源氏物語

源氏物語たより448

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    『蓬生』の巻が面白い   源氏物語たより448

 源氏物語の巻々は、どの巻が優れているとか、どの巻が面白いなどということは容易に決められるものではないのだが、個人的な好みから、自ずと面白い巻、面白くない巻などという区別がついてきてしまう。『末摘花』の巻などは、源氏の執拗なまでの、またえげつないほどの末摘花いじめに、「もういい加減にしてあげたら」と煩わしさと嫌気がさしてきて、あまり好きにはなれない巻である。
 ところが、その末摘花の後日譚ともいえる『蓬生』になると、俄然面白くなるのだから不思議である。ここには源氏の末摘花いじめは全く見られない。源氏にすっかり忘れられてしまった末摘花の窮状が「あはれ」を誘う。また彼女が最も信頼していた侍従との別れの場面などでは思わずほろりとさせられる。

 『蓬生』の巻のキーワードは「うるはし」と「変はらぬ」である。この二つの言葉がここで何度使われていることであろうか。とにかく異常なほどの頻度で出てきて、まさにキーワードそのものである。
 「うるはし」のもともとの意味は「きりっと整っていて美しい」という褒め言葉である。ヤマトタケルが、伊吹山の妖怪に敗れ、気息奄々(えんえん)関(三重県)の「のぼの」という所にたどり着き、そこでついに息絶えてしまうのだが、瀕死の状態で故郷大和を思って詠った絶唱歌に、「大和しうるはし」という言葉が出てくる。大和の国がいかに整然とした緑豊かな美しい国であるかを讃えたものである。
 ところが、この「うるはし」は、あまりに端然と整いすぎていると、余裕がなくなり親しみがわかず、取り付きにくいというマイナスイメージも兼ね持つ言葉なのである。源氏は、妻・葵上があまりに「うるはし」過ぎることに飽き足らず、彼女のところに寄りつかなかったという例もある。もちろん末摘花は、後者のタイプであるが、葵上とは違った「いつも変わらず端然と」として「うるはしい」女性なのである。

 源氏が須磨に退去してからというもの、後見を失った末摘花は、極度の困窮を余儀なくさせられる。そのため庭の樹木は繁るに任され、蓬や浅茅は生え放題で、踏み入る道もなくなってしまった。野分で渡りの廊は飛ばされ、邸周りの塀は崩れて見る影もない惨状である。部屋の中には彼女の父・常陸宮が残した価値ある調度が塵の積もったまま,いつも変わらず同じ場所に端然と置かれている。にもかかわらず、誰も塵を拭こうともしないし、樹木を伐採するでも蓬を払うでもなく、いつもそのままである。なぜなら末摘花が現状を変えることをひどく拒むからである。
 こうして食べるものも着るものもなくなってしまった。女房たちは生活の糧を得るために、「庭木を売ってしまえ!」と言い、「調度も売り払ってしまえば・・」と促すのだが、「親が残したものをどうして売り払うことなどできようか」と、決然として「うるはし」い姿勢を貫き通し、貧窮の生活に甘んじるのである。
 女房や家人たちは、そんな極度の貧窮と状況を変えようとしない主人を見限って、縁を頼ってほろほろと去っていく。そして、ついに末摘花が最も頼りにしていた乳母子の侍従さえ、夫に従って遥か筑紫にまで下って行ってしまう。乳母や乳母子というものは、主に対して絶対忠誠を尽くさなければならないのに、侍従は、それができないまま、後ろ髪引かれる思いで泣く泣く去っていく。筑紫下りについては、侍従なりの深い思惑がおそらくあったはずなのだが、そのことは物語には書かれていない。がそれ故になお一層悲しく、この時の主従の別れは、涙なくして読めない。

 源氏は、須磨・明石の流謫から二年半ぶりに京に帰ってきた。その当座は、紫上愛しさに、特別な女性以外は訪れようともしない。
 それでもある時、花散里を訪ねてみようと思い立って、彼女の邸へと大路に車を進めていた。すると、藤の花の香りが車の中に匂って来るではないか。彼が物見窓から顔を差し出して見ると、何か覚えのある松が目に入った。末摘花の邸であることを思いだして、惟光を呼び案内させる。蓬を分けて邸に入って行った惟光は、出てきた老人(おいびと)にこう声をかける。
 『(末摘花が)変わらぬ御有様ならば、(源氏様が)たづね聞こえさせ給ふべき御心ざしも絶えずなんおはしますめる』
 源氏も超口達者であるが、惟光もそれに劣らず心にもないことを言う。
 「源氏様は、あなた様のことをずっとお尋ねしようお尋ねしようというお気持ちでいらっしゃったようなのですが」
 とんでもない空言である。「たまたま」藤の香りに引かれただけで、本命は花散里だったのだ。末摘花のことなどは片鱗の記憶さえ無くしていたというのに。
 でもそれはここでは問わないことにしよう。問題なのは、惟光の問いかけに対する、老人の応えである。こうある。
 『変わらせ給ふ御有様ならば、かかる浅茅が原を移ろひ給はでは侍りなむや』
 「変わることの出来るようなお人柄だったら、こんな草ぼうぼうの邸から、他に移らないはずはないでしょ」ということである。強烈な主(あるじ)批判である。主には全く状況を変えようとする意思も能力もなく、そのために女房たちが貧窮のどん底に陥っているのだ。主の「変はらぬ」能力にあきれ、貧窮に辟易し、それさえ諦めの境地でいる様が、この言葉に見事に、また如実に出ている。紫式部の皮肉屋精神がぬっと顔を出した瞬間と言えよう。

 この後、源氏と末摘花のやり取りが三年半ぶりに交わされる。そのやり取りの中で、末摘花に対する源氏の評価が、180度も変わってしまったのである。この現象は「末摘花」の巻を読んできた者には考えられないことである。
 源氏の歌の詠み掛けに対して、彼女はまずまずの歌を返してくるではないか、またそっと身じろぐ気配や袖の香りが何か以前とは違うではないか。それを源氏はこう評価する。
 『昔よりはねびまさり給へるにや』
 「ねびまさる」とは、大人になるということ、人間的に成長したということである。そればかりではない、彼の評価はさらに飛躍する。彼女の遠慮がちな気配を見て
 『さすがにあてやかなるも、心にくくおぼされ』
るのである。あの末摘花が「気品がある」というのだ。それがまた源氏には「奥ゆかしく」見えるというのだ。いったいこれはどうなってしまったのだろうか。そのわけを探ってみよう。

 源氏は、須磨に退去するにあたって、さまざまな人々の現金な姿を見せつけられた。斜陽の源氏を見限って多くの者が源氏から去って行った。彼らは、右大臣の天下に媚びへつらって、「右大臣へ、右大臣へ」となびいて行った。もちろん中には右大臣の権勢を恐れて、心ならずも源氏から離れた者もいるかもしれない。しかしそれも源氏の目には恩知らずの情なしとしか映らなかった。彼は、世の中の変わりやすさ、人の心の移ろいやすさを、この二年半にわたる流謫で嫌というほど味わい尽くしたのである。そのことを彼は末摘花に向かってこう言っている。
 『みやこには変はりにけることの多かりけるも、さまざまあはれになむ』
 この「変はりにけること」とは、多くは人々のあさましいほどの心変わりを指しているはずである。
 
 そんな世の中の変転の中で、うるはしく、塵ほども変わることなく自分をじっと待っていてくれた人がいた。末摘花である。末摘花自身は、老人(おいびと)の言うとおり、変わる能力を持たないだけの話なのだが、源氏にとっては、世の人に比べてその変わらなさにジーンと胸を打たれたのだ。そのことを彼は内心こう思うのである。
 『(末摘花が)同じさまにて年古りにけるも、あはれなり』

 ここで極めて面白いのは、「あはれ」という言葉を、相反する二つの面で捉えているということである。通常「あはれ」の情は、もの・ことが変化する時に起きる感情である。ところが、源氏は、「変はらない」末摘花に痛く心を揺すられているのである。それは、あまりにも変わらない「特殊さ」「珍しさ」に対する感嘆の情である。

 さて、この後、「源氏さまが末摘花を探し出し、大切に世話するようになったようだ」と言う噂が流れた。するとそれを伝え聞いた、かつて彼女を侮り見限って散って行った者どもが我先にと集まって来た。それだけではない、源氏の恩顧をいただけるチャンスがあるかもしれないと、さもしい根性の人たちもぞろりと末摘花のところに集まってきたのである。そして彼らは彼女に
 『追従しつかうまつる』
のである。末摘花に仕えていれば源氏に取り立てられる機会があるかもしれないという「敵は本能寺」的思惑で盛んに末摘花にお追従をするのである。
 ここに、あさましくも、現金で厚顔で、あざとい人の性が、丸見えになっている。源氏はそんな人々の姿を冷ややかな気持ちで見ていたのだろう。

 『蓬生』の巻が面白いのは、源氏物語の中心主題である「あはれ」を全く違った視点から見ていることにあるようである。
 私は、『夕顔』の巻と『御法』の巻に次いで、この巻が好きだ。『夕顔』の巻は、わずか一か月間関係を結んだだけで死んでいった薄倖の女性・夕顔の物語である。『御法』の巻は、三十余年、源氏と生活を共にし、その間源氏からひたすら愛し続けた紫上の死を扱った物語である。いずれも人の死という、もの・ことが変わる現象の中では、最も変化の顕著なものである。それゆえに「あはれ」はひときわ深くなるのだが、『蓬生』の場合は、そのような変化とはおよそかけ離れた物語である。
 つまり、この巻は全く「変わらない」ということに対する「あはれ」を扱っているという意味で極めて特異なのである。その特殊性、意外性が我々に飛び切りの面白さを感じさせるのかもしれない。
 それにしても「変はらない」末摘花に、かの光源氏が「変へさせられた」とは皮肉なことである。


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