源氏物語

源氏物語たより467

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   棹のしづくも   源氏物語たより467

 『玉鬘』から『真木柱』の巻までを「玉鬘十帖」と呼ぶことがある。頭中将と夕顔の娘である玉鬘が中心となって展開される巻々だからである。
 この十帖は、物語に変化が乏しく、「面白くない」という人が多いようだ。光源氏の玉鬘に対する恋情がくだくだしく繰り返されることが多く、「いい加減にしたら」という思いに駆られることがないでもない。確かに、『玉鬘』の巻と『真木柱』の巻以外には、『葵』や『賢木』や『須磨』の巻などのような変転著しい手に汗握るというという波乱の場面がない。
 それはこの十帖は、筋の面白さを狙っているのではなく、「月並(月ごと)」の話を華やかにちりばめるということに主眼を置いているからで、それが物語を平板に思わせてしまう原因になっているのだ。
 これらの巻は、『初音』は正月の、『胡蝶』は三月の、『蛍』は夏の、そして『野分』は八月の、などというふうに月々の風情と人事とのかかわりを丁寧に描写している。それがやや冗漫な感じを与えるのだろう。
 しかし、そこには王朝の雅が巧みに捉えられていることも確かで、『初音』では見事な文章の流れの中に王朝貴族の生きざまがありありと表現されているし(「たより465」)、『野分』では、激しい風雨にさらされながら、優美な平安女性の間をあくがれ歩く夕霧の姿が、読む者の心を揺する(「たより270」「271」)。
 したがって、これらの十帖は、筋を追うだけでなく、平安の雅の発見という側面で読んでいけば味わいは深まるはずだし、必ずしも「面白くない」わけではない。(ただし、『蛍』の巻と『行幸』の巻は、未だに面白味が分からないでいる)

 その中でも、
 『三月(やよひ)の二十日あまりの頃ほひ、春の御前の有様、つねより殊に尽くして匂ふ花の色・鳥の声、ほかの里には「まだ古りぬにや」と珍らしう見え聞こゆ・・』
で始まる『胡蝶』の巻が、王朝貴族のありようを見事に写し取っていて、「平安の雅とはこれか」と思わせるものが満載されている。
 紫上が住む館は「春の館」であるから、春ともなれば、ほかの女性方の住む館とは違って格段に華やかである。そのために花の色も鳥の声も、いつまでたっても春を謳歌し続けているように見えるのだ。
 この春景色は、ほかの館の女性方に見てもらわなければと、源氏は、雅楽寮(うたづかさ)の楽人を召して舟楽を催すことにした。新しく造った唐めいた竜頭鷁首(りゅうとうげきしゅ)を池に浮かべて、咲き誇る花やさえずる鳥の様子を鑑賞してもらおうと意気込む。源氏が特にこの庭の風情を見てもらいたいのが、「秋好中宮」である。しかし中宮の身では、そう軽らかに舟に乗って池を経(へ)巡る、というわけにはいかない。そこで若くてなんにでもすぐ感動する女房たちを選んで、舟に乗せることにした。舟は、中宮の秋の館から、山を巡り中島の崎を回って、紫上の館の釣り殿まで漕ぎまわって行く。
 
 この時、女房の一人が感動して詠ったのが次の歌である。
 『春の日のうららにさして行く舟は 棹のしづくも花ぞ散りける』
 この歌が、滝廉太郎作曲の「隅田川」にとられたことについては「たより172」で述べたところである。
 
 ところで、歌舞伎の「三人吉三」にも、この「棹のしづく」が出てくるのだ。三人吉三の一人・お嬢吉三が大川端で呟く例の名せりふ
 『月もおぼろに白魚の、篝も霞む春の空、冷てえ風もほろ酔いに・・棹のしづくか濡れ手で泡・・』
である。七五調の流暢な文句で、日本人なら誰でも一度は聞いたことがあるだろう。これもひょっとすると源氏物語『胡蝶』の巻の先の歌から取ったものかもしれない、と言ったら、贔屓(ひいき)の引き倒しになってしまうかもしれないが。
 しかし、このセリフの中の「篝」も、玉鬘十帖の『篝火』の巻名にゆかりがあるし、「月もおぼろに」も、源氏が、「朧月夜に似るものぞなき」とうち誦しながら細殿をやってくる朧月夜と邂逅する時のモチーフになっている。だから、「棹のしづく」が『胡蝶』の巻から取ったと勘ぐってもそれほど的外れでもなかろうと思ってしまうのだ。
 ただ残念なことには、お嬢吉三の「冷てえ風もほろ酔いに」とか「こいつあ春から縁起がいいわえ」とか、べらんめえ口調の巻き舌で啖呵を切られたのでは、王朝の雅とは程遠い世界であることも否定できない。
 それに、源氏物語は、能楽にはしばしば取り上げられ、「葵」「夕顔」「野宮」などの名作を生んでいて、これらの作品では、源氏物語の中の言葉がそのまま頻用されているのだが、歌舞伎には源氏物語は全く登場しない。現代歌舞伎に、船橋聖一が創作した「源氏物語」があるくらいである。これは光源氏と藤壺宮の恋を中心に扱ったものである。
 歌舞伎は「切った!張った!」や「盗人だ、心中だ」のやくざ者や人情もの、あるいは合戦ものが多く、それが江戸の庶民を熱狂させたのだろう。ところが、源氏物語は雅やあはれが主題になっている。したがって、「切った!張った!」の世界に慣れた江戸庶民にはあまり関心がなかったのかもしれない。
 こう考えてくると、三人吉三の「月もおぼろに白魚の・・棹のしづくか濡れ手で泡」は、源氏とは関係ないと言わざるを得なくなってくる。
 それにしても、源氏物語ができて以来、あれほど多くの人々に好まれ、読まれ、さまざまな文学に影響を与え、絵画や調度などにも生き続けてきたのに、歌舞伎の世界になると、ぴたりとその姿を消してしまうというのはどういうわけなのであろうか、解せないことである。
 


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