源氏物語

源氏物語たより435

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   『帚木』の巻頭の文を考える  源氏物語たより435

 『光源氏、名のみことごとしう、言ひ消たれ給ふ咎(とが)多かなるに、いとどかかる好きごとどもを、末の世にも聞き伝へて、軽ろびたる名をや流さむと、(源氏が)忍び給ひける隠ろへごとをさへ、語り伝へけん人(語り手)のもの言ひさがなさよ。さるは、(源氏は)いといたく世をはばかり、まめだち給ひけるほど、なよびかに、をかしきことはなくて、交野の少将には、笑われ給ひけんかし』

 これが『帚木』の巻頭の文章である。いささか長いし、意味も取りにくいが、要は、「光源氏」という名誉ある名に比べて、問題点も多い男である上に、彼の秘め事さえあけすけに語ってしまう語り手の「口の悪さ」を弁解し、また源氏の「好きごと」の真実を明らかにしようという内容である。
 光源氏の「光」は、源氏のたぐいまれな容貌やさまざまな分野における傑出した才能に対して名付けられたものである(高麗の相人が付けたとあるが)。それは、『桐壷』の巻で詳らかに見てきたところである。
 「光」は、この世のものではないような優れた存在に対して付けるもので、最高の賛辞である。天照大神やかぐや姫を想起すれば分かることで、彼女らはいつも光り輝いているのである。
 ところが、冒頭の文では、「その名はあまりに“ことごとし”過ぎて、本当のところはね・・」と、彼の実態を暴き始めているのである。
「実はね、彼には咎(過失、失敗)も多くて、せっかくの「光」という褒め言葉も相殺されてしまうほどなのですよ」
と言うのである。そして後の記述から見る限り、その「咎」の多くは、女性に関することを指しているようである。

 我々はここで「え?」と思う。なぜなら、ここまでの物語では、源氏がかかわった女性は二人しか出てきていないからである。それは藤壺宮と葵上である。藤壺宮は、母・更衣に酷似しているということで、母恋しさから出た源氏の感情である。一方の葵上は、源氏十二歳の元服に際して、政略結婚的に添臥として与えられた女性で、源氏の情愛はまるでない。
 にもかかわらず、女性関係の咎とは、どういうことであろうか。
 実は『帚木』の巻では、源氏は突然十七歳になっていたのである。つまり源氏は元服以来、この年までに多くの女性と浮名を流してきたというのだ。

 『桐壷』の巻の最後に、我々が後に「二条院」と呼ぶようになる源氏の邸が修理、改築される場面がある。立派に出来上がった邸を源氏は感慨深げに眺めながら、こう呟く。
 『かかる所に、思ふやうならむ人をすゑて住まばや』
 「思ふやうならむ人」とは、理想に思う女性ということで、もちろん「藤壺宮」のことを指す。この時、源氏は十二歳か十三歳で、今でいえば小学校六年生くらいに当たる。初恋の情が芽生えるころで、中には「何々ちゃんと結婚したい」などと思うような男の子もいるかもしれないが、まさか「かかる所に・・すゑて住まばや」などと思う子はいまい。源氏は大層ませた男の子であったことは確かで、彼にして初めて呟ける言葉である。それではこれをもって「咎」と言っているのであろうか。そうではあるまい。

 それでは、十二歳の元服以来、源氏は、この二人の女性以外に、どういう女性とどのような浮名を流していたというのだろうか。
まず挙げられるのは六条御息所であろう。故春宮の妃である御息所とは世間の噂になるほどの華やかな恋物語を展開していた。そのほかには左大臣邸(葵上邸)の女房の中務君などが挙げられようが、これは小者すぎて浮名を流す中には入らない。花散里や朝顔ともこの時期にはすでに交際があったかもしれないが、詳らかなところは語られていない。
 いずれにしても「光」と言う名が帳消しになってしまうほど華やかな女性遍歴をしていたというのだから、相当の相手たちであり相当大勢の女性、ということである。事実、この後、源氏と頭中将が「恋文を見せろ、見せない」のやり取りの中で、頭中将が、源氏の御厨子から、女性たちの手紙を引っ張り出して、
 『よくさまざまなるもの(手紙)どもこそ侍りけれ』
とあきれている。これでは「咎」も多くなるというものである。

 ところで問題なのは、冒頭の文章の後半で、どうも語り手の意図が分からなくなる。男女関係の咎が多いのだけど、「でもね・・」とここでも続いていく。そして
 「でもね、実際にはそれほど華々しい恋愛沙汰を繰り広げたというわけではないのですよ。それどころか、源氏は、世間の評判にひどく気兼ねして、まじめな生活をしていましてね、みなさんが期待するような艶っぽい興味津々たる話などはございません。だから、交野の少将にでも聞かれたら笑われてしまうくらいなのです」
 先には源氏を「光」る存在から引きずりおろしてみたかと思うと、ここでは「それほどなよびてばかりいたわけではなく、まめで・・」と弁護している。いったいどちらが、本当なのだろう。もっともこの語り手の言葉を「へえ、源氏ってそんな人だったの!」と馬鹿正直に受け取るようなお人よしはいないだろうが、それにしてもこのように源氏を弁護しなければならなかった理由は何なのだろうか。単に語り手の口さがなさ(口うるさくやたらと世間に言いふらす)を免れたい気持ちだけだろうか。
 一つ考えられるのが、これに続く次の記述である。
 『さしもあだめき、目馴れたる、うちつけのすきずきしさなどは、好ましからぬ御本性にて』
 (もともとそんな道の辺の花を手折るようなありふれた曲のない浮気沙汰は好まれぬ御本性であった  新潮社 『円地文子源氏物語』)
 源氏にとっては、そんじょそこらの凡人がする色恋沙汰などは、問題ではないと言っているのだ。道の辺の花を折るような恋は、皇子の気概に反することと言いたいようである。
 一方、ここに登場する「交野の少将」というのは、昔物語の主人公で、当時相当「好色男」として知られていたようで、『落窪物語』や『枕草子』にもその名が見られる。散逸してしまった物語であるから、その内容は推し量るしかないのだが、とにかく百人の女性に狙いを定めれば間違いなく百人を射止め、千人に・・。しかし、百人、千人に狙いを定めること自体、光源氏の御本性に悖(もと)るところなのである。
 交野の少将は、あまりおよろしくないお家柄の生まれだったのであろう。彼の恋は、性目当ての曲のない浮気沙汰に過ぎない、源氏とは無関係な別世界の出来事なのである、と言いたいのだろう。だから、語り手の本意は、「源氏様の恋愛はね、それは高貴なものなのですわ」ということであり、その裏には、「源氏様こそ、交野の少将をお笑いなさるのです」という思いが含まれているかもしれないのだ。

 この後、例の「雨夜の品定め」が展開される。頭中将、左馬頭、藤式部丞という貴公子による壮大な女性談義である。といってもその大半を左馬頭が喋り捲るのだが。もっとも源氏は、
 『うちねぶりて、言葉交ぜ給はず』
に聞いているだけである。居眠りしながらで、一言もしゃべらないというのである。しかし、「こういう女がいい、ああいう女はダメ」などという左馬頭の長広舌が終わった時に、源氏は
 『人ひとりの御有様を心のうちに思ひ続け給ふ。(宮は)これに足らず、またさし過ぎたることなくものし給ひけるかなと、ありがたきにも、いとど胸ふたがる』
のである。「人ひとり」とは、もちろん藤壺宮である。やはり目をつぶりながらも、真剣に左馬頭の話を聞いていたのである。ただ左馬頭が例に出した「指食い女」や「木枯らし女」、あるいは藤式部丞の「ニンニク女」などとは比較にもならない完璧な女性を終始思い描いていたのである。
 あれほどこの世に「ありがたき」理想的な女性はいないと思うにつけ、胸がつぶれるのである。源氏には、これほど全霊で慕う女性がいるのだが、しかしそれを金輪際誰にも話すわけにはいかない。そればかりか自分の思いをほのかにも藤壺宮に打ち明けることもできないのだ。胸がふたがらないはずはない。
 しかし、冒頭の「咎」の中には藤壺宮は入らない。なぜならそんなことを語り手が、「末の世に聞き伝え」たら、ただでは済まないからだ。まさに絶対公にできない「かくろへごと(秘め事)」で、語り手とすれば、慎重にならざるを得ないのだ。

 「うちつけのすきずきしさなどは好ましからぬ御本性」と言うにしては、雨夜の品定めの翌日には、受領の妻風情の空蝉と強引に契ったり、五条の下町で下の品の夕顔と愛を交わしたりしているではないか、と言う疑問もわくかもしれないが、あれは「雨夜の品定め」に触発された、まさに「あだめき、目馴れたる、うちつけの好き好きしさ」なのである。あくまで彼の心に秘められているのは藤壺宮一人。この深刻な状況が冒頭のくたしたり弁護したりの要領を得ない語り口になったのではなかろうか。
 夕顔との恋以降、彼の恋は、超上級の女性(故春宮の妃・六条御息所、右大臣の娘・朧月夜、兵部卿の娘・紫上、常陸宮の娘・末摘花(?)、式部卿宮の娘・朝顔)に戻っていく。
 でも、『若紫』の巻に至って、語り手は我慢できなかったのだろう、日本の歴史上かつてなかった(実際にはあったかもしれないが)臣下と后の不倫を語ってしまうのである。最初の二人の出会いは全く語らなかったというのに、どうして二度目の濃厚な濡れ場を語ってしまったのだろうか。もっともそれが、末の世まで語り伝えられたからこそ、、我々を楽しませてくれているのだが。


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