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源氏物語

源氏物語たより475

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    不遇のうちに見る月  源氏物語たより475

  光源氏が、京を離れて須磨へ退去しようとしたのは、三月二十日余りのことである。京を出立するに先立って、関係する人々の所に挨拶に回らなければならない。ところが罪ある身では日中堂々というわけにはいかず、おのずから夜、忍んで回らなければならないということになった。義父の左大臣邸に行くにつけても
  『夜に隠れて、渡り給へり。網代車のやつれたるに、女のやうにてかくろへ入り給ふも、いとあはれに夢とのみおぼゆ』
という状態でなければならなかったのだ。
  左大臣との四方山話や頭中将を交えての酒の席の後、夜もすっかり更けてしまったということで、左大臣邸に泊まっていくことにした。結局、彼が特に情をかけていた女房の一人・中納言の君(源氏の召人)と一夜を共にすることになる。彼女とのしめやかな語らいのうちに
  『明けぬれば、夜ふかく出で給ふに、有明の月いとをかし』
き時刻になった。二十日を過ぎると、月の出も十一時を過ぎ、月が南中するのさえ翌朝の四時、五時である。彼が左大臣の邸を出ようとしたのも、おそらくその頃ではなかったろうかと思われる。この時、盛りを過ぎた桜の花がわずかに木陰に残っているのが源氏の目に入った。それは勿論朝日の光によるものではない。三月二十日余りの月の光である。その月と残花とそれを霞ませている霧とが、ふたりの別れに一層の「あはれ」を添えた。

 花散里を訪ねたのも、「いたう更かして」からであった。
 『月おぼろにさし出でて、池広く、山、木深きわたり』
は心細げに見え、邸全体がかすかな様である。源氏の庇護を頼りにしているので、源氏が須磨に去れば、おそらくこの屋敷の荒れもますます勝ることであろう。そんな情景の中を源氏が花散里の部屋にやってきた。
 『あはれ添えたる月かげの、なまめかしうしめやかなるに、(源氏が)うち振る舞ひ給へるにほひ、似るものなくて、いと忍びやかに入り給へば、(花散里は)すこしゐざり出でて、やがて(そのまま)月を見ておはす』
花散里の姿は、いかにも控えめで女らしいふるまいである。源氏はといえば、なまめかしくしめやかな月の光に照らされて、その匂いは譬えるものもないほどの優美さ。
  この場面では、終始月が中心になって展開されていく。今後の荒れを予想させるこの屋敷には「おぼろの月」が相応しいし、別れの悲しみを背負っている控えめな花散里は、何も言わずに月を眺めているしかない。この後も月が二人をリードしていく。
  『鳥もしばしば鳴けば、世につつみて急ぎ出で給ふ。例の月の入りはつるほどよそへられてあはれなり』
  源氏が須磨に退去するのは、あたかも今見ている月が「山の端に入ってしまう」様によそえられて花散里には見えるのである。それは二つの面から当然のことで、一つにはこれが源氏との愛情の終焉になるかもしれないし、また二つには生活上一層の不如意になるかもしれないからだ。二人は月に関する歌を詠み交わす。女、
  「涙に濡れる私の袖は狭いものの、この袖に月の影(源氏の姿)を映し止めて、いつも見ていたいものです」
  源氏
  『行きめぐりつひにすむべき月影のしばし曇らむ空な眺めそ』
  (私は、これから須磨という地に巡って行くのだが、いづれは潔白の身となって、京に戻ってくる。だから、今、曇っている空を眺めてばかりいないでほしい)
  この場合の「すむ」は、「住む」と「澄む」が掛けられている。源氏は自分が罪ある身とは考えていない。だから一旦は僻地に住んだとしても、必ず澄み切った月のように京に戻ってくることを確信しているのだ。「泣かないでほしい」というのはそういう自信の下に言っているのだが、しかしその保証はない。源氏は「空な眺めそ」と慰め、
  『あけぐれのほどに、出で給ひぬ』
しかない。夜が明けきる前の少し暗い感じの残る頃に、花散里邸を出たのである。

  桐壷院の墓参りの様は、既に「たより138」で述べているが、あの場面でも月が重要な役割を果たしていた。院の墓は、今の「宝が池」の近くであると予想される。あのあたりは木々に囲まれた山の中で、月がなければ漆黒の闇である。そこで藤壺宮を訪ねた後、月の出を待って墓参りしたのだが、二十日余りの月の出といえば、十一時過ぎ。ということは月の明かりを頼るために、翌日まで待っていたということであろう。しかしせっかくの月を頼りの墓詣でであったが、この時は月が雲に隠れてしまったりした。月によそえた悲しみの歌を詠み、彼が帰ったのは
  『明けはつるほど』
であった。すっかり夜も明け果ててしまっていたのである。

  最後の最後に紫上と別れた時も、夜深い「月の出の頃」であった。月の光で紫上の姿を見届けておこうと思った源氏は、端近く出るようにそそのかす。
  『ためらひて出で給へる(紫上の姿は)、月影にいみじうをかしげに居給へり』
であった。

  このようにして月に送られて都を去った源氏が、須磨に住み、半年過ぎた時の中秋の月はまた格別であった。清涼殿で行われた名月の宴を思い、愛する女性方を偲び、帝から賜った御衣に涙を注ぐのである。そして明石に移って見た月は
  『あはとみる淡路の島のあはれさへ 残る隈なく澄める夜の月』
であった。彼は、思わず久しく手も触れなかった琴を袋から取り出し、思いの限り弾き澄ますのである。源氏にとって万感の思いを誘う月であった。
  源氏の不遇な境涯に月は欠かせぬものであった。


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