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源氏物語

源氏物語たより445

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    男と女の物語   源氏物語たより445

 『葵』の巻の語り出しの部分を読むたびに、源氏物語がまぎれもない「男と女の物語」であるということを認識させられる。わずか三ページの間(岩波書店 日本古典文学大系)に、絢爛豪華に次々と女性たちが登場してくるのは、まことに象徴的で、あたかも顔見世興行の如しである。

 桐壷帝の譲位によって光源氏は何か拠り所をなくしたように、日々もの憂い状態でつれづれを紛らわしている。自分の身分が近衛の大将ということもあり、とかく身の自由がきかないからだ。大将ともなれば、正式な隋身だけで六人も付くし、供人ともなれば二十人も三十人も付き従う。これでは軽々しい忍びありきなどとてもできるものではない。そのために
  『ここもかしこも』
女性たちは源氏の訪れがないことを嘆き悲しむという結果になってしまう。

 しかし、彼の真のもの憂さは、自分が心を尽くして恋い慕っている藤壺宮のつれなさがますます勝っていくことにある。それもそのはずで、宮は今では「中宮」の身である。その上、帝が院になられてからというもの、院と仲睦まじく仙洞御所にただ人の妻のように寄り添って安穏に暮らしているのだ。「女御」であった時には、まだ近づくチャンスが無きにしも非ずであったが、これではまさに雲の上人で、宮との関係は完全に閉ざされてしまったと言っていい。彼の憂愁はいや増すばかりであった。
 そうそう、もう一人、高貴な女性がいた。六条御息所である。こちらはこちらで、源氏のつれない仕打ちに「釣りする海人の浮き」のようにふわふわと思い悩んでいた。世間の噂にもなるほど、二人の仲は親密だったというのに、今では源氏の熱はすっかり冷め切ってしまった。
 たまたま娘が伊勢の斎宮となったのを機に、それに付いて行って、源氏との関係をここですっかり清算してしまおうかというほどの絶望的な気持ちに陥っていたのである。元東宮の妃が、伊勢に行くなどということは考えられないことで、それは配流にも等しい都落ちなのである。それほどに彼女の煩悶は深かった。

 こんな御息所の話を聞くにつれ、朝顔の君(式部卿の宮の娘)は、源氏の熱心な求愛にもかかわらず、それを拒み続けようという意思を固くするばかりである。彼の求愛を受け入れたとしても、所詮六条御息所と同じような煩悶を経験させられることは目に見えているからだ。
 正妻の葵上(左大臣の娘)は、源氏のこのような浮気沙汰に,不快な感情を拭いきれないのだが、なにしろ彼の女遊びがあまりにも大っぴらなのに呆れ果てて、今更何を言ってもどう状況が変わるものではないと諦め気味で
 『ふかうも怨(えん)じ聞こえ給はず』
なのである。

 さて、ここに何人の、どのような女性が登場したであろうか。「ここもかしこも」の女性を除けば四人。いずれも最高の身分の女性たちばかりである。それらの女性があたかも走馬灯のように次々語られていく。

 ここで気が付くことは、いずれの女性とも源氏は良好な関係を保ってはいないということである。それどころか、すべての女性が、源氏との恋(愛)に悩み、嘆き、呆れ、不審を抱き、時には絶望に陥っているのだ。そこには一片の恋の歓びもないし明るさもなく、愛の幸せや楽しみも微塵も感じる取ることはできない。
 そう、源氏物語は、単なる恋愛小説ではないということである。源氏の華麗で雅な女性遍歴でもないし、まして官能小説などでは全くないのである。むしろ恋することの苦しさ辛さ、愛することの哀しさ寂しさが、常に主旋律となって響き続けていく物語なのである。
 それは、恋や愛の感情は変化してやまないものであるという紫式部の信念が作り出した響きなのである。そしてそこにこそ「あはれ」があるのだという強いこだわりが彼女にはあるのだ。この世に永遠の愛など存在しない、いくら変わらぬ愛を誓ったとしても、いずれ愛は冷めていく。
 「あなたはこの女性を永遠に愛していきますか」
と強制的に神父に誓わされ、
 「はい!」
と力強く誓ったとしても、それは幻想にすぎない。あの「はい」が何年続くというのだろうか、少々長いかどうかの違いだけで、誰も保証できるものではない。
 『忘らるる身をば思はず 誓ひてし人の命の惜しくもあるかな』
と詠んだ百人一首の右近の歌が、まさにその真相を語っている。
「忘れられてしまった私のことなどどうでもいいのよ、でも、あの時、神に誓ったあなたの命が心配なの、なぜって誓いを破ったということで神に命を召されはしまいかと・・」怖い歌だけれども、でもこれが愛というものなのである。百人一首の恋の歌をもう一度見ていただければこの事実がよくわかる。一つとして恋の歓びや愛の幸せを詠った歌はないのだから。

 この後、六条御息所は、源氏との恋の絶望から物の怪になっていく。葵上は源氏との愛を確かめる暇もなく死んでいく。藤壺宮は源氏の執拗な求愛から逃れるために出家し、朝顔は相変わらず源氏を拒否し続ける。
 『葵』の巻の語り出しは、女性たちの悲しみと絶望のためへの顔見世興行だったのである。肝心な女性・紫上はまだ幼すぎてここには登場しないのだが、シンデレラのように幸運なと思われる女性だが、彼女ほど哀しい生を送った女性もいない。


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