源氏物語

源氏物語たより28

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  月がとっても青いから  源氏物語とはず語り28

 月ほど、日本人の心を千々に揺り動かすものはなかったようで、詩歌はもとより物語、絵画、音楽に、詠われ、描かれ、奏でられてきた。


 先日、横浜で開催中の院展に行ったが、やはり月を題材にした絵が目を引いた。梢に止まっている真っ青な小鳥の後ろに、人の眉のような月が画面の真ん中に描かれていた絵、また砂漠で安らうラクダの背後には金色の大きな満月が浮かんでいた絵、などいずれも非常に印象的であった。
 日本人は、なぜかくも月に魅せられてきたのだろうか。
 それは、月の変化の相が、日本では極めて顕著であるからだと思われる。月は夜毎に変化してやまない。また、四季により、花や紅葉により、あるいは風や雲など時々の状況によって、刻々と変化する。水気の多い日本の気象が、独特な月を現出させるのだ。おそらくこれは世界でも稀有のことだろう。
 ところが、月と同じ夜の天体である星は、あまり詩歌や絵画に詠われ描かれることがない。星は、風や雲や花などによってあまり影響を受けないということだろう。
 変化するものに対する日本人の感覚は極めて微妙で鋭い。

 それでは、日本の詩歌や物語に、どのように月が取り上げられてきたのか、駆け足で見てみることにしよう。
 まず万葉集だが、この集では月がそれほど多く詠われているとはいえない。それは万葉人の、明るく素直な生き方に関係するのかもしれない。月はどちらかといえば、寂しく優しいイメージを持つ。万葉人の健康な精神は、月に自らの心を託する必要はなかった、ストレートに詠えばよかった、そういう時代なのかもしれない。ここでは二首だけ上げておこう。
 『わたつみの豊旗(とよはた)雲に入り日さし 今夜の月夜さやけかりけり   中大兄』
 『わが背子と二人しをれば 山高み 里には月は照らずともよし  高丘河内連』
 古今集には、もちろん月が多く詠まれているが、むしろ“露”を詠った歌が目立つ。露もまたはかなく変化するものである。菊の花の上に置いた露は、朝日を浴びて輝き、輝いていたかと思うと、いつか消えている。萩の葉に置く露は、風に揺られて誠に頼りなげである。露は死を暗示し、涙を誘引する。その一首。
 『露ながら折りてかざさむ菊の花 老いせぬ秋の久しからまし  紀友則』

 一方、新古今集の『秋歌 上』には、月が溢れかえっていて、月、月、月で、さまざまな形の月が詠われている。「有明の月、ゆみはりの月、かたぶく月、あさぢの月、雲間の月、村雲の月・・、」この時代になると、人々の感覚が一層繊細になり優美になったということなのだろう。二首。
 『風吹けば玉散る萩の下露に はかなくやどる野辺の月かな  法性寺入道』
 『さ夜千鳥声こそ近くなるみ潟 かたぶく月に潮や満つらん  三位季能』
 そして、古今集や千載集、新古今集などから選んだ小倉百人一首には、月がなんと13首も詠われている。
 枕草子第一段には、『夏は夜。月のころはさらなり』、徒然草第百三十六段には『月は隈なきをのみ見るものかは』の有名な一節がある。 
 芭蕉、蕪村、一茶にも月の名句は多い。蕪村の二句だけを上げておこう。
 『月天心 寂しき町を通りけり』
 『四五人に月落ちかかる 踊りかな』

 昭和の歌謡などを見ても、何かと言えば月である。特に昭和初期の股旅物などは、月がないと旅にも出られないというありさまである。『赤城の子守唄』、『大利根月夜』・・、その他の歌でも『湯の町エレジー』『祇園小唄』などなど、上げればきりがないほど月が登場する。もっとも、昭和も40年代以降になると、『星影のワルツ』だとか『真っ赤な太陽』だとか、星や日が登場するようになってきて、月が相対的に歌われなくなってきている。そしてさらに時代が進むと、自然そのものが詠われることが少なくなった。日本人の生き方がドライになって、変化するもの、微妙なるものに興味を示さなくなってきたのか、あるいは鈍感になってきたといっていいのかもしれない。自然は演歌にのみ残っている。
 しかしそれは、長い歴史から見れば、ごく最近のことにしか過ぎない。日本人は営々として月を詠い、描き続けてきた。日本人がいかに月を愛して来たか、それが月の呼称によく現われている。日本人の繊細な感覚を示す言葉だ。
 『十六夜月、立待ち月、居待ち月、臥待ち月、宵闇月』

 さて、いよいよ源氏物語の月を見てみることにしよう。
 源氏物語にも、新古今集に劣らず月が多く登場する。しかも、それが非常に効果的に使われているのだ。心情を月に託して表したものとして、四つの場面を上げてみよう。まず『桐壷』の巻

 『夕月夜のをかしきほどに、出だしたてさせ給ひて、やがてながめおわします・・人よりは特(こと)なりしけはひ・かたちの面影につとそいて思さるる』
 
最愛の桐壺更衣を亡くした帝は、更衣の里に靫負(ゆげい)命婦を弔問の使者として送り出す。更衣の死による悲しみが、夕月夜を見ることによって、新たに湧いてきたのだ。そして、他の女性とは違った更衣のけはいや面影をしんみりと思い浮かべ、命婦を送り出した後も、そのままいつまでも月を眺め、物思いにふけっているということである。月は、帝の心を千々に乱したのだ。
 命婦が、更衣の里で、更衣の祖母とさまざまな思いを語り合い、さて、内裏に帰って帝に里の様子を報告しなければと思うのだが、

 『月は入りがたの、空清う澄み渡れるに、風いと涼しく吹きて、草むらの虫の声々、もよほし顔なるも、いとたち離れにくき草のもとなり』

 内裏を出たのが夕月夜だった、今は、もう入り方の月になっている、帝は寝ずに私の帰りを待っているはずだ、しかし、月もその空の様子も、風も虫も、いかにも更衣のために、もっともっと泣いていきなさいと催促しているように見える。
 月や虫は、靫負命婦をいつまでも更衣の里から離れさせてはくれない。
 一方、帝がこれほど悲しんでいるというのに、弘徽殿の女御は、帝に寵愛されていた更衣の死が小気味いいとでも思っているのか、
 『月のおもしろきに、夜ふくるまで、遊びをぞし給ふなる』
 “遊び”とは管弦のことである。帝がこれほど悲しんでいるというのに、夜通し管弦の遊びをするとは。確かに更衣への帝寵はあまりに深すぎた。それに反発する女御や更衣もいたが、心ある者は、あまりの弘徽殿の女御の非情さに眉をひそめたという。
 この辺り、月が物語を進めていくようである。

 第二の場面は、『夕顔』の巻。
 光源氏は、おほどかで、たをやかで、らうたげなる(おっとりして、しなやかで、可愛い)女性の夕顔を探しだした。葵上や藤壺宮や六条御息所のように気高く気位が高くはなく、何とも心休まる女性である。しかし彼女の家は、五条の場末で、いやしくも天皇の子である源氏が通うには、あまりに不相応である。

 『八月十五夜、隈なき月影、ひま多かる板屋、残りなくもりきて、みならひ給はぬすまひのさまも珍しきに、あかつき近くなりにけるなるべし』

 十五夜の月が、みすぼらしい板葺きの屋根の隙から残りなく部屋まで漏れてくるという状態で、内裏や一町もある二条院に住まう源氏が、『見ならひ給はず珍しい』のも当然である。こんなところに夜毎通うわけにはいかない。そこで、夕顔を六条の廃院に連れ出そうとした。しかし、夕顔にとってはあまりに唐突のことで、いたく迷う。

 『いさよふ月に、ゆくりなくあくがれんこと、女は思いひやすらひ、とかくのたまふほどに、にはかに雲隠れて、明け行く空いとをかし』

 夕顔は、山の端に入ろうかどうしようか彷徨っているあの月と同じように、突然ここからふらふらと彷徨いでるのは怖くもあり、決断がつかない。源氏は、あれやこれやと夕顔を説得し連れ出そうとする。と、急に月は雲に隠れ、明け方の空が大層趣深くなった。源氏は、いわば強引に夕顔を軽やかに抱いて車に乗せ、連れ出してしまう。源氏は廃院で、またさまざま夕顔に語りかけるが、彼女はやはり不安である。

 『山の端の心も知らで行く月は うはの空にてかげや絶えなん』

 (あなたの本心が私にはよく分かりません、あなたは、私と付き合っていても、上の空なのではないでしょうか、おそらくいずれはどこかに姿を隠してしまわれることでしょう、なぜなら、あなたほど高貴な方が、いつまでも私を相手にしてくれるとは、とても思えませんもの)
 二人が付き合いだしてからのこの一カ月間、源氏は夕顔に顔も見せず、名前さえ知らせなかった。これでは己が不安を月に喩えて訴えるのも当然である。
 その夜、夕顔は、六条御息所の物怪に取りつかれて急死してしまう。源氏が、姿を消す前に、夕顔自らが、いざよう月のように空に彷徨う身になってしまったのだ。
 源氏は、東山の鳥辺野(火葬場)へと、夕顔の遺骸に逢いに行く。

 『十七日(たちまち)の月さし出でて、河原のほど、御さきの火も、ほのかなるに、鳥辺野の方見やりたるほどなど、ものむつかしきも、なにとも覚え給はず、かきみだる心地し給ひて、おはし尽きぬ』

 十七日の月は、やや欠けてくるし出も遅い、前駆の火もかすか、これから女の死骸に逢いに行く、火葬場のある鳥辺野も見えてきた、18歳の源氏には誠に気味悪いのだが、怖いとは全く自覚されず、ただひたすら夕顔の死に心を乱すだけだ。
 『夕顔』の段は、月が圧倒的な活躍をしていると言っていい。

 第三の場面は『花宴』
 源氏が、朧月夜に逢ったのも、月のあない(案内)であった。これは直接に月を見てのことではない。朧月夜が、夜の弘徽殿の廂を
 『朧月夜に似るものぞなき』
と歌を吟じながら歩いていたのだ。この日は花の宴のあった日である。おそらく花にかすむ月も美しい夜だったのだろう。宴の余韻もある、そぞろ歩くのも道理というもので、朧月夜は、新古今集の大江千里の歌を借りて歌った。
 『照りもせず曇りもはてぬ春の夜の朧月夜にしくものぞなき』
恋の成就に絶好の夜である。源氏はその声を聞くなり行動に出た。この巻は月で終始しているといっていい。
 月に結ばれた男女は、古今を通じてどれほどいたことだろう。

 四つ目の場面は、『須磨』
 朧月夜と関係したのが致命傷となり、源氏は、須磨に自ら流れていった。しかし、配流の身であることに間違いはない。

 『須磨にはいとど心づくしの秋風に、海は少し遠けれど、行平の中納言の「関吹き越ゆる」といひけむ浦波、夜々は、げにいと近う聞こえて、またなくあはれなるものは、かかる所の秋なりけり』

 須磨といえば秋、秋といえば月である。須磨は月の名所であるが、配流の身となれば、その月もまた格別である。

 『月のいとはなやかにさし出でたるに、今夜は十五夜なりけりと思し出でて、殿上の御遊び恋しう、ところどころ、ながめ給ふらんかしと思いやり給ふにつけても、月の顔のみまぼられ給ふ。「二千里外故人の心」と、誦(ずん)じ給へる』

 さすがに須磨の月、海面に映えて華やかに照り渡っている。そうか今日は十五夜だったのだ、内裏にいれば、にぎやかに琴を弾じ笛を奏でていることであろう、都のなんと恋しいことか。そう、都には私の身を案じて、物思いにふけっている人も多いはずだ、特に紫上のことが気にかかる、しかし、今はその顔を見ることなど思いも及ばない身、今できることと言えば、月をじっと見守るだけだ。中国の白楽天も詠っているではないか。
 『八月十五日の禁中 独(ひと)り直に月に対して元九を思う。「三五夜中新月色 二千里外故人心・・」』
 彼がこれから住もうとするところは、

 『月いとう差入りて、はかなき、旅のおまし所は、奥まで隈なし。床の上に、夜深き空も見ゆ。入り方の月影、すごう見ゆるに、「ただこれ西に行く」などひとりごち給ふ』

という状態で、内裏とはなんとかけ離れた頼りなくわびしいところか、月は部屋の中にまで差し入ってきて、こんなに夜も遅いというのに、空まで見えるではないか、今まさに沈もうとしている月は、気味悪いほどである、その月はひたすら西に行こうとしているが、私の心は、ひたすら二千里の遥か彼方の東・都にばかり向いている、しかし流謫は始まったばかり、何年したら都に帰れるのだろう、想像するだに、はるけきことである。

 満月あり、いざよう月あり、有明の月あり、むら雲の月あり、朧月あり、弓張りの月あり・・、月は刻々と変化してやまない。人もまた変化してやまない存在である。もっとも大きな変化は、“死”、そして“別れ”、また“恋する者の心変わり”・・。源氏はそれらすべてを味わい尽くした。まるで月の満ち欠けのように。

 さて、この文の最後はやはり吉田兼好の二つの段で締めておこう。

 『折節に移り変わるこそ、ものごとに哀れなれ』    第十九段

 『望月のくまなきを千里の外まで眺めたるよりも、暁近くなりて待ち出でたるが、いと心深う、青みたるやうにて、深き山の杉の梢に見えたる木の間の影、うちしぐれたる村雲がくれのほど、椎柴、白樫などの濡れたるやうなる葉の上にきらめきたるこそ、身に染みて、心あらん友もがなと、都恋しう覚ゆれ』  第百三十六段
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