源氏物語

源氏物語たより430

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   絵合って何?   源氏物語たより430

 「絵合」とは、もの合わせの一種で、左右に組を分け,判者を立てて、各々の絵や絵に和歌を添えたものを出し合って優劣を競う遊びである(広辞苑)。平安人はさまざまな分野でもの合わせをして楽しんだ。歌合、貝合、菊合などがよく知られているが、根合などという変わったものもある。五月五日の端午の節句に、菖蒲の根を出し合ってその根の長さを競うものである。また前栽合などという珍しいものもある。
 源氏物語の『絵合』の巻では、権中納言(元の頭中将 以下頭中将)と光源氏の間でこの絵合が行われた。
 頭中将の娘は、弘徽殿女御としてすでに冷泉帝に入内していたが、源氏も、養女である故六条御息所の忘れ形見・前斎宮を入内させた。梅壺女御である。両者は、冷泉帝が絵が好きであるということで、絵を介して帝の寵を争うようになった。両者とも負けてはならじと古今の優れた絵を集めたり新しい絵を描かせたりするという激しい争いとなった。頭中将などは秘密の部屋を作って、優れた画工を招き、絵を描かせるというエスカレートぶり。
 その結果、どうせなら藤壺中宮の御前で絵合をしようではないかということになって、いよいよ真剣勝負が始まった。 
 
 ところがどうもこの絵合が、現代のわれわれには理解しがたいものがあるのだ。いわゆる純粋に絵の優劣を競うのではない。現代であったなら、構図のよさとか絵の主題とか趣向、配色や美しさ、細密さ、あるいは絵の持つ生気やそれが醸し出す力などを優れた絵として評価するのだが、源氏物語の絵合は、意表外の点での優劣を競うばかりで、何かはぐらかされたような感じを受けるのである。
 
 それではこの時どんな絵合が行われたのかを見てみよう。
 藤壺中宮の御前で行われた絵合のそれぞれの出し物は次のとおりである。
 左(梅壺女御側)  『竹取物語』
 右(弘徽殿女御側) 『宇津保物語』
 絵に堪能な女房が、弁者になって、それぞれの絵がいかに優れているかを口角泡を飛ばして論じまくる。ところがその弁説の内容が絵そのものからすっかり離れてしまっているのだ。たとえば竹取物語の弁者はこう言う。
 「かぐや姫は、この世の濁りにも汚れることなく天に昇られた。その生は崇高なもので、凡人のとても思い及ばぬものだ」
すると相手はこう反駁(はんばく)する。
 「それは確かですけれども、竹の中から生まれたというのはいかにも身分が卑しいではありませんか。それにかぐや姫は、翁の家は明るく照らし輝かしたけれども、内裏(宮中)を照らすことはないままになってしまいました。それに五人の貴公子の過ちたるやひどすぎますわ。  
 それに比べたら、宇津保物語の主人公・俊蔭は、荒波を耐えて異国に渡り、音楽(琴)の志を遂げ、その名を異朝にも我が国にも残したのです。まことに素晴らしいことと言わざるを得ません。絵も日本のことと唐土のこととが取り並べて描かれていて、他に並ぶものもないほど優れていますわ」
 最後の一言(日本と唐土のことが描かれていること)を除けば、いずれも絵とは無関係のことばかりである。これでは「物語合」である。
 次に出されたのが、左からは『伊勢物語』、右からは『正三位物語』(今この物語は存在しない、いわゆる散逸物語)である。再び喧々諤々(けんけんがくがく)の議論が戦わされたがなかなか結論が出ない。決しかねていると、中宮が口出しをする。
 『在五中将(在原業平)の名をばえくたさじ』
 中宮は、伊勢物語の主人公である在原業平の名声を傷つけていいのかと言うのである。要するに、業平は、平城天皇の皇子・阿保親王の第五子と言う申し分のない身分であるし、歌の名人でもある。しかも容姿端麗にして情熱的色好みときているから、そんな人物を消し去っていいのかと言いたいのだろう。この一言で左の勝ちになったようであるが、中宮がしゃしゃり出てきたのでは、その権威には誰も逆らえるはずがない。これでは歌合もなにもない。中宮はもちろん源氏と組んで、前斎宮(梅壺女御)擁護である。

 この中宮の御前での絵合の結果、源氏が「どうせなら帝の御前でやろうではない」と言い出して、またまた両者は、華美を尽くした紐の飾り、高価な軸、最高の表紙を使用した絵を出し合い勝負を挑むことになった。ここではさすがに
 『おもしろきこと(画題)ども選びつつ、筆とどこほらず、書き流したるさま、たとえんかたなし・・山・水の豊かなる心ばへ・・』
などと絵の本質に迫る内容が書かれているが、結局、勝負がつかず定めかねているうちに夜になってしまった。
 と、最後の勝負の一枚になって、源氏がやおら絵を提示した。彼が須磨に流謫していた時に描いた絵日記風の絵である。これを見た途端に
 『かかる(源氏のような)いみじきものの上手の、心の限り思い澄まして静かに書き給へるは、たとふべきかたなし。皇子(みこ 判者の帥の宮)よりはじめたてまつりて、涙とどめ給はず』
という有様になってしまった。そして
 『さまざまの御絵の興、これ(源氏の絵)にみな移りはてて、あはれにおもしろし。よろづみなおし譲りて、左、勝つになりぬ』
という具合なのである。もちろん源氏の描いた絵日記風の絵の様も、若干は記されているものの、もうそんなことは度外視だ。源氏の二年半にわたる悲惨な須磨・明石生活はすべての人々の記憶に新しい。判者の帥の宮をはじめ、居並ぶすべての人々は一斉に涙を流すのである。
 それにそもそも内大臣(光源氏)が提示した絵である。北朝鮮と同じで、文句など言えるはずはない。「左が勝つ」に決まっている。それだったら、夜に入るまで延々と議論などしていないで、早く提示すればよかったものを。出し惜しみでもするように最後の最後になってそろりと出すというのだから、何とも嫌味で卑怯なやり方である。
 いずれにしても、源氏連合軍(源氏、中宮、梅壺女御)が完勝してしまった。

 当時の歌合なども同じようなものだったのではないだろうか。歌そのものの出来不出来は度外視して、その道の権威者や時の権力者の歌などは、議論の余地なく勝負は決まってしまう、と言うようなことがしばしば行われていたのではなかろうか。現代でも日展などで権威者の弟子の作品が、高評価を受け優遇されることがあるのだから、まして平安時代は・・。 
 それに比べて、菖蒲の根合などは単純でいい。根が長ければ勝つのだろうから。また貝合なども「形、色、大きさ、種類の多さ」で決めたというから単純だ。これらは、あまり贔屓偏頗(ひいきへんぱ)やおべっかや横車は通じない。

 絵合は随分いい加減な遊びであるが、先の絵合は、実は中宮争いにつながっているのである。弘徽殿女御が中宮になるか、梅壺女御が中宮になるかの真剣勝負だったのである。だから両者にとっては深刻なもので、単なる遊びではない。源氏の須磨の絵が出された時、
 『(権)中納言(頭中将)の御心さわぎけり』
だったのである。「負けた!」という悲痛な胸騒ぎだったということである。もちろん絵合に負けたことではない、中宮争いに負けたということである。なにしろ冷泉帝が絵が好きなのだから、勝った方が中宮になるのは当然である。語り手はこう言っている。
 『権中納言は、なお(弘徽殿女御の帝からの)おぼえ、(梅壺女御に)おさるべきにやと、心やましう思さるべかめる』
 「心やまし」とは、「不愉快だ、心がむしゃくしゃする」ということである。
 一方の源氏は、この絵合で自分の優れた宿運を確信するとともに、最高の権威者に昇りつめつつある自己の人生に、そこはかとない疑いを抱きもするのである。
 かつての二人の親友にとっては、「たかが絵合、されど絵合」であった。


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