源氏物語

源氏物語たより465

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    さわやかに流れる『初音』の巻の冒頭 源氏物語たより465

 源氏物語の筋の展開には無理がなく、まことに滑らかな流れであることは今更言うまでもないことで、『夕顔』や『若紫』の巻で見てきたところである。
 それではまずこの二つの巻の冒頭を振り返ってみよう。
 
源氏が、六条御息所のところに忍びありきの途次、惟光の母であり源氏の乳母である大弐の乳母が重く患っていると言うのでこれを見舞う。 
 ところが急な源氏のお越しということで、車を入れるべき門に錠が挿っていて入れない。惟光の家では大わらわでカギを探しているようである。
 仕方なしに源氏は、五条の大路に車を止めて待つ。
 所在なさに彼は車の物見窓から外を見ると、目の前の屋敷の、白く涼しげな簾の中で、女房たちがそわそわと立ち騒いでいる影が透いて見える。
 源氏は「こんな大路なら私のことを見知っている者もいまい」と、窓から大胆に顔を差し出す。
 するとその屋敷に、青々とした蔓に、今まで見たこともない白い花が咲いている。
 興を感じた源氏は、その花の名をゆかしく思い、「をちかた人にもの申す」とその花の名を聞き、さらに随身に「一枝折って参れ」と命じる。
 と、その屋敷の中から可愛い女の子が出てきて、随身に大層香を焚きこめた扇を差し出し
 「この花はしゃんとしていないので、この扇に乗せてご主人に奉れ」
と随身に取らせた。
 大弐の乳母の見舞いを済まし、先ほどの扇を見ると
 『心当てにそれかとぞ見る 白露の光添へたる夕顔の花』
と歌がしたためてあった。とりとめもなく書き紛らしてあるが、その筆跡には品があり趣がある。
 源氏は早速惟光に、隣の家の女性の探索を命じる。惟光は「また源氏様の女癖が・・」と非難がましい顔するのだが、源氏は次のように反論する。
 『されど、この扇の訪ねまほしきゆゑありて見ゆるを』
 彼に「訪ねまほしきゆゑ」と感じさせたのは、手紙の筆跡と、「夕顔の花はしゃんとしないから、この扇に乗せて」と可愛いい女の子に託したその所作である。
  それにしてもこの導入部の流れのなんという滑らかさであることか。源氏と夕顔の邂逅には微塵の滞りもなく、寸分の狂いもなしに二人の交情がはじまり、その後、物語は一気に核心に突き進んでいく。

 それでは、 『若紫』の巻はどうだろうか。
 しつこいわらわ病に悩まされた源氏は、北山に、加持に験ある聖がいるという話を聞いて、惟光など親しい四、五人の供だけを連れて出かける。
 聖は、突然の源氏のお越しにびっくりするものの、しかるべき薬などを飲ませて加持をつかまつる。
 そのために少し気分がよくなったのだろう、聖の住む庵から出て、周囲を見渡すと、そこは高い位置にあるので、ここかしこの僧坊などがよく目に入る。
 と、小柴垣で囲った小ざっぱりとした家屋や廊が幾棟か続いている屋敷が彼の目に入ってきた。木立もなかなか趣がある。「誰の住処であろうか」と彼は関心を持つ。そこには可愛げな童たちが大勢いて、仏に花や水を供えているのもはっきりと見える。
 その後、お付きの供人と四方山話を交わし冗談を言いあい笑いあって時を過ごす。
 わらわ病の発作も出ないから、京に帰ってもいいのだが、聖の勧めもあって、その日は北山に泊まることにした。
 三月つもごりのこととて、日も長い。彼は惟光だけを連れて、
 『つれづれなれば、夕暮れのいたう霞たるに紛れて、かの小柴垣のもとに立ち出で給ふ』
のである。
 この後の経過は、もう述べることもあるまい。彼の生涯にわたって伴侶となる紫上を、この小柴垣のうちに垣間見、見い出すのである。
 源氏が紫上を垣間見るまでの経緯には、何の無理も矛盾も唐突さもない。そうなるべくしてそうなったということで、その邂逅にはいささか急展開な気味はあるものの、この滑らかな記述によって、何人も難癖のつけようがなくなっている。
 この場面は『伊勢物語』第一段をなぞったものだとよく言われるが、伊勢物語は何しろ短編であって、在原業平が奈良の女はらからに邂逅するまでの筋が荒く、順を追った丁寧さに欠ける。もちろん源氏物語ともども情趣豊かな物語であることには変わりはないのだが。

 さて、 『初音』の巻はどうだろうか。この巻の冒頭は美しい文章なのでそのまま上げてみよう。
 『年たちかへるあしたの空の気色、なごりなく曇らぬうららかげさには、数ならぬ垣根の内だに、雪間の草、若やかに色づき始め、いつしかと景色立つ霞に、木の芽もうちけぶり、おのづから人の心も、のびらかにぞ見えるかし』
 「年たちかへる」とは、年が改まったということで、ここは元日の朝の一帯の様子を描いたものである。新しい年が巡ってきた歓びが、目に入る自然の、生命力に溢れたはつらつとした様子で表現されている。
 この後、作者の視点は、玉を敷き並べたような六条院の景に移り、それはまた磨き上げた女性方の住居にと移動していく。特に紫上のお住まいを見る目は、それを「生ける仏の御国」と感じ取っていくのである。
 そして、その視点はついに颯爽と登場する源氏に絞られていく。
 視点をぐいぐい焦点化していく筆力は心憎いほどである。
 源氏は、女房たちが歯固めの祝いに鏡餅を前に戯れあっているのを見て、彼女たちと丁々発止の風雅に富んだやり取りをする。そして紫上との新年の歌を詠み交わす。
 次いで、明石姫君の部屋に行くと、童たちが楽しげに小松の根を引きあっている。これも長寿を願い新年を寿ぐ行事である。
 よく見ると、そこには明石君から贈られた、五葉の松に鶯が止まっている作り物が置かれているではないか。その作り物に明石君の歌が添えられている。
 『年月を松に引かれてふる人に今日鶯の初音聞かせよ』
 明石君は、姫が三歳の時に、引き別れて以来、五年もの間、一度も会っていない。
 「あなたにいつ会えることやらと(松)待ちこがれつつ、いつしか随分年月が経ってしまいました。せいぜいこの正月くらいはあなたの声を聞かせてほしいものです」
という意味である。「初音」とはその年の初めに耳にする鶯の声のことである。
 その歌の最後には
 「鶯の声も聞こえない里にいるのでは、生きている甲斐もありません」
とあった。五年間も娘に逢えない母の心情が切々と伝わってくる歌であり、添え書きである。これを見た源氏はさすがに
 『げにあはれとおぼし知る』
のである。
 
 一片の雲さえなく晴れ渡った空、萌え出る草木の芽、玉敷く五条院、賑わわしく歯固めの祝いを行う女房ども、小松引きに興じる童、二条院の元朝は一点の曇りもなく華やかで、まさに仏国土の様相である。
 ところが、一転、それは子を慕う母・明石君の寂しい心境に雪崩れ込んで行く。その歌と添え書きが、正月早々縁起でもなく源氏の涙を誘うのである。めでたい初春の陰にいる人物に源氏の心は注がれていく。このような明から暗に転換するところでは、多少の滞りがあってもよさそうなものだが、紫式部の筆は滞りと言うものを知らない。
 この夜、珍しく源氏は明石君のところに泊まる。元日の夜の源氏のお泊りは得難いことである。暗をふたたび明に転換しようとする源氏の心配りなのかもしれない。

 (参考〉
  『正月一日は、まいて空の景色もうらうらとめづrらしう、霞みこめたるに、世はありとある人は、みな姿、かたち、心ことにつくろひ、君をもわれをも祝ひなどしたる、さまことにをかし』                ~枕草子 第二段~



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