源氏物語

源氏物語たより437

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   架空の自然   源氏物語たより437文英堂

 フエリス女学院の谷知子教授の話が面白かった。三回シリーズの講義で、今回のテーマは「歌枕」である。歌枕とは
「古来和歌の中で多く詠みこまれた地名のことである。風光の美しい土地は自然と多く歌に詠まれるという事情から生まれたのであろうが、平安時代以降、与えられた題にしたがって歌を詠む、いわゆる“題詠”が盛んになると、古歌を背景にして美的連想を誘う名所~歌材として最もふさわしいもの~として意識されるようになった」                『文英堂 新国語便覧』
 歌枕になる土地は、特定の景物(心情)と結びつく場合が多い。例えば小倉山と言えば「紅葉」であるし、宇治と言えば「憂し」という感情につながる。また筑波嶺と言えば「恋」であるし、逢坂山と言えば「逢う」、飛鳥川は「はかなさ、無常」に結び付くという具合である。
 今回は多くの歌枕のうち、嵐山、宇治、大堰(井)川、小倉山、鳥羽、伏見が取り上げられた。中でも「伏見」の話は、平安人には自然に対する独特な感覚があることを知ることができて興味深いものであった。その話は次のとおりである。

 橘俊綱という人がいた。俊綱は、藤原頼通(道長の子)の子で、伏見に鳥羽離宮(白河・鳥羽上皇の離宮で、規模広大にして林泉の美を極めたという)にも勝るという素晴らしい山荘を造って、ここで頻繁に歌会などを催したという。その山荘に関して『今鏡』に次のような記述がある。
 『伏見には山道を作りて、しかるべき折節には、旅人を仕立てて通されければ、さる面白きことなかりけり』
 俊綱は、山荘の中に山道を作ったというのだから、これだけでこの山荘の規模が分かるというものであるが、さらに「しかるべき折節」には旅人を仕立てて、そこを通おらせたという。「しかるべき折節」とは、歌会の時であろう。集まった歌人(うたびと)たちは、山路をゆく旅人の姿を目の当たりにしながら、しかるべき歌を作ったりしていたのであろう。旅人にも粗末ななりをさせ日に焼けた化粧をさせていたのだろうから、まさに人工の自然景である。
 「当時の叙景歌を考える上で、興味深い」
と谷教授は言われたが、確かにそのとおりで、いわば虚構の自然を材にして、旅人の厳しくも苦しい旅程などをいかにもそれらしく詠んでいたのだ。

 我々は、古今集や新古今集などに詠われた自然を「嘱目の景」と錯覚しがちである。でも彼らは、案外見てもいない風景を、いかにも目の当たりに見ながら詠んでいるように歌を作り上げていることが多いのである。現代人には「なんだ、それでは誤魔化しではないか」と映ってしまうのだが、彼らはそんなことはまったく意に介していない。  
 そもそも「歌合」なるものが誤魔化しである。大勢の歌人が一室に集まって、見てもいない遠くの山や川や島や、あるいは動・植物を頭の中だけでひねくり回して、そこから淡路島やら龍田川やら逢坂山やら、あるいは紅葉や鶯や風雪などの名歌を作り出すのだから、随分いい加減なものである。
 それでは古今集の紀貫之の歌を二つほど見てみよう。
 『春の野に若菜摘まむと来しものを 散りかふ花に道は惑いぬ』
 春の穏やかな一日、野に出て若菜を摘む歓びを満喫しようとして来てみると、若菜のことも忘れてしまうほどに、桜の花が散り交い、これでは道に迷ってしまいそうではないかと迷惑そうに喜んでいるさまである。この歌だけを詠むと、「桜の落花を浴びてはしゃいでいる姿が髣髴と浮かんでくる明るいいい歌ではないか」と感心してしまうのだが、実はこれは歌合の時のものなのである。詞書に
 『寛平の御時の后の宮の歌合の歌』
とある。想像上の名歌(?)なのである。次の歌は、歌合の時のものではない。
 『あづさ弓 春の山辺を越え来れば 道もさりあへず花の散りける』
 貫之が実際に志賀の山越えをしている時に詠った歌であると詞書にある。「さりあへず」とは避けることができないということで、それほどに花が道いっぱいに散っているという景である。落花散り敷く山路で、山越えの旅の苦もさぞかし癒されたことだろうと思わせるのだが、その詞書の後半を見て驚く。  
 『女の多く逢へりけるに、詠みてつかはしける』
とあるのだ。なんと、この花は桜ではなかった。大勢の女たちと山路ですれ違った時の女たちの形容だったのである。花のように美しい大勢の女性に会ったのでは「さりあへぬ」はずである。こうなると、「志賀の山越え」自体、眉唾ということにもなりかねない。現代人なら「そんな馬鹿な!」とあきれてしまうようなことを、彼らは平気でやっていたのである。
 もう一つだけ見てみよう。同じく古今集の藤原興風の歌である。
 『白波に秋の木の葉の浮かべるを 海人の流せる舟かとぞ見る』
 もうとやかく言うのは控えよう。もちろん歌合の時の歌である。
 我々現代人は叙景歌と言えば、実際に自分の目で見た景色を、目に映ったままに詠ったものと信じ込んでいる。頭の中でひねり出したものだなどと知ると、歌の価値が下がってしまうように思うのだが、彼らはそうではなかった。
 「屏風絵」を題材にして詠った屏風歌などはその典型である。屏風に描かれた風景画を見て苦吟しているのだから、なにか滑稽な感じさえする。
 歌枕も、そこに行って詠う必要などさらさらなかった。どのような所であるかは当時の人たちの共通認識として頭の中にあったから、「佐野(紀伊)」と言えばそこがどのような風景であるかは、誰も知っていたのだ。そもそも高級貴族や女流歌人たちが、末の松山(陸奥)や姨捨山(信濃)や筑波嶺(常陸)などに行ったりできるわけがない。

 平安時代や鎌倉時代の歌人にとっては、自然そのものを讃歌することは、歌作りの真の目的ではなかった。つまり対象の自然に真剣に向き合って、その自然の持つ優れた価値を追求するなどということは、彼らの意図するところではなかったということだ。彼らにとっては、自然を借りて自分の心をいかに詠うかこそ一大事であった。その意味では自然そのものは「材料」に過ぎず、まさに「歌材」なのである。だから、歌材は、現代の歳時記の季語のように多い必要はないし、むしろ人々が共通に持っている認識に頼ることの方が、自分の歌が理解されやすいのである。そうでないと歌材についていちいち説明しなければならなくなる。
 正岡子規が激賞した源実朝などは、歌枕や一定の歌材を、無数カードに書いておいて、それを適宜つなぎ合わせたのではなかろうかと思われる節さえある。
 はかなさや無常を詠いたかったら、飛鳥川を上げればいい。雪を詠みたければ越の白山か吉野山。海と言えば須磨・明石か田子の浦。春と夏の到来は鶯と時鳥、秋になって咲いている花は菊か女郎花か藤袴かである。
 宇治川などは、「憂し」という認識とともに、水量豊かな激しい流れのイメージと「網代木」と「橋姫」と「さむしろ」が人々の共通認識としてあって、宇治川を詠った古歌に、新しくできた歌をオーバーラップさせることで、歌の世界に広がりと深さを持たせることができたのである。

 源氏物語の自然描写も同じことである。以前、「疑似自然、貧困な植物」(たより126)という文章を書いたことがある。この世に動物や植物は数限りなくあるというのに、源氏物語にはごく限られた動・植物しか出てこないのである。例えば鳥でいえば私の好きなメジロやモズやひばりは一度として出てこないし、植物ではホタルブクロや鬼灯(ほおずき)やスミレなどは全く登場しない。でもそれでいいのだ。
 源氏物語における自然描写はきわめて多いのだが、そのいずれもが嘱目の景ではない。すべて頭の中で想像した自然である。
例えば源氏物語の『葵』の巻を見てみよう。葵上が亡くなり、光源氏が四十九日の喪に服しているところに頭中将がやってきて、二人で慰め合うという場面がある。二人は当初、過去の女性関係の「みだりがはしき」話に興じていたが、果ては「あはれなる世」の話に行き付き、ともに涙するのである。その日は時雨のうち降るものあはれなる夕暮れであった。
 『風あららかに吹き、時雨さとしたるほど、涙も争ふ心地して、「(葵上は)雨となり、雲とやなりにけむ、今は知らず」と(源氏は)うち独りごつ』
のである。頭中将が、源氏の独り言を聞いて
 『雨となりしぐるる空の浮雲を いづれの方と分きて眺めむ』
 「こうして雨となって、時雨として降ってくる空、その空の浮雲を、どれがあの葵上の、煙となって昇っていった雲と区別して眺めたらよいのだろうか(林望 『謹訳源氏物語』より 祥伝社)」と嘆きの歌で応えるのである。
 さて、この場合、本当に時雨が降っているのかどうかなどは問題ではない。二人の心の中には冷たく淋しい時雨が降り注いでいることを言いたいのである。葵上を亡くしたやりようもない悲しみのあららかな風が、二人の胸を吹き抜けているのである。時雨は彼ら二人の心象風景で、それは涙の比喩であり、晴れない心の象徴なのである。源氏物語ほど登場人物の心情を描くために自然を借りた物語は例がない。しかもその借り物の自然が物語に見事なほどの厚みを生んでいるのである。

 古今集や新古今集などの叙景歌が、実際の景ではないからと言って不満を漏らすのは当たらない。正岡子規が写生歌を推奨してからというもの、我々現代人はどうも事実でないものや作りごとに価値を見出さなくなっているのだが、古の人たちは自然を借りて如何に自分の心を詠うかに心血を注いだのである。
 そんな目でもう一度現代短歌を見直してみる必要があるかもしれない。正岡子規の弟子・伊藤左千夫とその又弟子・島木赤彦の歌を二首ずつ上げておこう。
 『咲きなづむ冬のぼたんの玉つぼみ 色見えてより六日へにけり』
 『亀井戸の藤も終わりと雨の日をからかささしてひとり見に来し』

 『夜おそくわが手を洗ふ縁のうえに匂ひきたるは胡桃の花か』
 『雪はれし夜(よ)の町の上(へ)を流るるは山よりくだる霧にしあるらし』


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