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源氏物語

源氏物語たより439

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    桐壷更衣の人となり  源氏物語たより439

 桐壷帝が、弘徽殿の女御をはじめとする多くの女御・更衣の嫉視や恨み、あるいは人々のそしりや上達部・殿上人の蔑視をも顧慮することなく寵愛した桐壷更衣とは一体どんな女性だったのだろうか。彼女が物語に登場するのはほんのわずかの間で、あっという間に亡くなってしまう。したがってどのような人となりであるのかは、推測の域を出ないのだが、あえて物語の端々からそれを探っていってみようと思う。
 
 まず容貌はどうだったのだろうか。
 楊貴妃を例に出すほどに帝が寵愛したのだから悪かろうはずはない。彼女が亡くなってから、物事を客観的に考えられる常識的な人々は、
 『さま・かたちなどのめでたかりしこと』
を思い出している。「めでたい」というのは、もともと「愛でる」からきた言葉で、素晴らしい、美しいということだ。しかしこれではまことに抽象的で、どのように美しいのかどのように素晴らしいのかはさっぱりわからない。そもそも源氏物語に出てくる女性の誰もが、どこがどう美しいのかは具体的に書かれることなく、まことに曖昧模糊としている。現代なら鼻筋が通っているとか目に張りがあるとか顔の輪郭が卵型で整っているとか具体的に表現されるのだが、それが全くない。はっきりしているのは、悪い例としての末摘花くらいだ。
 後に「桐壷更衣に生き写しのよう」といわれる藤壺宮が登場するが、藤壺宮は光源氏が終生理想の女性として思慕するほどなのだから、相当の美形であったはずだ。源氏は宮のことを「一つぐらい欠点があった方がいいのに」と嘆いているほどなのだ。これは容貌だけを言ったわけではないが、いずれにしても顔・かたちも含め、完璧な美しさを持った女性だということであろう。その宮に、更衣は瓜二つであるというのである。
 ただ物語の処々から感じられるところから推測すれば、宮は理知的な美の持ち主、更衣はそれよりも柔らかさのにじんでいる美しさであった気がする。宮がすらっとした容姿とすれば、更衣は丸みを帯びたふくよかさということである。失礼ながら、前者が雅子さま、後者が美智子さまというところではあるまいか。
 これは勝手な想像ではない。女御・更衣たちのいじめにすぐ病づいてしまう弱さや先の常識的な考えのできる人々の更衣評から推測した結論である。

 さて、諸芸についてはどうだろうか。
 更衣が亡くなった後、帝は、彼女の生前の様を忍びながらしみじみとこう述懐している。
 『御遊びなどせさせ給ひしに、心ことなるものの音をかき鳴らし、はかなく聞こえ出づる言の葉も人よりは殊(こと)なりし』
 「遊び」とは管弦のことで、この場合は琴を指している。彼女の琴の技量は格別のものであったと言うのである。帝は、源氏を立派な琴の奏者に育てたことでも分かるように、管弦についてはきわめて造詣の深い人であった。その人に「心ことなる」と言わせているので、相当の腕前だったのだろう。
 一方、「言の葉」とは和歌のことである。ちょっと和歌を詠む時にも、更衣は、他人にはとても真似のできない趣深い言葉を操ったという。確かに彼女の絶唱歌となった
 『限りとて別るる道の悲しきに いかまほしきは命なりけり』
 (今を限りとお別れしなければならない死出の道の悲しさ、何とかして生きとうございます   円地文子『源氏物語』新潮社)
は、源氏物語中、白眉の歌といっていい。意識も混濁している状態の中で、絞り出すように歌いだした歌がこの傑作なのである。「はかなく」歌いだした歌ですら、「人よりは殊なりし」と帝が感嘆するほど優れていたというのだ。
 琴と歌に優れているとなれば、当時の女性としては最高の能力の持ち主ということになる。「書」も平安女性必須の教養であったが、これについては今更言うまでもないということで、例の「省筆」したのだろう。これでは帝が、公務を忘れ人のそしりをもはばからず更衣を愛しに愛したはずである。

 それでは人柄はどうであったか。心ある人たちは
 『心ばせのなだらかに、めやすく憎みがたかりしこと』
といっている。「気立ては温和で感じがよく、憎むにも憎めなかった」ということである。また帝に仕えていた女房どもも
 『人柄のあはれに、情けありし御心』
と言っている。更衣のしみじみと人の心を動かす情愛あふれる優しさを、彼女たちは素直に評価しているのだ。いかにも女性らしい柔和な感じが偲ばれる。

 帝は、そんな亡き更衣の面影が、ひたっと自分の身に添うて離れないのをいかんともしがたい。しかしいかんせん
 『闇の現には、なほ劣りけり』
と嘆くしかないのである。「闇の現」とは、古今集の次の歌から引いたものである。
 『ぬば玉の闇の現は 定かなる夢にいくらも勝らざりけり』
 (昨夜の逢瀬は、なんともはかないもので、夢の中でありありと見たそれに、さほど勝るものではなかった)
 更衣亡き後、帝の身に彼女の面影がひったと添うて離れず、夜は夜で彼女の夢ばかり見ていたのだろう。しかしそれは夢であり幻に過ぎない。古今集の歌は、
 「はっきり見た夢の方が、現ではかなく会うよりもまだよかった」
と言っているのだが、帝はそうは思わない。たとえ真っ暗闇の中での逢瀬であっても、その現の逢瀬の方がはるかにいいと言うのだ。当然のことであろう。古今集の作者の意図は、「こんなはかない逢瀬ではなく、もっと長時間の逢瀬であれば・・」というのだろうが、たとえはかない逢瀬でも現実に会う方がいいに決まっている。真っ暗闇の共寝でも、彼女のだれにも勝る優しい言葉が聞けるのだし、柔らかな息吹を感じとることができるのだ。それに何より温かい肌えにじかに触れていられるのだ。いくらはっきりと彼女の夢を見、官能的な逢瀬をしたとしても、夢は夢に過ぎない。
 しかし、現にはもう二度と彼女の姿に触れることはできないのだ。いくら彼女の面影が自分の身にひったと添うて離れずとも夜ごとに夢を見ようとも、それは
 「真の闇の中での現し身の手ざわりにも及ばない、はかない幻なのであった」(円地文子訳)

 あっという間に物語から姿を消してしまった更衣ではあるが、ここまで帝を魅了する女性である、まことに存在感のあった人物と言うしかない。


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