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源氏物語

源氏物語たより469

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    結婚・離婚狂想曲   源氏物語たより469

  雲居雁の母は、皇統の娘で、そこに頭中将が通っていてできた子である。ところが、後に頭中将が通わなくなったのであろう、彼女の母は、別の男(按察大納言)と結婚し、この大納言との間に多くの子供ができた。雲居雁は、継父の下で過ごすのは居心地が悪いということであろうか、頭中将の母・大宮の所で育てられることになった。
  このように当時の離婚や再婚は比較的に自由であったようにみえる。

  当時、正式な結婚ということはなかった。役所に結婚届を提出する必要もなかったし、したがって離婚届もいらなかった。なし崩しのように結婚し、いつの間にか離婚していたなどという例が多い。結婚は、いわば事実婚(法律上の要件である届出は欠くが、事実上夫婦としての実態を有する関係)であった。また離婚は男が通わなくなることで成立した。

  「雨夜の品定め」における藤式部丞の結婚などは、本当に結婚したのやらどうなのやらはっきりしない。また離婚したのかどうかも判然としない。藤式部丞が文章生の時に、漢学を学ぶとういことで、ある漢学者の所に通っていた。そのうちちょっとした機会にその家の娘に言い寄ったりしたところ、それを聞きつけた親が盃を持ってきて、
  「わしの娘にもなかなかいいところがあるのだ」
とばかり自慢したために、藤式部丞と漢学者の娘はくっつく羽目になった。随分あっけない話で、親が盃を持って来て一言添えただけで結婚オーライである。
  その後、彼はこの女の所にあまり熱心に通いもしなかったが、それでも親の気持ちにかんがみ、さすがに関係を断とうともせずだらだらとかかずらわっていた。この女には漢学の素養があったので、藤式部丞に仕事上あれこれと役立つことなどを教えてくれたりしたことも、関係を保つ要因になっていたようだ。
 通いが長らく途絶えていた後、久しぶりに通っていくと、物越しの対面である。さては嫉妬でもしているのかと思ったらそうではなかった。女はこう言う。
 『月ごろ、風病重きに堪へかねて、極熱の草薬を服して、いと臭きによりなむ、え対面給はらぬ』
ということであった。「風病」とは風邪のこと。風邪が重くて耐え切れず、ちょうど今ひどく熱い煎じ薬を飲んだばかりだから、あなたに会えないのだ、と言う。どういうことかと言えば、「極熱の草薬」とはニンニクのことだったのである。その悪臭のためにあなたにお目にかかれないというわけである。「極熱の草薬」とはよく言ったもので、さすがに漢学博士顔負けの言葉遣いである。
  確かにその臭いことといったらない。あきれた藤式部丞は逃げ帰ってくる。どうやらこれをもって離婚成立というということになったらしい。

 こんな話が「雨夜の品定め」にはいくつか出て来る。たとえば左馬頭の場合である。宮中からの帰り、ある殿上人と同じ車で帰ることになった。その殿上人が女の所に寄って行くと言う。ところが彼が入って行った家は、なんと左馬頭が通っていた女の家ではないか。女は「しのびて通わす男」を持っていたのだ。さすがに左馬頭は
  『その夜のことにことつけてこそ、まかり絶えにしか』
と、女と縁を切った。
  例の頭中将も登場する。彼は、夕顔の所に通っていて子供もできていたが、彼が通わなくなったのを機に関係が切れた。ただこの場合は、彼の北の方の家の者が執拗に夕顔を脅したために、夕顔が恐れをなして逃げ出したのだ。つまり彼自身には離婚の意思はなかったのだが、結果的には別れることとなった。

  玉鬘が、鬚黒大将と結婚した経緯も突然のことである。玉鬘付きの女房の弁のおもとが手引きしたのである。それも源氏が全く知らない間に、あのガードの固い六条院で決行したのだから、この弁のおもとも相当の腕利きである。
  源氏と紫上の結婚などは実にいい加減なものである。「三日夜の祝い」などは、惟光との間で、秘密裏に行われた。これが後に紫上の悲劇に繋がるのだ。
  源氏と六条御息所の関係などは、結婚にあたるのかどうか分からない。愛人関係にしては随分あからさまで、世間の噂になっていた。葵上が亡くなった時に、御息所の方では
  「今度こそ源氏さまと正式に結婚だ」
とはしゃいでいた。ところが、御息所自身は、源氏のつれなさに絶望して伊勢に去って行く。
  明石上の源氏との結婚は、彼女の親の明石入道の肝いりであるから、当然正式な結婚にあたるのだが、源氏が「左遷の身」ということもあって公にはできない。それが入道にとっては不満である。その後、二人は三年もの間、京と明石に別々に住む。それでも離婚を免れたのは、女の子ができたからで、まさに「子はかすがい」であった。

  三日通えば結婚が成立し、通わなくなれば離婚が成立する。こういう結婚形態は「好い」と言ったらいいのだろうか、あるいは「問題あり」と言うべきなのだろうか。案外自由で気楽な感じがするのだが。もっとも女は待つ身であるからいささか厳しいところもあるかもしれない。でも、男のことが気に入らなければ会わなければ離婚は成立するのだ。先の藤式部丞は、久しぶりに通って行った時に、女が物越しで対応したので、即こう思っている。
  『よきふしなり』
  「女がおれに会いたくないというのなら、別れるには良い折である」というのである。男は、女のことが嫌なら通わなければいいし、女も、男が嫌なら会わなければいいのだ。なかなか自由でさばさばしているではないか。

  『蜻蛉日記』の作者、道綱の母は、夫・兼家が夜枯ればかりするので、堪えかねて、ある時寺に籠ってしまう。出家して離婚しようというのであろう。しかし、この時は兼家に連れ戻されて元のさやに納まってしまう。だから、彼女の離婚の意思は本気かどうか疑わしいところがある。兼家への面当てがそうさせたのかもしれない。兼家は、そんな彼女に向かって
  『雨蛙(尼帰る)』
とからかう。とにかく『蜻蛉日記』には待つ女の哀しさが嫌というほど綿々と描かれている。通い婚のわりなさというところであろう。

 現代では、離婚というものがごくありふれたものになってしまったようで、やれ「バツ一だ」とか「バツ二だ」とか言って、テレビに出てきて自慢げに公言する者もいる。結婚の時にはあれほど華やかに披露宴を催したのに、よく恥ずかしくないものだと感心してしまう。それに子供だっていることだし、突然父親がいなくなったのでは、子供はたまらない。また役所に離婚届を提出したりするのも随分の抵抗があるはずだ。
 そこにいくと、「通い婚」は、そんな手続きが一切いらないから、気が楽だ。夫が毎日通って来るわけではないから、子供も父親がいなくなっても、ショックはさして感じないだろう。「最近、お父ちゃん来ないね!」くらいで済む。
 
  ところで、源氏物語の時代には結婚式と言うものはなかった。あえて言えば「露顕(ところあらわし)」がそれに当たろうか。男が女の家に通いだして三日目に、婿の従者などを饗応する儀式のことである。親戚・縁者などを呼ぶこともあるようだ。
  面白いのは、初めて契りを交わした夜、女のことが気に入らなかったら、次の夜には通わなければ破談になるということである。実にさばさばしたものだ。もっとも女の身にすれば悲劇になることもあるだろう。『落窪物語』にそんな話が載っている。

  源氏物語には、さまざまな結婚があり離婚がある。[出会いの数だけ別れがある]とは言いおおせて妙なる言葉で、源氏は出会った女性とはすべて別れを経験している。幸せな結婚生活を全うした例はない。出会いと別れには多彩に変化する人の相がある。源氏物語は、光源氏の女性遍歴を通して恋の歓喜や性の楽しさを謳歌しようとしたものではない。男と女が会い逢い、そしてわりなく別れていくところに生じる「あはれ」をこそ、紫式部が力を尽くして求めようとしたものなのである。


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