見られてはならないと一生懸命几帳に隠れるのだが、時に自然に見えてしまうこともある。この時源氏は十歳ほどである。几帳のほころびか、あるいは几帳の端から宮のお顔を拝して、彼は十歳の胸を騒がせているのである。このことが後に源氏と宮との密通につながっていくことを、桐壷帝は想像してもみなかった。

 『玉鬘』の巻。玉鬘が親代わりの源氏の六条院に引き取られてきて、初めて二人が顔を合わせる場面。 
 玉鬘お付きの女房達は光源氏の名こそ聞いていたけれどもお会いするのはもちろん初めてで、興味津々。
 『ほのかなる御大殿油(灯火)に、御几帳のほころびよりはつかに見奉る。(源氏の姿は)いとめずらかに恐ろしうさえぞ思ゆるや』
 大殿油の光にほのかに映し出された源氏のお姿は、見たこともないほどの美しさで、恐ろしいほどであったというのである。田舎住まいになれた彼女たちには、源氏の光り輝く姿はそれはそれは驚きの極みであったろう。ここでは几帳のほころびが本来の目的(内から外を見る)で使われている。
 この場面にもう一度几帳が登場する。源氏は玉鬘のいる西の対の廂の間に座って、
 「どうもこの灯火の光は懸想びた雰囲気がするものよ」
などと照れ隠しを言いながら、
 『几帳少し押しやり給ふ。(玉鬘は)わりなく恥づかしければ、そばみておはする様態など、いと目やすく見ゆれば、嬉しくて』
 親代わりとはいえ初対面の男が几帳をずらせたのである、顔はあらわに見えてしまう。玉鬘は恥ずかしさに横を向いてしまった。若い女性が身を隠している几帳を横にずらしてしまうなど、源氏という男は、しょせんルール破りの常習犯である。この後、源氏のねちねちした玉鬘への懸想が始まる。源氏と玉鬘との恋物語は、几帳を少し押しやることから始まった。

 最後に『若菜下』の巻。明石君の姫君は春宮に入内し、女御になっていた。女御が、六条院に里帰りした時、彼女の祖母は、人少ななのをいいことに、のこのこ女御のところに這い寄り、女御が生まれたころの明石時代のことをべらべらとしゃべって聞かせてしまう。
 部屋に戻ってきた明石君は、その様を見て驚嘆。女御の傍ら近くに大層年老いた母尼がべったり寄り添っているではないか。そこでこう言う。
 『あな、見苦しや。みじかき御几帳ひき寄せてこそさぶらひ給はめ。風など騒がしくて、おのづからほころびの隙もあらむに。薬師(くすし)などやうのさまして。いと盛り過ぎ給へりや』
 身分をわきまえない母尼の不見識を詰ったのである。元播磨守の北の方と女御では、確かに雲泥の身分差である。その部屋に入ることさえ慎まなければならないというのに、のこのこお近くに侍ってしまう。
 この場合は、明石女御は四尺の几帳の後ろにいるのであろう。老尼は何にも身を隠すことなく、丸見えになっている。そんな醜い姿が女御の目に入ってしまっては一大事である。そこで、明石君は「みじかき御几帳・・」と言ったのである。これが三尺の几帳であろう。最低三尺の几帳で、その醜い姿を隠しなさいと言うことである。
 それにしても実の母親に対して「いと盛り過ぎ給へりや」とは厳しい。もちろん親を本気で叱ったのではない。この老尼、六十五六歳ということだが、意外にしっかりしていて、孫娘(女御)に明石時代を回想して聞かせている時に、感に堪えなくなったのだろう、目も泣き顔になっていた。明石君は、その顔を見ると自分も忍びなくなり
 『うちほほえみて(老尼を)見奉り給ふ』
のである。明石の浦で共に過ごしていた親子三代が、こうして同室にあいまみえるのだ。感無量でないはずがない。今後二度とないことであろう。
 四尺の几帳と三尺の几帳は思わぬ感動を生んだ。

 これ以外にも几帳を挟んださまざまな攻防は尽きない。


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