源氏物語

源氏物語たより24

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  性の場面はなぜ描かれないのか 源氏物語たより24

 源氏物語では性的場面が全く描かれていません。源氏物語は貴公子光源氏の女性遍歴の書といってもあながち間違いとは言えないのです。特に物語の前半、『明石』の巻あたりまでは、女性なくしては物語は進まないほどなのです。にもかかわらず、性の場面は徹底して描かれていないのです。逆説的な言い方を許してもらえるのでしたら、源氏物語は、『禁欲の書』なのであります。


 ちなみに、ここに源氏が契りを交わした女性たちを列挙してみましょう。
 葵上、藤壺宮、六条御息所、空蝉、軒端荻、夕顔、末摘花、紫上、源典侍、朧月夜、花散里、明石君、女三宮、葵上付きの女房、源氏付きの女房、五節、
 その他大勢(契ったかどうかの証拠はありませんが)
 誠に絢爛豪華で、うらやましい限りです。これをしも“みやび”とでも言うのでしょうか。しかし、いずれの女性との契りにおいても、性の現場は描かれていません。これは一体どうしたことでしょうか、まったく不思議なことであります。

 たとえば、藤壺宮(以下宮)との最初の契りの場面などは、全く描かれることがなく、突然「あ、あの時・・」とか言って、二人だけで大騒ぎをし、密通の結果に恐れおののいているのです。宮との契りは、物語全体の一番肝心な、しかも重大なテーマなのですから、我々にも、その場面を少しくらい覗かせてくれてもよかったのではないでしょうか。
 ともかく二人が初めて契ったのは、宮が、内裏から里下がりしている時のようです。というのは二度目も宮が里下がりしている時ですから。この二度目の契りで、子供ができてしまうという宿命を、二人は担っていたのです。しかし、その子(後の冷泉帝)は、果たして彼ら二人の間の本当の子供でありましょうか、まことに疑わしい限りであります。こういう結果になるためには、この里下がりが、相当長期にわたっていなければならないからです。でもそんなに長期な里下がりを帝は許してくれるでしょうか。もしそれほど長期なものでなく、一カ月くらいのものだったとすれば、産み月のずれは生じるのですから、源氏の子であるとは限らないのではないでしょうか。
 それに、宮は、桐壺帝が愛してやまない女性であります。つまり帝との契りの回数は、源氏との契りをはるかに超えているのですから、桐壺帝の子である可能性の方がずっと高いわけです。桐壺帝が、冷泉帝を自分の子として疑いもしなかったのは、その厳然たる科学的根拠によって明らかだからです。
 それに、もう一つの理由があります。源氏はあれほど多くの女性と交渉しながら、子供がたった二人しか(冷泉帝を除く)いないという事実であります。紫上などをあれほど愛していたのに、結局子供はできなかったのです。私の妻などは、
「人妻の空蝉や、敵方の右大臣の娘・朧月夜とあんなことをして、子供ができてしまったらどうするのでしょう?」
などと真剣になって心配していますが、安心召され、源氏には子種が少ないのです。やはり冷泉帝は桐壷帝の子に間違いありません。
 思わず、今日のテーマとは全く関係のないところに夢中になってしまいました。閑話休題です。

 宮との二回目の接触も、里下がりをしている時で、どうも里下がりは問題が起こりやすいようです。宮お付きの王命婦が、「いかがたばかりけん」源氏を、宮のところに案内してしまったのです。二人は短夜を過ごすのですが、性的な接触があったのかどうかは語られていません。ただ王命婦が、源氏が脱ぎ捨てた
 『御直衣などは、かき集めもて来る』
とあります。なんとなく怪しい描写であります。この場面をどう見るかであります。“直衣”とは、上流貴族、公家の平常服のことです。源氏が、その直衣を脱いでいたということは、どういうことになるでしょうか。それに、ここの「直衣など」の「など」が、格別意味深でございます。紫式部も巧妙で、ちゃんと言ってくれればいいのに、「直衣などを持ってうろちょろ」では、ちょっと頭の回転の遅い人には何のことやらさっぱり分からないでしょう。でも彼は下着姿でいたことに間違いありません。
 そしてついに三回目。
 『いかなる折にかありけん、あさましうて、近づき参り給へり』
 宮は必死に逃げる、源氏は追う。ついに宮は気分がおかしくなってしまって大騒ぎ。大勢の人が宮のところに集まってきて、源氏は、部屋から出るに出られなくなり、塗籠(三方を壁に囲まれた納戸みたいな部屋)に押し入れられます。
 で、結局、源氏は一晩中塗籠で過ごす羽目になってしまうのですが、ここからが、源氏の源氏たるゆえんでございます。翌日宮の気分が収まって、お付きの人々などが、宮の部屋から下がって、人少なになったのを見澄まし、またまた宮に迫るのです。凄いですね、まあ。
 『引き寄せ給へるに、御衣をすべしおきて、ゐざりのき給ふに、心にもあらず、御髪のとりそえられたりければ・・』
 源氏が、宮を引き寄せると、宮は着物を脱ぎ捨てて逃れようとします。ところが、髪の毛が衣に絡まってしまって、逃れられない、というのですから、なんともあさましいかぎりでございます。この後どうなったのかって?残念ながら、式部は書いてくれないのです。ただこの時は、宮のあまりの抵抗に、さすがの源氏も思いを遂げられなかったようではありますが。

 次に、空蝉と朧月夜について見てみましょう。まず、空蝉。
 空蝉の部屋に入り込んだ源氏は、くだくだと好きがましきことを言って、
 『いとちいさやかなれば、かき抱きて、奥なる(源氏の)おましに入り給いひぬ』
のです。そしてどこから出てくるのか、情け情けしい言葉で空蝉を籠絡しようとしますが、空蝉も、簡単には落ちまいと必死です。とやこうやしている間に、『鳥も鳴きぬ』、つまり朝になってしまった、ということで、空蝉とは性交渉があったのかなかったのか、判然としません。次の言葉で想像するしかないのです。
 『見ざらましかば口惜しからまし』
 「見る」という言葉が重大な意味を持っているようで、とにかく諸解説を見ても、「二人は契った、契った」と言っていますから、契ったのでありましょう。

 朧月夜とはこうです。
 花の宴の後、源氏は、藤壺宮を求めて、飛香舎の辺りをさまよってみましたが、戸締りが厳重で入り込むすきもありません。仕方なく、弘徽殿にきてみると、これが簡単に忍び込めたではありませんか。「こんなことだから世の中、男女の間違いが起こるのだ」などと勝手なことを言っていますと、向こうから、
 『朧月夜にしくものはなし』
と、歌いながらやってくる女がいるではありませんか。
 『いと嬉しくて、ふと袖をとらへ給ふ・・やおら抱きおろして、戸を押したてつ(ぴたりと閉めてしまった)。』
くだくだ言っているうちに、夜は明けて行くし、人々は起きてきて騒がしくなるしで、扇を交換しただけで、名も知らないままに別れてしまうのです。さて、性的交渉はあったのでしょうか、なかったのでしょうか。やはり式部は、ここでもはっきりとは書いてくれません。

 煩雑に思われるかもしれませんが、もう一人だけ、面白いからあげておきましょう。紫上です
 十歳の少女・紫上を二条院に連れて来はしましたが、すぐ性交渉というわけにはいきません。そんなことをすれば「未成年者強制猥褻行為」で検非違使に逮捕されてしまいます。ということで、源氏は四年間我慢し、紫上が十分成熟したのを確かめて、ある夜、突然、紫上に淫らなふるまいをするのです。(でもそんなことは一切書かれていないのですから、安心してください)そして、次の朝、
 『をとこ君はとく起き給ひて、女君は、さらに起き給はぬ朝あり』
という事態が起きました。これって一体なんでしょうか。鈍い人は、これでは何のことやらさっぱり分かりません。ヒントは、天皇の子であるにもかかわらず、「をとこ」と言ってみたり、宮家生まれの女性なのに「おんな」と言ってみたりしていることです。
 そうなのです、源氏物語は、すべからく男女の交接については、あからさまには描くことをしないのであります。
 
これに業を煮やしたのでしょうか、田辺聖子さん(『新源氏物語』 新潮文庫)や橋本治さん(『窯変源氏物語』 中央公論社)などは、信じられないような訳し方をしているのです。まずは、聖子さん。藤壺宮との契りの場面をこう表現しています。
 
 『「いくら埋めても埋められない裂け目があるのですよ・・暗い、欲深な裂け目・・そこに何を投げ入れても埋まりません。あなただけなのです」と源氏はささやいた。宮は黙っていらした。二人の若い恋人たちは、いまはぴたりと寄り添い、横たわっていた。源氏の腕は、宮の白い、まろやかな、はだかの肩を抱いていた』
 そんなこと、どこにも書いてない!!そもそも“埋められない裂け目”とはなんですか。不敬罪に当たるのではないでしょうか。でも面白いからもっと引用させてもらうことにします。今度は、紫上の例のところ、
 『長いあいだ、心からいとしんだものを、もう待ちきれない気がする。源氏は姫君(紫上)にそっと唇を重ねる。やわらかい少女のままの唇。「私の愛に免じて、私が何をしても許してくれるね?」「いいわ、お兄さま・・何を?」』
 そんなこと、どこにも書いてない!!
 橋本さまはもっとひどいのです。まずは、空蝉の段
 『女の胸に手を差し入れれば、熱い胸乳に落ちた汗のしずくが、冷たい遣水の流れとなって、どこやらへ落ちて行こうとする。その跡を辿ろうとした私の腕の中で、女の体が激しく揺れる』
 “どこやらへ”ってどこなのさ。ま、いいか。そして、今度は、朧月夜の番。
 『髪をさぐり、そっと息を吹き寄せる。身体より、まず自負心に答えてもらわなければ。髪をまさぐられて、女の自負心がトロトロと眠りに着く。私の中に蟠(わだかま)っているのは、花の宴の酒の酔いか、それとも、若い女の甘やかさへの酔いか。つややかな絹の上を、スッと私の指が走って行く。女は何も分からない。私の膝が、後ろから抱えるように、女の腿を押さえ込むと、まどろみかけた女の自負心が目を覚ます。』
 なんというか、いやー、も~。

 子供の頃、夏になりますと、小学校の分校の庭で野外映画がありました。子供が大勢見ているのに恋愛もののドラマも上演されました。男と女が寄り添って〇〇をしようとした瞬間に、何と映像を消してしまうのです。教育上よくないからでしょうか。でも、なんか変だと子供心に思ったものです。〇〇のところは、田辺さまの“裂け目”のように埋めていただければいいのですが、とにかく源氏物語はこういうところに来ると裂け目ばかりになるのです。“共寝”とか”抱擁”とか“口づけ”とかくらいあってもいいはずなのに、ないのです。やはり禁欲の書と言っていいのでしょうね。
 
 さて、ここのところは真剣に考えてみる必要があります。どうして性をあからさまに描かなかったのか。
 結論から言えば、源氏の女性遍歴、つまり色好みは、性が目的ではなかったということである。瀬戸内寂聴は、源氏が、紫上の出家を決して許そうとしなかったのは、
 「セックスができなくなるからだ」
と、どこかで言っていたが、そうだろうか。そもそも源氏はこの頃四十歳を過ぎている。それにセックスをしたいというのなら、お気に入りの女房もいるし、自由自在のはずだ。源氏が、下の品の夕顔を尋ねようとしたのは、夕顔の、機を逃さないしゃれた歌やユウガオの花を「扇に載せて・・」とセンスある応対をしたからだ。
 「え、こんな場末のこんなあばら家に、こんなにセンスのある女が!」
という驚きからである。決して性を求めてのものではない。六条御息所とは、何か感情的にはしっくりいかないものの、彼女の持っている「あてで、よしある」人柄を捨てることができなかったから、だらだらと付き合っていたのだ。
 彼が、あまたの女性を尋ねたのは、女性たちのもっている教養や情趣やセンスを尋ねていたためだ。彼女たちとの応接で、互いの心の響き合いを楽しんだのだ。

 特に、後朝の別れは、さまざまな情を引き起こす。昨夜の女の、たおやかな、なつかし仕草や微妙に変わる表情、あるいはセンスある言葉や歌、それらを暁の空に残る月を眺めながら偲び、朝露を踏みつつ、今度はいつ会えるのだろうかと心もとなく思いながら家路をたどる。女も、今度男はいつ来てくれるのだろうか、夕べ私の言った言葉や仕草は相手を不快にさせなかっただろうか・・心は千々に乱れる。源氏があまたの女性遍歴をしたのは、後朝の別れにこそ、男、女の心のありようが凝縮されて現れるからだ。

 源氏物語は、古今集から多くの歌を借りた。それは古今集が恋のバイブルであるからだ。その古今集も、男女の性を、あからさまに、直接的に、強烈に詠うことなどしない。たとえば万葉集と比べてみよう。万葉集には
 『朝寝髪われは梳(けづ)らじ 美しき君が手枕触れてしものを』
 『君が行く道の長手を繰り畳ね 焼き滅ぼさむ天の火もがな』
などという歌があるが、一首目では、“手枕”という言葉で、「昨夜あなたが手枕をして寝てくれた」という性の濃密なにおいが漂ってくる。また、あなたがこれから行こうとしている長い道を畳んで“焼き滅ぼさむ”という、なんとも凄まじい情念のほとばしりが二首目には出ている。この二首には、万葉人が、真情を抑えることなくストレートに詠い上げるという特徴がよく出ている。

 古今集は、繊細で優美、暗示的、間接的である。恋のほとばしりを極限まで抑えているのだ。いくつか挙げてみよう。
 『君や来む我や行かんのいざよいに 槇の板戸もささず寝にけり』
 『月夜には来ぬ人待たる かきくもり雨も降らなんわびつつも寝ん』
 『有明のつれなくみえし別れより 暁ばかり憂きものはなし』
 一首目、今夜はあの人が来るかもしれない、いやいや、いっそのこと私が出て行こうかしら、逡巡しつつ門を開けて待つ。
 二首目、こんないい月夜だもの、あの人は必ず来るわ、でも、こんなに心を悩ますのなら、いっそのこと雨でも・・。
 三首目、暁の別れのつらさ。もっと一緒にいたいのに、それなのにもう暁・・。
 いずれの歌も、心の微妙なたゆたいを詠って、、優婉で繊細である。源氏物語はここに範を得ている。
 源氏が、夕顔にかかわりを持つようになった時に、忠実な家臣・惟光に、女の身元を探るようになどと煩わしいことを命じる。惟光は内心『れいのうるさき御心』(また源氏様の色好みが始まったわい)と呆れるのだが、一方こうも思う。
 『すき給はざらむも、情けなく、さうざうしかるべかし』
 源氏様ほどの若さ、美貌、そして才能の持ち主だ、色好みするのも当然で、もし色好みをしなかったら、それも風情がなく物足りないな、という思いである。彼は、源氏の性が目的の女漁りを認めたのではない。そうではなく、多くの女性と触れ合うことで、もの・ことの微妙を会得し、ご主人様が一層輝くものになるだろうと思っていたからだ。

 色好みは、いわゆる色欲ではない。いかに雅に、いかに豊かに人として生きるべきか、それを探る道である。紫式部は、源氏にその理想の実現を願っていたから、性をあからさまに描くことは意味のないことであったのだ。
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