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源氏物語

源氏物語たより450

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   円地文子の訳文の不思議   源氏物語たより450

 源氏物語を読むにあたって、私は解説書として次の三冊を使っている。
   岩波書店 『日本古典文学大系』(山岸徳平校注)
   角川書店 『源氏物語評釈』  (玉上琢弥著)
   小学館  『日本の古典』   (秋山虔他校注)
 また訳書としては、主に次の四種のものを参考にしている。
  中公文庫  『源氏物語』  谷崎純一郎訳
  講談社文庫 『源氏物語』  瀬戸内寂聴訳
  祥伝社   『謹訳源氏物語』林 望訳
  新潮社   『源氏物語』  円地文子訳
 いわゆる『与謝野源氏』も時に開くことがあるが、この訳書の一番の欠点は、歌の訳がないことである。歌は、源氏物語を味わう重要な要素であるから、それが分からないままで源氏物語を読み味わうというのは無理である。
 今回は、三つの解説書は置くとして、四人の訳書を見てみることにする。それぞれを読み比べると、微妙に違っていたり大きく違っていたりして、それぞれの特色が分かって面白い。谷崎源氏と瀬戸内源氏は似ているような気がする。ある学者が「谷崎は時々誤魔化すからね」と言っていたが、私はそうは思わない。むしろ原文に忠実な訳で、その意味では瀬戸内源氏と似ている気がする。ということで、瀬戸内源氏一本に絞って使うようになった。
 そのうち林望の訳書が出た。この訳書は、原文の分かりにくいところを極めて分かりやすく補足してくれていて使いやすい。その上面白いのでもっぱらこれに頼るようになり、瀬戸内源氏からも離れた。しかし使っているうちに、補足がやや丁寧すぎて、それがかえって煩わしく感じてきた。
 そんな時に、ある著名人が「円地文子の訳が非常に優れている。私はこういう訳書を待ち望んでいたのだ」というように、べた褒めしている文章に出会った。もちろん遥か昔の文章である(円地源氏は昭和47発行)。そこですぐさま古書店から取り寄せて読んでみると、なるほどあの著名人が言っていた通り見事な訳書であった。
 以来、谷崎も瀬戸内も林も放ってしまって、もっぱら円地源氏と、先の三種の解説書に依って読んでいる。

 円地源氏の何がそれほどに良いのか。それは『たより383』でも述べたように、まず歌の解釈が画期的であるということである。とにかく歌の訳が、「簡にして要を得ている」のだ。原文の歌を読み取れば読み取るほど、円地の訳そのものが、まさに源氏物語の歌そのものであると思われてくる。彼女が、歌の意味をいかに自家薬籠中の物にしているか、そしてその上で現代文にいかに簡潔に訳しているか、その苦労のほどがよく理解できる。
 
 で、この精神は歌以外の文章にも発揮されていて、文章が簡潔で無駄がないのだ。しかも実にスムースに流れている。源氏物語そのものが極めて煩雑で、つながりは必ずしも明晰とは言えないところが多い。円地訳はそれを見事に克服して、源氏物語の持っている緊張感を程よく保ちながら、流れるように物語を味あわせてくれる。瀬戸内源氏などは原文に忠実過ぎて、必ずしも文章が円滑に流れているとはいえない。まして林望の訳は、補足が丁寧すぎて源氏物語の持つ緊張感を阻害してしまっている。特に歌の訳などは、掛詞や縁語を重視しすぎて煩わしくなっている。
 このような理由で、もしこれから訳書を読もうと思っていられる方には、円地源氏をお勧めする。

 ところが、簡にしてしかも要を得ていた訳文が、ある所で豹変しているのである。なんと原文にはないことを、十行にもわたって延々と付け加えているのだ。これは一体どうなってしまったのか、一瞬目を疑ってしまった。
 それは『薄雲』の巻の次のような場面でのことである。 

 死を前にした藤壺宮を、光源氏は見舞う。病床に近い御簾のところに案内されたので、宮が弱々しげに女房につぶやいている声がほのかに聞こえてくる。つぶやきの主旨は
 「源氏さまは、桐壷院の遺言どおり、冷泉帝の後見を立派に果たしてくださった。それについて私は格別な感謝の気持ちを持っています。それをいつかはお伝えできると思っていたのですが、このように死を前にする身になってしまいました。それを思うと胸が締め付けられるようで、残念でなりません」
というものである。これに対して源氏が万感の思いを申し述べている最中に
 『ともし火などの消え入るやうにて、果て給ひぬ』
と、ついに亡くなってしまうのである。今更、源氏は何を語っても詮無いことである。

 円地の問題の文章は、この直前にある。
 死を前にした藤壺宮が、源氏の来し方の姿や自らの行為をこう描いているのである。長いけれども、美文調であり格調も高く、なかなかの名文であるので、できるだけ省略しないでそのまま掲載させてもらう。
 「あの若い日に、藤壺の御簾や几帳に紛れながら何ごころもなく自分にまつわって来た世にも麗しい皇子・・天つ空から仮に降り下って来た天童のように光り満ち、匂い満ちて清浄無垢に輝いていたあの少年は、いつか物思いのおびただしすぎる若人の姿に変って、ある時は枝に露を撓(たわ)められた桜の花群(むら)のような悩ましさに頸(うなじ)を重らせ、ある時は精悍な隼(はやぶさ)のようにまっしぐらにねらい撃つ勁(つよ)さ烈しさの悲しみに怯えて、羽ぶるいながら自分を捕え、揺すぶり、二つを一つにして見知らぬ境に連れ去って行った、二人はたしかに一つものに変って、幻の世界にいた、でも、私はただ一言も、あの人に言葉で許すとは言っていない。(以下省略)」
 驚くことに、こんな藤壺宮の述懐は、物語のどこを探しても塵ほどもないのである。にもかかわらず、源氏との関係秘めがたく、あたかも堰を切ったように積もる思いを迸(ほとばし)り出してしまった。このような訳が許されるのだろうか。円地源氏で初めて源氏物語に触れた人は、藤壺宮が、本当に胸に秘めた思いを、死を前にして、ついに吐露してしまった、と思いこんでしまう。
 作家として抑えに抑えていたこの場面への思い込みが、思わず堰を切ってしまったのだろう。でも、やはりこれは間違っている。言葉に出して言ったわけではないからいいようなものの、何しろ宮にしても源氏にしても、二人のことは絶対の秘密なのである。心に思ってもいけないのである。なぜなら思いは外にあふれ出てしまいからである。

 『須磨』の巻に、こんな描写がある。源氏が須磨に流れて行って、初めて藤壺宮に送った消息を見た時の宮の感慨である。
 「源氏さまに対して少しでも情のある態度をとれば、必ず噂が立つであろう。そのために自分はいつも源氏さまに対して無愛想なつれない態度をとってきた。
 そもそも世の中というものは、人の噂に飢えているもので、人の咎を虎視眈々と探し求めているものだ。ところが二人の仲は、一度として世の噂になったことはなかった。それも源氏さまが、私に対する激情を抑えに抑えて、巧妙に隠しおおせたからに他ならない。その用心深さ、思慮深さには感嘆せざるを得ない」
 この感慨で分かる通り、最後の最後まで、いや、あの世でも隠しおおせなければならない関係なのである。それを宮の激情ともいえほどの強さで描くことはやはり許されないことなのだ。

 二人の契りは細心の注意を払って巧妙に行われた。特に最初の逢瀬などは、物語上全く描かれていない。そのことにもどかしさを感じる読者も多いようだが、私はそれでいいと思っている。秘めるべきは秘めなければいけないからだ。二度目の逢瀬も肝心な場は描かれない。ただ、源氏の歌で激しい官能の営みがあったことを、読者は想像すればいいのである。 
 最近、長野の飯田市の源氏物語を読む会に入っている友人から絵葉書が来た。それは源氏と藤壺宮の二度目の逢瀬を描いた絵であった。彼の友人の滝秀水という人が描いたものであるという。
 実に生々しい。源氏が、緋の単衣を着た藤壺を後ろから抱きしめ、その緋の衣の上を宮の黒髪が何筋か流れている。源氏の顔は見えないが、その手は宮の左の胸を単衣の上から抑えている。胸をはだけた宮は、目を閉じ恍惚状態にある。
 確かに二度目の逢瀬はこのようであり、これが事実であろう。しかし、ここまで絵にしてしまうと「秘める」ことも源氏物語の優れた要素であるのだから、描き過ぎの批判は免れない。
 円地訳も同じことである。作家として、この場面で感じた激情をどうにも放っておけず、思わず筆がすべってしまったのだろうが、余計な描写であることに間違いはない。弘法も筆の誤りと言っておこう。


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