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源氏物語

源氏物語たより476

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    源氏物語の秀歌   源氏物語たより476

  斎藤茂吉の名著に『万葉秀歌』がある。その名の通り万葉集の優れた歌を彼の視点から選んだものである。万葉集は4500首余もあるので、その中から秀歌を選ぶのは容易なことではなかったろうが、そのうちの一割、450首がここには載せられている。上巻には柿本人麿や大伴旅人、山上憶良、あるいは額田王など有名な歌人たちが、下巻には作者不詳の歌や東歌や防人の歌などが中心に載せられている。
  『万葉秀歌』には日本人のだれもが知っている秀歌が網羅されていて、改めて万葉集に親しもうとしている人にとっては手頃である。我々は、正岡子規や斎藤茂吉の万葉集讃歌の影響を受けて、万葉集のすべての歌が優れているものと誤解しがちであるが、必ずしもそうではない。平凡で同じような歌が羅列されているということも事実で、玉石混交である。だから、全部読む必要はない。私も4500余首すべてを二度ほど読んでいるが、飽きが来る。その意味では斎藤茂吉は、万葉集に親しもうとしている者にとってはありがたいことをしてくれたと思う。それが何版も版を重ね、未だに書店に並んでいる由縁になっているのだろう。

  源氏物語には795首の歌が載せられているという。しかし、残念ながらこれらの歌の中で「秀歌」と言われるものは少ない。その証拠は、源氏物語の歌を一つでも知っているという人はおそらく皆無であろうことである。それに比べて万葉集の歌は、誰でも二つや三つは知っているはずである。中学校や高校の教科書にも出てくるし、確かに一般の人に受け入れられやすい素直で素朴なものが多い。
  『春過ぎて夏きたるらし白妙の・・』
  『東の野にかぎろひのたつ見えて・・』 
  『田子の浦にうち出でてみれば白妙の・・』
  『憶良らは今はまからむ子泣くらむ・・』
  『石激る垂水の上の早蕨の・・』
  『あかねさす紫野行き標野行き・・』
  『我が宿のいささ群竹吹く風の・・』

  ところが源氏物語の歌となると、795首の歌のうちの一つとして言える人はいない。世界に誇る最高の文学作品であると評価されているにしては、これは異常なことと言わなければならない。でもそれも仕方のないことで、源氏物語はあまりにも難解な書であり、特に歌の意味がとりにくいからである。それに、歌は物語の筋と緊密に結びついていて、物語の筋が分からなければ、意味をなず、単独では味わいにくいからである。
  また、源氏物語の歌には、人の口の端にふと上るような秀歌はないことも事実である。紫式部自身も
  「このような時にはいい歌がなかなかできないのであろう」
とか、落葉宮付きの女房・少将の君が詠った歌を夕霧は
  「よからねど、折から」
などと、「まあ、折が折だからね、大した歌でもないのにそれなりに聞くことはできる歌である」などと言って誤魔化したりしている。とにかく凡作も多く、私には「下手な歌」に見えるものさえある。
  紫式部の才能は、自分で歌を作ることよりも、古来の歌を引いてくる、いわゆる「引歌」の業にあるといえよう。この場面にはこの歌しかないというものを、実に的確に、巧妙に引いてくる。特に古今集からの引用が多く、いずれも絶妙な効果を発揮していて、本歌の世界を越えている。

  しかし、物語との関連から味わっていくと、心を揺すられる歌も何首かある。

  『かぎりとて別るゝ道のかなしきに いかまほしきは命なりけり』
 
  光源氏の母親・桐壷の更衣が、死を迎えた時に、帝に向かって詠ったものである。
  「死ぬことは人の宿命として致し方ないことではありますけれども、いざお別れしなければならないかと思いますと、悲しさは図り知れません。私の行きたいのは、死への道ではありません、生きるという命ある道の方でございます」
  更衣という身分でありながら、帝のたぐいない寵を受けたために、女御や同じ身分の更衣たちに妬まれそねまれして、それが彼女の体をむしばんでいった。源氏が生まれて三年目、ついに彼女の忍耐も尽き、命を閉じようとする。帝が必死に引き止めようとするのだが、宮中で死ぬわけにもいかず、彼女は里下がりしていく。その時の血の出るような絶唱である。
  自らの病で倒れるのならとにかく、人の恨み妬みによって体もボロボロになり、死を迎えなければならなくなったのだ。その無念たるやいかばかりのものであったか。
  しかも彼女には死ぬに死ねない二つの絆(ほだし)があった。一つは、帝のこの上ない寵愛に対して何もお返ししていないことである。そして最も彼女を「生きる道」に執心させたのが、三歳の源氏を残していかなければならないことである。
  『人の親の心は闇にあらねども 子を思う道に惑ひぬるかな』
という後撰集の藤原兼輔の歌は、源氏物語に何度も何度(2,30回か)も引用されている。「親と子」の関係が源氏物語の大きなテーマになっているからだ。子を思う親の心は、誰も共通である。まして三歳の子を後に残していく母の無念は計り知れない。
  沈痛、悲痛な秀歌である。

  『空蝉の羽に置く露の木隠れて しのびしのびに濡るゝ袖かな』

  『空蝉』の巻の最後に、空蝉がしんみりと詠った歌である。
  「空蝉の羽に置く露が木の陰に隠れて見えないように、私も源氏さまを慕って、誰にも知られることなく、忍び忍びに袖を濡らしております」
  空蝉は、方違え先で源氏に強引に犯されてしまう。それでも彼の素晴らしさに魅かれていく。だが、何しろ夫のある身ではいかんともしがたく、源氏の求愛を拒否するしかない。二度目に彼が忍んできた時には、小袿一枚を脱いで、部屋から逃げ出してしまう。源氏はその衣を抱えて部屋を出る。女の香が懐かしく染み付いたその衣を、彼は日々傍らに置いて恋い忍ぶ。
  一方、空蝉は、自分の香が染み付いた衣が、源氏の手にあることを恥ずかしく思うとともに、
  『ありしながらの我が身ならばと、取り返すものならねど』
と悔やむ。結婚する前の身であれば、源氏さまの愛を受けることもできたのに、でも今更昔を取り返すこともできない、と泣きながら畳紙(懐紙)の片隅に、先の歌を書き付けて、自らを慰めるしかないのである。
  ここで面白いのは、この歌は紫式部の歌ではなく、『伊勢集』に乗っている伊勢の歌であるということである。私も注を見るまでは、「いい歌だなあ」と思っていたのだが、何と盗作であった。でも、伊勢がどんな時に作ったものか知らないけれども、源氏物語のこの場面に見事にフィットしているので、「源氏物語の秀歌」に入れてみた。

  『見てもまた逢ふ夜まれなる 夢のうちにやがてまぎるゝわが身ともがな』

  藤壺宮と密会をした夜の源氏の歌である。
  「こうして今現にお会いしてはいるのですが、このような機会は二度とありません。どうせならこのまま夢のような喜びの中で死んで行ってしまいとうございます」
  実はこの密通は二度目なのだが、何しろ愛するお方は、父桐壷帝の寵姫、今後逢うことなどまず無理であろう。またたとえ逢えたとしてもそれは極めて危険な行為で、身の破滅に至る。それだったらいっそのことこのまま夢の中に消えて行ってしまった方がはるかに幸せだ、と源氏は咽び泣くのである。
  この場面に来ると私はいつも興奮してしまう。絡み合う源氏と藤壺宮の濃厚な官能の嵐にしびれるのである。しかもこれが『若紫』の巻で演じられるというのが、紫式部の憎さであり恐ろしさである。なぜなら、北山にわらは病みの治療に来て垣間見た、小雀と戯れる十歳ばかりの清純な少女との恋の進行中なのである。そこに思いもしない成熟した大人の許されざる性愛の絡みを挿入するのだから。

  『亡き魂ぞいとど悲しき 寝し床のあくがれがたき心ならひに』

  正妻・葵上が亡くなって四十九日が過ぎた時に、源氏が彼女を恋い慕って歌ったものである。
  「あくがれ」とは、ふらふらと離れていくこと、「心ならひ」とは、いつもの習慣でということである。源氏はこの四十九日の間、葵上の邸(左大臣邸)から一歩も出ていない。亡くなった妻と今まで共にしてきた床を、どうしても離れることができないという。なぜならそれが習い性になってしまったからというのである。
  妻を失った者が常に感じる哀傷の心を素直に歌っていて、私もこんな歌を歌いたいものと思う。その点で秀歌であることに間違いはない。
  ただ実情を勘案すると、秀歌の評価にいささか疑問符が付くと言わざるを得ない。葵上の生前、源氏は彼女とそりが合わず、互いに快く思っていなかったのだ。それどころか時には蔑み、時には怨み合った仲なのである。たまに源氏が、左大臣邸を訪れても、葵上は姿を見せないことすらあった。また源氏が呼んでも、なかなか床には入ろうとしないこともあった。そんな夫婦関係だったのである。この歌だけを見れば、生前二人はいつも床を共にしていた、まさに琴瑟相和す夫婦だったようにとれるのだが、実は・・。確かに彼は、四十九日の間だけは、その床を離れなかったのだが。

  『置くと見る程ぞはかなき ともすれば風に乱るゝ萩の上露』
  『ややもせば消えを争ふ露の世に 遅れ先立つ程経ずもがな』

  紫上の終焉に、彼女と源氏の間で詠み交わされた歌である。
  重篤の状態にあった紫上が、秋の涼しさに、わずかに小康を得た。しかし
  「萩の葉に置いた露が、少しの風にもすぐ乱れ落ちてしまうような私のはかない命でございます」
と紫上が寂しく源氏に詠みかける。すると源氏は、
  「ともすれば、この世は萩の花に置いた露が先を争って散って消えて行くようなはかないものです。たとえあなたが先に行くとしても、程も経ずして私も後を追って行きたいものです」
と返したのである。何ともやりきれない悲しい愛の交換である。源氏は紫の上の命を留める方法とてないことを認識しているから「そんな弱気なことを言わないで」と咎めようともしない。これから千年でも一緒にいたいとは思うものの
  『心にかなはぬことなれば、(紫上の命を)かけとめむ方なきぞ、悲しかりける』
のである。そして、紫上は明石中宮に手を取られて、翌朝亡くなった。
  『明けはつるほどに、消え果て給ひぬ』
  紫上のいない源氏は、すでにもぬけの殻であった。「遅れ先立つ程経ずもがな」と詠った歌のように、一年後、彼も紫上の後を追うよう、華やかな世界から姿を消していく(出家していく)。

  このように物語の展開と合わせて歌を鑑賞しなければ、源氏物語の真価は理解できないのである。単独で歌だけそらんじていても意味がない。物語なくして源氏物語の歌はない。
  そしてここで気が付くことは、死や別れに際しての歌ばかりが、優れた歌になっているということである。
  源氏物語が追求したものは「あはれ」である。もの・ことが変化する時に感じる情こそ、「あはれ」を誘因させるものに他ならないからである。愛する者が死んでいく、愛する者と別れなければならない、それは人生における激変である。
 
  仏壇に私の母の歌が飾られている。夫(私の父)が亡くなった時の歌である。
  『ひとすじは奴が墓の径 一条はわが帰る道 月光のなか』
  この歌の出来はどうなのかは分からないが、例の夕霧に言わせれば、「よからねど、折から」ということになろうか。


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