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源氏物語

源氏物語たより473

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    どんな時に雪は降る   源氏物語たより473

  紫式部が、気象や自然現象をいかに巧みに物語に生かしているかについては今更言うを待たないことで、私も今まで「源氏物語たより」の中で、何回もこのテーマを取り上げてきている。月や星などの天体、撫子・女郎花、榊などの花や樹木、あるいは鳥、あるいは京の夏の暑さなどである。

  今回は雪を取り上げてみようと思う。すでに「たより68」でも雪をテーマにしているが、ここでは紫式部がどんな状況の時に雪を降らせているかに焦点を当ててみようと思っている。
  結論から言えば、雪は多くは暗く寂しく悲しい場面で降っている。
  これは私の雪に対する感覚と相当の距離がある。私にとって雪は暗くも悲しくも寂しくもない。むしろ逆で、子供のころから雪が降るのが楽しみであったし、その感情は今も変わらない。雪はいつも私の心を高揚させる。
  「雪やこんこ 霰やこんこ 降っても降っても まだ降りやまず
  犬は喜び庭駆け回り 猫は火燵で丸くなる」
の童謡から言えば、私は庭駆け回る犬である。
 
  ちなみに『枕草子』を見てみたら、どちらかと言えば雪は明るい場面に登場している。どうやら、清少納言も犬のようである。いくつかを見てみよう。
   『二月つもごりころに、風いたう吹きて、空いみじう黒きに、雪少しうち散りたるほど』
に藤原公任から
   『すこし春ある心地こそすれ』
という歌の下の句が届けられた。これに「上の句を付けよ」という謎である。清少納言は、うまく返さないと公任に笑われてしまうと緊張する。使いの者が「返事を早く!早く!」と急かすので、「えい、ままよ」とばかり、次の上の句を手も震えながら書いて使いに渡す。
   『空寒み 花にまがえて散る雪に』
  これで上の句、下の句がうまくつながった。この返しが見事であるとある識者が評価してくれたという。例の自慢話である。                                                                         (102段)
 
  『降るものは 雪。霰。霙(みぞれ)は憎けれど、白き雪の交じりて降る、をかし。雪は檜皮葺、いとめでたし。少し消えがたになりたるほど。またいと多うも降らぬが、瓦の目ごとに入りて、黒う丸(まろ)に見えたる、いとをかし』           (233段)
 「をかし」「めでたし」のまさに雪の讃歌である。素直で底抜けに明るい清少納言の人柄を髣髴(ほうふつ)とさせる。
このほかにも雪はいろいろと描かれているが、その概ねが屈託のない明るいもの、あるいは例の自慢話なのである。

 それではここで源氏物語に登場する雪の場面をランダムにあげてみることにする。

 『雪うち散り、風激しうて、院の内やうやう人目かれゆきて、しめやかなるに、大将殿(光源氏)、こなた(藤壺宮の居間)に参り給ひて、古き(院の)物語(兵部卿宮に)聞こえ給ふ。御前の五葉の雪にしほれて下葉枯れたるを見給ひて・・』
  桐壷院が崩御された後の、院の状況である。源氏が、残された藤壺宮を慰問するために院を訪れた時に、たまたまそこに居合わせた藤壺宮の兄・兵部卿宮と故桐壷院の思い出などをしみじみと交わす場面である。
桐壷院の一周忌の時も、
  『雪、いとう降りたり』
と雪を降らせている。その後、藤壺宮は桐壷院のために法華八講を催すのだが、その最後の日に彼女は突然出家してしまう。驚き悲しむ女房どもは
  『鼻うちかみつつ、ところどころに群れゐたり。月は隈なきに、雪の光りあひたる庭の有様も、昔のこと思ひやらるるに・・』
と、雪は女房たちの悲しみを増幅させる。                                            『賢木』巻

  『冬になりて、雪降り荒れたるころ、空の気色もことに凄くながめ給ひて、琴を弾きすさび給ひて、良清に歌うたはせ、大輔、横笛吹きて遊び給ふ』
  源氏が、須磨に流れてきて半年、なんの慰められることとてなく、よんどころなく都から携帯してきた和琴を取り出して弾くぐらいしかない。「弾きすさぶ」とは真剣に弾くのではなく、しょうことなくて弾くのである。また良清たちと管弦で遊ぶと言っても、心楽しんで遊んでいるわけではない。なにしろ流謫の身なのである。                                 『須磨』の巻

  『雪・霙かき乱れ荒るる日、いかに宮(斎宮)の有様、かすかにながめ給ふらんと思ひやり聞こえ給ひて、(源氏は斎宮に)御使、たてまつれ給へり。「ただいまの空をいかにご覧ずらん。~降り乱れひまなき空に亡き人の天翔けるらむ宿ぞ悲しき~」』
  六条御息所が身罷った後、娘の斎宮がさぞ悲しみにふさぎ込んでいることだろうと、源氏が消息を送った時の様子である。人の魂は、死して後、四十九日の間、元の邸から離れず中空を彷徨っているという。そこで御息所の魂が彷徨っているであろう斎宮の邸は、いかがであろうかと源氏は慮ったのである。                                         『澪標』の巻

  『霜月ばかりになれば、雪・霰がちにて、ほかには消ゆる間もあるを、朝日・夕日を防ぐ蓬、葎の陰に深う積もりて、「越の白山」思ひやらるる雪の中に、出で入る下人だになくて、(末摘花は)つれづれとながめ給ふ』
  末摘花が最も頼りにしていた侍従も、末摘花邸を去ってしまった。残るは頼りない老女房たちばかりである。庭の蓬や葎を刈る人とてなく、他ではとっくに消えている雪がそれらの雑草の中にうずたかく積もっている。まるで、年中消えることのない「越の白山」のようだと皮肉ったのである。これでは出入りする下人さえなく、つれづれをいかんともしがたく、末摘花は、ひねもす眺め暮らすしかない。                                                                  『蓬生』の巻
  そういえば、『末摘花』の巻でも、雪が重要な役割を演じていた。あの時、老女房たちは、
  『いとど憂ふなりつる雪、かきたれ、いみじう降りけり。空の気色烈しう、風吹き荒れ』
ていた。老女房たちはまともに着るものとてないので、雪は魔物にしか見えない。   

  『(明石君の乳母が)うち泣きつつ過ぐすほどに、師走にもなりぬ。雪・霰がちに、心細さまさりて、あやしくさまざまにもの思ふべかりける身かな、とうち嘆きて、常よりもこの君(姫君)を撫でつくろひつつゐたり。雪かきくらし、降り積るあした、来し方、行く末のこと、残らず思ひ続けて、例はことに端近なる出で居などせぬを、汀の氷など見やりて・・』
  明石から大井に移って来たものの、源氏の訪れは稀。でもそれだけではない、今度こそ姫君を源氏に渡さなければならなくなったのだ。日ごろよりも姫君を抱き撫でる手に力が入る。姫がいなくなれば源氏の訪れはますます遠のくであろう。
  「一体自分はこれからどうなるのであろう」
と思うと、いたたまれず、いつもはしたこともない端近に出て、遣水に張った氷を眺めながら、落ちる涙をかき払うしかない。                                                                            『薄雲』の巻

  『明けぐれの空に雪の光見えて、おぼつかないし。・・雪はところどころ残りたるが、いと白き庭、ふとけじめ見えわかぬほどなるに、「なほ残れる雪」と忍びやかに口ずさみ給ひつつ、御格子うちたたき給ふも、久しくかかることなかりつるならひに、人々も空寝をしつつ、やや待たせ奉りて、(格子を)引き上げたり。
  「こよなく久しかりつるに、身も冷えにけるは。おぢ聞こゆる心のおろかならぬにこそあめれ。さるは罪もなしや。」』
  女三宮との結婚で、三か日は彼女の所に通わなければならない。朝までき女三宮の所から帰る源氏の姿である。
  女三宮の所にいても源氏の心から、紫上の存在が離れなかったのだ。そのためだろう紫上の夢まで見てしまう。一番鶏の声を待ちかねて、彼は女三宮の部屋を出る。その時の彼の複雑な思いが雪と交差する。
  珍しく朝帰りしてきた源氏を迎える紫上付きの女房たちの仕打ちはきつい。源氏が格子をたたいているのに、彼女たちは狸寝入りをして、しばし開けようとしない。「我が主人(紫上)をないがしろにするとは何事ぞ」と彼女たちは腹立てているのだろう。彼はすっかり身も冷え切ってしまった。
  「これも紫上を怖がっている証拠よな」
と自嘲気味につぶやくが、
  「でも私には罪もないのだから」
と言いつつ、紫上の寝ている上の衣を引きやる。三が日は女の所に通わなければならない決まりがあるから、「罪もなしや」と言ったのである。                                                              『若菜下』の巻

  『月ごろたゆみなくむすぼほれ、ものをのみおぼしたりしも、この本意のこと、し給ひて後より、少し晴れ晴れしうなりて、尼君とはかなくたはぶれもしかはし、碁打ちなどして明かし暮らし給ふ。行ひもいとよくして、法華経はさらなり、こと法文などもいと多く読み給ふ。雪深く降り積み、人目絶えたる頃ぞ、げに思ひやるかたなかりける』
  浮舟が、薫と匂宮という当代きっての貴公子から愛され、そのはざまで悩んだ末、宇治川に投身する。しかし初瀬詣での帰りの尼君一行に助けられ、尼君の住む小野で生活するようになる。再び愛の問題で悩むことなどしまいと決意した浮舟は、尼君の兄である横川の僧都に懇願して、髪を切り落とす。「この本意」とは出家のことで、本意がかなったことで長い月日、ずっと続いていた悩みも収まり晴れ晴れとした気分にはなった。しかし比叡の山麓の小野に降る雪は深く、人目も全く途絶えてしまう。いくら出家したとはいえ、それもまた心のやり場もないほどの寂しさである。                                    『手習』の巻

  このほかにも源氏物語には雪はしばしば登場するのだが、これまで上げてきた場面と同じように、概ね暗く侘しく悲しい状況の中で降っている。そしてそこには雪を降らせる共通な条件があることに気付く。別れであり、死であり、不遇な境涯であり、悲嘆の心境にある時であり、また悩みを抱えての出家の時などである。いずれも通常と異なる状態に陥って「あはれ」な思いをしている時である。日常の状況が激しく変わった時に、雪を降らせているということは、つまりは雪に「あはれ」を象徴させているというになる。

  私は今、源氏物語に使われているすべての「あはれ」を抜き出している。その結果分かってきたことがある。「あはれ」は、現代語で言えば、概ね「しみじみ胸にしみる(感情)」で通じる。しかし「あはれ」の感情を引き起こす事象はさまざまで、一概に「しみじみと胸にしみる」で訳せるわけではない。「あはれ」の多くは、もの・ことが日常と大きく変化した時に感じる心情であると捉えることができそうである。「別れ」や「死」や「不安」や「悲嘆」あるいは「不遇な境遇」などこそ、もの・ことが激しく変化する典型と言える。(もちろん「あはれ」をもよおす条件はこれだけではない。これについてはいずれまとめるつもりでいる)
  雪そのものが「あはれ」の情を引き起こすものではないが、雪には、すべてを変える、世界を一変させる、そんな働きがあることも確かである。紫式部は雪をそんな目で見て、人事と絡ませていたのではなかろうか。

  最後に『朝顔』の巻を見ておきたいと思う。
  『雪のいたう降り積もりたる上に、今も散りつつ、松と竹のけぢめをかしう見ゆる夕暮れに、人(源氏)の御かたちも光りまさりて見ゆ。
  「時々に付けて、人の心を移すめる花・紅葉の盛りよりも、冬の夜の澄める月に、雪の光りあひたる空こそ、あやしう色なきものの、身に染みて、この世のほかのことまで思ひ流され、面白さもあはれさも、残らぬ折なれ。凄まじきためしに言ひおきけむ人の心浅さよ」
とて、御簾巻き上げさせ給ふ。月は、隈なくさし出でて一つ色に見え渡されたるに、しをれたる前栽のかげ心苦しう、遣水もいといたく咽びて、池の氷もえもいはず凄きに、童べ下して雪まろばしせさせ給ふ』
  「雪まろばし」は「雪を転がして丸い雪の玉を作ること」。ここでは女の童を庭に下ろして「雪まろばし」をさせているのだ。童たちは大きな雪だるまを作ろうとはしゃぎまわっている。当然楽しいはずの場面であるが、源氏の話はそれとは乖離している。冬の夜の雪(と月)は「この世のほかのことまで思いやられる」としているのである。「この世のほか」と言えば、過去世に対する懐旧の情であろう。また来世(あの世)への憧憬のようなものであろうか。雪(と月)を見ての源氏の思いは遥かな世界へと飛んでいる。
  この後、彼は紫上に向かって、過去に関係したあれこれの女性の話を、いつ切れるともなく話し続ける。朝顔と源氏との恋愛沙汰に、すっかり落ち込んでいる紫上が、そんな源氏の話を素直に聞けるはずはない。彼女はぽつりと歌を詠む。
  『氷とぢ岩間の水は行き悩み 空澄む月の影ぞ流るる』
  源氏の心がいろいろの女性の所に流れているのでは、遣水の水が凍りついて行き悩んでいるように、私も行き場所もないほどに頼りなく、中空の状態に悩みこんでいます、というのだ。この嘆きは、雪(と月)と凍りついた水から誘因されたものであると同時に、源氏の心が自分から離れて行ってしまっていることからきたもので、夫婦の間が変わってしまったことからくる「あはれ」を詠っているもので、心に哀しくしみる歌である。



雪の降る街を 雪の降る街を 思い出だけが通り過ぎてゆく
雪の降る街を 遠い国から落ちてくる この思い出を この思い出を
いつの日かつつまん 温かき幸せのほほ笑み

雪の降る街を 雪の降る街を 足音だけが追いかけてくる
雪の降る街を ひとり心に充ちてくる この哀しみを この哀しみを
いつの日かほぐさん 緑なす春の日のそよ風

雪の降る街を 雪の降る街を 息吹とともにこみあげてくる
雪の降る街を 誰もわからぬわが心 このむなしさを このむなしさを
いつの日か祈らん 新しき光降る鐘の音

  それぞれ最後の一行は願望に過ぎない。「温かき幸せ」「緑なす春」「新しき光」は来ない可能性が高い。その意味では相当深刻な歌である。負を背負って回わりだした歯車は、容易には快い響きを持って回転しない。

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