源氏物語

源氏物語たより429

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   緻密な心理描写   源氏物語たより429

 光源氏は、藤壺宮と謀って、六条御息所の娘(前斎宮、のちの秋好中宮)を冷泉帝の女御に入れてしまった。冷泉帝は二人の間の不義の子で、まだ十三歳。前斎宮(以下斎宮)は二十二歳。当時は珍しいことではなかったようだが、それにしても不釣り合いな歳の差である。しかも、斎宮には熱烈な求婚者があったのだ。朱雀院である。

 七年前のこと、彼女が伊勢に下向するに際し内裏で行われた別れの儀式の時、もともと美貌であった斎宮を、母・御息所がこの上なく美しく装わせたこともあって、帝には
 『いとゆゆしきまで(美しく)見え給ふ』
たのであった。帝はあまりの美しさに激しく心を動かされ、別れの小櫛を彼女にお与えになるにつけても
 『いとあはれにて、しほたれ給ひぬ』
ほどだったのだ。遥かな伊勢にこんな美しい女性を送ることを悔やんで、涙にむせたというのだ。この時、帝の心は斎宮にすっかり魅せられてしまっていた。しかし今更嘆いても始まらない。立場上「永久に京に戻ることのないように」と言いながら別れの小櫛を挿さざるを得なかった。なぜなら彼女が「京に戻る」ということは、帝に何かが起こること(死などの不慮の事件で天皇が変わること)に他ならなかったから、「早く戻れ」とはかけても言うことはできないのだ。
 
 七年後、朱雀帝が譲位し、斎宮母子が京に戻ってきた。この段階で、晴れてあの時の思いを遂げることができる条件が整った。さっそく朱雀院は自分のもとに上がるよう申し込む。この時、朱雀院三十三歳。二人は
 『似げなからず(不似合でなく)、いとよき御あはひ』
なのである。
 にもかかわらず、源氏は強引ともいえる方法で藤壺宮の了承を取り付け、斎宮を冷泉帝に入内させてしまう。なぜそんな無理押しをしたのだろうか。
 一つには、源氏が、御息所の意向もあって斎宮を養女にしていたことがある。自分の娘(養女)が将来皇后にでもなれば、彼の権勢はいよいよ盤石になる、それを狙ったのだ。
 しかし、実際にはこれ以外にも彼には複雑な思いがあった。
 その一つが、彼自身が斎宮の美しさに魅かれていて、自分の手元から離したくないという好き心である。憶測すれば、斎宮が帝に入内して、里帰りなどしたりした時に彼女を言い靡かすチャンスができるという魂胆があったのだろう。何しろ父・桐壷帝の寵妃(藤壺宮)を犯すことも辞さなかったほどの男である。
 二つ目は、六条御息所に対する罪滅ぼしである。彼は御息所を終始冷淡に扱ってきた。御息所は源氏を恨めしく思ったまま死んでいった。その霊を鎮めるために、彼女の娘・斎宮を女御として手厚く世話しようとしたのだ。
 三つ目は、宿敵である右大臣や弘徽殿女御に対する恨みである。彼らのために須磨に流れていかなければならなくなったのだ。明石の謫居を合わせれば、二年半にも及ぶ苦難を強いられたことになる。恨みがないはずはない。その感情が、無意識のうちに右大臣の孫であり弘徽殿女御の子である朱雀院に報復心を抱くようになっていたのだ。京に復帰したのち、彼の恨みはこんな形で現れた、と考えても考えすぎではなかろう。
 斎宮を冷泉帝に入れたことで、彼のこの四つの思惑はすべて叶えられた。

 ところが、彼の気持ちは少しも安らうことがなかった。むしろ逆に院を謀ったことに忸怩たる思いが鬱勃(うつぼつ)と湧いてきた。右大臣と弘徽殿女御こそ恨み骨髄の仇敵であるが、朱雀院はそうではないからだ。源氏にとって院は
 『なつかしくあはれなる御心ばへ』
の人なのである。「なつかし」とは「相手の心を引き寄せるような優しさ」ということであり、また「あはれ」は「相手の心をしみじみとゆするような情趣深さ」ということである。源氏が須磨に流れていかなければならない最終的責任者は朱雀院ではあったが、それは院の意思ではない。それどころか院は源氏を心底尊敬していたし愛してさえいたのである。その院を謀りごとによって、悲嘆の淵に追いやってしまったのだ。
 院はあまりの結果に、斎宮には消息もしなくなってしまった。しかし、彼女が入内するとあっては黙っているわけにもいかない。そこで、世にも珍しい立派な衣装や櫛箱やお香を贈る。そして手紙も添えた。
 『別れ路にそへし小櫛をかごとにて はるけき中と神やいさめし』
 伊勢に下って行く時に、斎宮の髪に挿した小櫛(「京に戻ることなかれ」を象徴するもの)が原因で、伊勢の神様が私とあなたの仲を「はるかなままで」といさめたのでしょう、という意味である。しかし、二人の仲を裂いたのは伊勢の神ではない。源氏である。源氏はこの手紙を見て忸怩(じくじ)たる思いに苛(さいな)まれるのである。
 自分のつまらない好き心で、院の宿年の思いを挫いてしまった。そもそも位を去られたこと自体恨めしいことと思っていられるはずなのに、それに追い打ちをかけるような横車である。さすがに
 『何にかくあながちなることを思ひ始めて、心苦しく思し悩ますらむ』
と悔い始める。院の「なつかしくあはれ」なるお人柄を思えば、気持ちは乱れるばかりである。
 それに冷静に考えれば、冷泉帝はまだ幼くていられる。そんなところに二十二歳の斎宮を入内させれば、斎宮自身も「面白くない、不快だ」と思われるかもしれない・・。いずかたに付けても源氏の胸はつぶれるほどに騒ぐのである。
 しかしここにきて入内を留めるわけにもいかない。彼は院に遠慮しながらも、事を運ぶしかなかった。
 源氏は決断力のある大胆な男であるが、同時に細心微妙な精神の持ち主でもある。それがここで克明に描かれる。

 千年も昔の一女性が、これほどに人の心の動きを克明に捉えながら物語を創造していたことに改めて感動と尊敬の念を覚える。しかもこの緻密な心理描写は、物語のいたるところで見ることができるのである。
 女三宮が源氏に降嫁した時の紫上の悲嘆、それを表に出すまいと必死に耐える健気さ。柏木が、女三宮との不義を源氏に知られてしまった絶望から死に至るまでの苦悩。また、浮舟が、薫と匂宮という当代最高の二人の貴公子との間の愛の板挟みに悩み、宇治川に投身自殺するしかなくなっていく切迫した心情・・上げればきりがない。

 ところで、朱雀院という人物は、歴史上実在した三条天皇を髣髴(ほうふつ)させるものがある。朱雀院は眼病で志に反して帝位を去った。三条天皇もまた眼病を中心とする病弱のために位を去った。いや三条天皇の場合は、時の実力者・藤原道長の圧迫によって位を去らざるを得なかったのだ。三条天皇は、十一歳という若さで東宮になりながら、一条天皇の在位が長かったために、位についたのは二十五年も後のことである。しかも位につくや道長の陰に陽にの嫌がらせが始まった。道長は、娘・彰子の生んだ敦成親王を早く位に付けたかったのだ。追い込まれた天皇はわずか五年の在位で位を敦成親王(後一条天皇)に譲り、その翌年には崩御している。
 『心にもあらで憂き世に永らへば 恋しかるべき夜半の月かな』
 三条天皇の絶望的な嘆きの歌である。
 朱雀院もまた安穏として帝位についていたわけではない。精神的な弱さに加え、眼病が付きまとう。そして母・弘徽殿女御の専断には終始悩まされてきた。
 さらに彼を最も悩ませたのは、光源氏という存在である。源氏は、弟とはいえ世にもまれなる偉大な才能の持ち主で、子供のころからことごとく朱雀院は源氏に圧倒されてきた。そんな優れた人物を配流同然の立場に置いたのだ。彼の弱さに耐えられる措置ではない。このことでも彼は終始悩まされ続けた。「いずれこの措置による災いは自分に降りかかるはずだ」という恐れを抱き続けた。
 斎宮のことはたかが女性の問題である。しかし彼にとっては「されどこよなく愛しいと思う女性」である。それが源氏によって潰えてしまった。彼は再び負け犬の苦渋を味わったのである。
 「心にもあらで憂き世に永らえば・・」
である。源氏物語が書かれたちょうど同じ時代に三条天皇は在位していた。それが源氏物語の朱雀院に反映していると言えないだろうか。

 源氏物語はもちろん光源氏の目を通して描かれた物語である。したがって朱雀院の心理が詳細に描かれる面は少ない。もし院の目から物語が語られていたとすれば、どれほど綿綿たる絶望的な物語になっていたことか。それでも紫式部のことだから、機智や諧謔を交えながら院の心理を緻密に克明に描き切ったことであろう。


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